北大阪の町・箕面に河野秀忠さんがいた。1986年10月の記録

左から牧口一二さん、河野秀忠さん、小室等さん、小室ゆいさん2015年4月19日 ゆめ風基金事務所にて、

 時々、河野秀忠さんの言葉が恋しくなります。2017年9月、彼はこの世を去りました。
 障害者問題総合誌「そよ風のように町に出よう」の編集長で、青い芝の会の横塚晃一さんとの出会いから全国的な障害者運動を続けてきた彼は、住んでいた大阪北の町・箕面でも地道な活動をしていました。
 その中でも豊能障害者労働センターの前代表でもあった彼にとって、豊能障害者労働センターは特別に愛おしい集団として見守っていてくれました。
河野秀忠さんは、未成熟で貧困な当時の労働センターのスタッフに、身の回りの悲惨さこそが、ひととして生きる願いを叫ぶ世界の人々とつながっている証しなのだと教えてくれました。
 高邁な理想と見果てぬ夢…、言葉の魔術師でありながら、100万の言葉よりも言葉を発しにくい純な心を写し鏡とした障害当事者の運動を支えた河野秀忠さんがいなかったら、豊能障害者労働センターは存在しませんでした。
 雑誌編集のプロとしても、また60年代後半からの「反体制(?)」運動家としても多様な檄文を綴ってきた彼は、豊能障害者労働センターの機関紙「積木」には特別に力の入った文章を残しました。
 下の文章は、路地裏の民家で出発してから5年、新しい事務所建設基金を必死にひたむきに呼びかけたお願い文でした。
 この年の12月20日、豊能障害者労働センター5周年と基金を呼びかけるコンサートに河野さんの声かけで小室等さんと長谷川きよしさんが来てくださいました。
 小室等さんはそれが縁で箕面のみならず豊中の障害者グループの応援にも来てくださり、1995年の被災障害者支援「ゆめ風基金」の立ち上げにも永六輔さんとともに積極的に関わっていただき、今は同基金の代表をされています。


豊能障害者労働センター拡大移転基金500万円基金よびかけ文

鳥は大空へ 人間は社会へ
豊能障害者労働センターの拡大移転500万円基金実行委員会にあなたのご参加を!
1986年10月 河野秀忠

 1980年、はなばなしくむかえられた国際障害者年のただ中、ひとりの脳性マヒといわれる障害者が、障害者用の学校、養護学校のなかから自分を拒否する世間をにらんでいた。
 彼には、彼を受け入れ働き、労働と生活を共有する場が用意されていなかった。彼の労働には、手垢にまみれた労働感によって(賃労働に見合う能率的な労働こそが社会を構成する要件である)けっとばされ、車イスの上で身もだえていた。
 彼は考えた。能率的な労働とは何だろうか?働くことによってしか市民生活を形づくられないとしたら、働けない俺は何だ。俺は、市民でも人間でもないのか。
 学校では、人間の本来的尊厳を教えてはくれたが、それはどこにあるのだ。あたたかいはずの市民社会の住民の俺を見る目の、あの冷たさは何だ。
 学校のバリアーの外では、人間が労働しているのではなく、労働が人間を働かせている。
 俺は、人間の労働がしたい!

 こうして、1981年に借金に借金を積み上げ、豊能障害者労働センターは、傾きかけた借家を船に1人の障害者と3人の健全者でヨロヨロと船出した。
 あれから5年、その航海は、人間のミレニアムを夢見てうまずたゆまず続けられている。
 この船に乗り込むクルーは、様々な市民、住民運動にかかわる人、差別と真っ向から向き合うひと、平和や愛を求める人、労働者の団体、障害者にかかわる人と増え続け、大きなウネリとなって船を進め、今日もあなたの住む街を、心よ、夢よ、冒険よ、愛よ、明日よと航海している。
 決して波が緩やかな日ばかりではなかった。航海長ともたのむ愛しい人を、死によって奪われ、涙が枯れたときもあった。資金という燃料が途絶え、停戦しかけたこともあった。人と人とのしがらみのなかで救命ボートを去った人もいた。しかしいつのときも悲しみや辛さの荒れる海から、我々を救い出してくれるのは、人としての尊厳を大切にする友人であった……。これからもずっとそうである。
 今や、全ての友人との共通の我々の船は、この豊能の地において全ての障害者と人間に関わる行為と営みの母船となった。我々の航海が地域と職場を変え、新しい航路を切り開いたのだ。
 我々は元気だ。我々の勇気と自由のオールは、人びとの息づく世界のすみずみにまで我々をいざなう。そして、世界を人間と愛とでカラーリングする。
 我々の旗印『人間まるごとの労働で、食える賃金を!』が青空にクッキリとひるがえっているのを、あなたには見えたか!
 5年目の航海の朝、我々のめざめの前に、巨大な嵐が見える。福祉切り捨ての大行進が、おしひしがれた世間の谷間が「障害者は、甘えるな。金を出してサービスを買え」と吠える。
 我々がいつ甘えたか。断じて言う「長い歴史のなか、障害者を甘やかしたときが一瞬でもあったか。障害者の現実を直視して、市民の良心が痛まなかった季節があったか」と……。
 我々は急がねばなるまい。我々の船とクルーの祭りを準備せねばならない。我々には、新しい船が、強くて大きい船が必要だ。多くの人々の心と暮しのよりどころとなる広い船が!

 豊能障害者労働センターは、1987年、匂い立つ春に、航海5周年拡大移転を実現しようとしています。この壮大な事業には、造船をともに担うあなたの、私達の、心とからだと夢とパトスが求められます。
 サァ、大きな船を一緒に創りましょう。ヨイショとあなたの太い腕と赤い血を私たちの造船所へ!

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