自由より他に神はなし cafe「気遊」30周年記念フリーコンサート番外編1 

 9月4日、服部緑地野外音楽堂で、能勢cafe「気遊」30周年記念フリーコンサート番外編が開催され、時折激しい雨が何度も降る中約7時間、途中で帰るお客さんもほとんどありませんでした。新型コロナ感染症がまん延する中、感染防止対策を徹底し、来場者も普段なら前で踊ったり大きな掛け声を出すところを我慢しながらのコンサートでした。
 チスントリオ(李知承知・芳賀まさひろ・すだっち)、ロケット・マツ&松井文、吉元優作、ヤスムロコウイチ、光玄、大塚まさじ、長田taco和承、NIMA&川崎知、木村充揮、有山じゅんじ、金森幸介、渋谷毅、小川美潮、金子マリ…。「気遊」さんと縁の深い出演者の誰もが「気遊」の30年を祝う気持ちと、この30年の時の淵で別れていった数多くの大切な友の思い出とともに今、再びこの場所に帰って来られたことへの感謝と祈りと哀しみと切なさと喜びにあふれていました。
 cafe「気遊」の30年は、ライブもできるカフェとして強い発信力を持ち続けてきたとはいえ経営的にはきびしいと思うのですが、10年前に能勢に引っ越したわたしは日常の暮らしの中でcafe「気遊」が特別な場所であるだけでなく、年に何回かのとっておきのライブを用意してくれるオーナーの井上さんご夫婦に感謝するばかりです。
 かけつけた出演者のまわりには、この日出演がかなわなかった数多くのミュージシャンたちの心も集まっていて、歌われなかった歌たちと気遊さんへの祝福のメッセージが飛び交っていた時間でした。思えば4時頃まで降ったりやんだりで、3、4回は土砂降りになったと思ったらその後に少し晴れ間が見えるというこの日の天気もまた、悲しい涙だけでなくうれし涙を流していたのだと思います。
 歌いたい歌をつくり歌い、聴きたい歌を聴く…。彼女彼らの音楽には電波や市場に流通している音楽にはない、肉声でしか伝えられない言葉と、身体を震わせるライブ感があります。この日この時この人たちにしか共有できない音楽、それはひとがパンのみでは生きられないことを実感させてくれるわたしたち人間の宝物なのだと、あらためて思いました。

 個人的には、チスントリオがホン・ヨン・ウンの「親父の唄」を歌い出した時には涙がでました。彼の唄を「11PM」で聴き、ライブに出てもらおうと飛び込みで電話したら、「風呂屋に行ってる、もう少ししたら電話してくれ」といった親父さんの声を思い出しました。
 その時、もうずいぶん前ですが選挙の主役は住民なのだから、明るく元気に選挙に行こうと呼びかける「衆議院選挙まつり」を箕面の労働組合や障害者団体でつくった実行委員会から、客は組合が引き受けるからステージをつくってくれと頼まれていたのでした。今から思えば夜遅く、しかも面識もなく突然の失礼なお願いにもかかわらず、ホン・ヨン・ウンは出演を承諾してくれました。
 この時はバンドで来てくれて、パレスチナを歌う「緑の国」は素晴らしかった。ちなみにその時、1000人会場の箕面市民会館にはわたしの家族や近所の子どもなど20人足らずの客しか入りませんでした。それにもかかわらず、彼らはほんとうにいっしょうけんめい歌ってくれました。わたしは申し訳ないやら情けないやら腹立たしいやらで、心が折れてしまいました。
 そのうえ、後日に箕面市職の役員がやってきて、友だち価格で協力してくれた村尾泉さんの音響代金を払ってくれと言いに来て、どんな約束になっていたのかとわたしは開いた口がふさがりませんでした。間に入った友人が「そんなことをしたら、あんたらは二度と市民運動と一緒にやることはできないよ」と言ってくれました。
 わたしはそれ以後この会場での15回を含めてコンサートや映画会、講演会など数多くのイベントをしましたが、わたしは決して組織、とくに労働組合を信じたことは一度もありません。もっとも、そのかたくなさを溶かしてくれたのは言うまでもなく、今国政に出て行こうとする大椿ゆうこさんでしたが…。

♪どれだけの人に会い どれだけ 泣いただろ 酔えばすぐに 大きな声になる
どれだけの人に会い どれだけ 笑ったんだろ 日本語では しゃべれない 夜もあったんだ  (ホン・ヨン・ウン「親父の唄」)

親父の唄 / ホン・ヨンウン(リマスタリング・ヴァージョン)

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