死へと向かう性的欲望 神戸波止場町TEN×TEN イロタギル展

今日は、神戸波止場町のTEN×TENで開かれているグループ「エクスプラス」の「イロタギル展」を観に行きました。箕面でケーキ屋をしているSさんの友人の嘉山伸子さんがオブジェを出店されているということで、Sさんと妻と3人で見に行くことになったのでした。阪急神戸三宮駅から地下鉄海岸線でみなみ元町1番出口から南へ5分ほどで、会場に着きました。
会場のTEN×TENは、たくさんのブースを個人やグループが常設のスタジオにしたりギャラリーにしたり、また個展やグループ展のためにブースの貸し出しもしていて、アートの盛んな神戸らしい建物でした。
7人によるグループ「イロタギル展」のブースに行くとまず目に入るのが嘉山さんのオブジェでした。その作品はなんといっていいか写真を見ていただければわかりますが(いや、わからないままかも?)、結構高い祭壇に白い人形のようなものが仰向けに寝そべっています。素材は綿を詰めた白い布で、二人の女性が重なって寝ているように思いました。それはとてもエロチックなオブジェですが、同時にひとが生きている身体の中には薄い皮膚一枚で隠されている「死」が横たわり、死に恋い焦がれる性的な欲望が剥製となって「おいでおいで」と呼んでいるようなのです。まわりには、竜やカラスやクモや、何かわからない可憐な生き物や、顔や手が縫い込まれた小さな階段などが、死に向かう性的欲望を見守るように息をひそめています。
わたしはこのオブジェのなまめかしい存在感に吸い込まれそうになりながら、昔テレビで見たカントゥールの「死の教室」を思い出していました。その演劇に出てくる小さな人形は、時代をいくつも越える間に何十万何百万の屍を食い散らし、制御ができない死への欲望と暴力を詰め込んだ巨大な剥製になってしまったのでしょうか。
このグループ展に出品している他の6人の作家の作品はそれぞれひとつのこだわりのために世界の均衡が歪んでしまったような作品群でした。小さな四角い布に一見かわいいイラストやおしゃれな文字を手縫いで刺繍した作品がいっぱい並んでいる作品は、ひとつひとつのピースはかわいいのにたくさんあつまると不気味なものになっていきます。
また、コミック漫画のような明るいイラストのような絵の中で、不思議な世界が刻一刻と風景を塗り替えている作品、遠くから見るとアルファベットだけしかわからないのに、近くで見るとそのフルファベットの1文字の中にひとつひとつ風景が細密に描かれていたり、トンボやゴキブリ(?)やカマキリや蝶の体の模様を執拗に描いた作品など、丁寧に描けば描くほど身近な生き物や風景がまるで異次元の世界から迷い込んできたような、不思議な物語を語り始めるのでした。
音楽や演劇とちがい、アートの世界は静寂そのものです。わたしが高校生の時は、もっとも刺激的だったのは絵画でした。ポップアート、ネオダダ、シュールレアリスム、マルセル・デュシャン、ロバート・ラウシェンバーグ、ジャスパー・ジョーンズ、アンディー・ウォーホール、高松次郎、荒川修作…。それらの芸術運動や作品群に触れることで、いわゆる理解などできないまま、それでも若い心をふるわせ、世界の未来が意味不明な期待感でいっぱいに思えた青春時代でした。
それから半世紀が過ぎた今、美術館や今回のような小さなグループ展に行って感じることは、音が消え、静寂につつまれる解放感です。何をしていても聞こえてくる雑音と音楽にいつも追いかけられている日常から解き放たれる一瞬を味わえるのはアートなのかもしれません。
妻の母親がデイサービスから戻って来る時間に家に帰るためには神戸からだと2時間では無理で、急いで会場を出ました。
とんぼ返りのようなせわしさながら久しぶりに神戸まで行き、小旅行を楽しみました。

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