「我々はかわら乞食」と彼は言った。能勢のcafe気遊にて、&有山じゅんじ

8月15日、わたしが住んでいる大阪府能勢町のCafe気遊で、金森幸介と有山じゅんじのライブがありました。
コロナ禍のただ中ということもあり、要予約、人数を制限してのライブでした。
わたし自身、島津亜矢の新歌舞伎座公演も9月8日予定の京都でのコンサートも中止、また毎年楽しみにしていた唐組の芝居も中止、時々観に行っていた映画も大阪に出ていくのがおっくうになり、引きこもり状態が続いていました。その中で先日、久しぶりに大阪で開かれた小島良喜のライブに行き、今回のライブはコロナショック後2度目の参加となりました。
もっとも、気遊ではコロナショックの前、昨年の12月に金森幸介とピアノの渋谷毅のライブ、そして非常事態宣言直前の3月末にも金森幸介ライブがあり、2度とも参加しました。
12月のライブの報告で書きましたように、わたしはこの歳になるまで不明にも金森幸介をライブでもCDでも全く聴いたことがなく、どの歌もはじめて聴いた歌ばかりでしたが、独特の歌い方と、激しい心を隠した繊細でシンプルな歌詞と、胸震わせるギターで一気に彼の世界に引き込まれてしまいました。
2度目のライブの時は、新型コロナ感染症拡大に怯える世の中の自粛への同調圧力にあらがうように、金森幸介も10人ぐらいの観客もある種の潔さと言えばいいのか、なくしてしまったらいけない何かを共有する時間でもありました。
「不要不急のライブによく来てくださいました」と金森幸介は言いましたが、コロナショックのもとで、専門家や国、行政の示す「新しい生活」にとって、音楽や芝居は不要不急のものということなのでしょう。
「ひとはパンのみでは生きられない」とする文化が、いざとなればあっさりと切り捨てられてしまう理不尽な現実は、夢を見なければいのちのバトンを繋いでこれなかった何千年の人類の歴史を捨ててしまうことでもあるとわたしは思います。
ともあれ、わたしたちは自粛警察という言葉が生まれるほどの相互監視と、心が柔らかい牢獄に閉じ込められたような閉塞感が続く日々の中、ライブを主催する気遊さんの万全を期した感染予防対策に助けられ、一瞬であるにしても心が解放され、至極の時間を共にすることができました。

そして、3度目の今回は有山じゅんじとの2人ライブでした。
開演時間になり、ひょうひょうと現れた金森幸介は、いつものように肩ひじ張らないMCの後、歌い始めました。このひとの歌を聴いていると、歌はいつ、どこからやってきたのだろうと思います。うれしい時にも悲しい時にも、そしてさびしくてさびしくて心のよりどころを見失った時にも、歌はいつもすぐそばにあった…、たしかに今聞こえてくる歌は金森幸介の心から生まれた歌に違いないのでしょうが、その一方で彼の心の回路に紛れ込んだ遠い時代の流行り歌、いくつもの時代を通り過ぎ、消えていった無数の歌たちがこの星のどこかにある歌の墓場からよみがえり、金森幸介という稀有の歌うたいの心と身体に憑りついたようなのです。
その憑依の現場に立ち会ってしまったわたしは、世界で一番遠い場所にあるわたし自身の心のもっとも柔らかいところへとたどり着く…、まさしく、金森幸介の音楽はわたしを惑わせる媚薬なのです。

休憩をはさんで現れた有山じゅんじは、金森幸介とはまたちがう歌の回路を通って、わたしの前に現れました。金森幸介と同じく、わたしはほぼ同時代の風にさらされていたのに彼の音楽を一度も聴いたことがありませんでした。
金森幸介とおなじように有山じゅんじも「五つの赤い風船」に参加し、その後「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」を結成し、いくつもの名盤とライブシーンを残しました。
ソロ活動をスタートさせてからも独特のギターと歌で多くのファンを魅了してきた有山じゅんじのギターは、例えればその音の連なりだけで大きな荒野が迫ってくるようで、その荒野はブルーズの誕生の地へとつながっていくようなのです。
最近、長年中東で活動していた「心優しい革命家」が近くに引っ越してきて、朝のゴミ出しの後に彼の家に立ち寄ると、ロバートジョンソンのCDがかかっていてとてもうれしくなったのですが、そういえば50年代後半から60年代にかけてだったでしょうか、「日本人には本物のジャズやブルーズやロックはわからないし、ましてや演奏できるはずがない」とよく言われました。たしかに理不尽を通り越した差別と弾圧の長く黒い歴史の淵から生まれた黒人音楽の奥深さを前にしては、そうなのか知れません。
しかしながら、有山じゅんじのギターからは、そんなせせこましい考えは音楽とはまったく関係ないのだと教えてくれるようです。伝説となったロバートジョンソンのブルーズは全米各地でその土地土地の土の匂いと空気に溶け込んで少しずつ変質しながらも、怒りと悲しみだけではない出会いや恋やはかない夢を取り込みながら広がり、やがて大陸からはみ出した音楽は海を渡り、日本にもたどりついたことを、有山じゅんじのギターと歌が教えてくれました。
彼のギターの圧倒的な高揚感とどこまでもフレンドリーな歌声が、今回のようなコロナショックの元でもわたしたちに「だいじょうぶ」とささやいてくれているようでした。
そして、金森幸介と有山じゅんじのコラボでは、とくに金森幸介の音楽がドラマチックになりました。実際、金森幸介のソロは辻々で歌う吟遊詩人のようでしたが、有山じゅんじのギターはその音楽が本来隠し持っている「演劇性・物語性」を引き出し、二人の音楽は対話しながら高揚し、もうひとつの音楽が生まれるのでした。
最後に歌った金森幸介の「もう引き返せない」ではその高まりは頂点に達し、感極まって、思わず涙があふれそうになったのはもわたし一人ではなかったと思います。

コロナショック後の社会がどうなっていくのかと誰もが不安を抱える中、音楽やライブのありようも先が見えない状態が続いています。たくさんの集客を求めるショービジネスでは韓国の超人気グループ「BTS」のインターネット配信の大成功にみられるように、今後はネット配信が一定以上の役割をになうことになるでしょう。
しかしながら、肉声と生身の身体で表現してきたライブのだいご味をわたしたちは捨てることができるのでしょうか。金森幸介が「我々はしょせんかわら乞食」と言ったように、芸能のルーツに立ち戻れば、これまで自己増殖してきた巨大なエンターテインメントではなく、気遊さんが用意してくれる小さなライブの大切さに気付くことになるのかもしれません。今回のライブはその可能性を秘めた、いとおしいライブとなりました。
こんな素敵な時間を用意してくれた金森幸介さん、有山じゅんじさんと、お二人が絶賛されたPA(音響)の村尾さん、そして「気遊」のオーナー、スタッフに感謝します。

もう引き返せない 金森幸介 with 有山じゅんじ

金森幸介 - 心のはなし (Official Video)

有山じゅんじ - Think of You

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