カレンダー「やさしいちきゅうものがたり」原画展

カレンダー「やさしいちきゅうものがたり」原画展が、みのお市民活動センターを会場に開かれています。
わたしは一昨日、5日の初日に遊びがてら手伝いに行きました。会場に行くと、前回の箕面市立メイプルホールと同じフリースペースなのですが、雰囲気はまるでちがい、より画廊の個展に近い感じで、原画をゆっくり見てもらえる展覧会になっています。また、みのお市民活動センターのスタッフの方々がとても親切なのも、うれしいことです。
特別の照明はないのですが、程よくイラストを照らし、わたし自身あらためて原画をゆっくり見ることができました。そして、この7年間の松井しのぶさんのカレンダーへの深い思いがひとつひとつのイラストに隠れていて、わたしが絵を見つめるのではなく、絵の方がわたしを見つめているような思いにとらわれ、なかなか次の絵に移れず、うれしい金縛りの時間を体験しました。
この日は雨でしたが来場者も多く盛会でした。
夕方、とてもていねいに原画を見てくださる女性に声をかけたところ、隣町の吹田市のひとで、この会場がある大型ショッピングセンター「VISOLA」に買い物に来ていたところ、原画展の看板を見て、前日の準備をしているのをご覧になったそうです。
「ちらっと見ただけでとてもかわいく、やさしくて、それでいてなぜか胸に切ないものが込み上げてくる絵に感動し、今日はゆっくり見たいと思って来ました」と、話してくださいました。
そのお話を聞き、この原画展を開いてほんとうによかったと思いました。そして、この原画展に向けて一生懸命準備した豊能障害者労働センターのスタッフのみなさんに感謝したいと思います。

この日は加納ひろみさんに加えて、労働センターのスタッフたちを中心に2時間ぐらいのライブを予定していました。加納ひろみさんは何度も箕面に来てくれている神戸のシンガーソングライターで、被災障害者支援・ゆめ風基金の歌姫とも言われています。
朝から雨が降っていてライブは中止にしようかと思ったのですが、事務所に加納ひろみさんの出演を確認する電話が入ったとのことで決行することになりました。
会場内にも場所を借りていたのですが、やはり外でしようとテントを張り、音響の設営をし、ライブをはじめました。
加納さんは豊能障害者労働センターの機関紙「積木」に載ったスタッフの言葉に曲をつけた歌を歌ったり、もうずいぶん前、1970年代にアメリカのロックグループが脱原発をよびかけてつくった歌を、わたしたちの友人でもありフォークブームの頃、関西のフォークシーンを切り開いたひとりでもある「ピンク」が訳詞した名曲「パワー」を歌ってくれました。ギターに、かつてヘビーメタルバンドをしていた豊能障害者労働センターのスタッフのテラムラさんがほぼぶっつけでとてもいい演奏をしていました。
次に登場したのは労働センターのスタッフ・田岡さんのおとうさんのハーモニカでした。「ふるさと」と岡春夫が歌った「啼くな小鳩よ」を演奏してくれました。
「啼くな 小鳩よ 心の妻よ なまじ啼かれりゃ 未練がからむ」。
当然この曲を知っていたのはわたしひとりでした。
その次に、以前豊能障害者労働センターの友人グループの花屋さん「ぐりーん・ぐりーん」で働いていたハギワラさんがなつかしい歌謡曲や、「満月の夕」を熱唱しました。「満月の夕」はロック・バンド「ソウル・フラワー・ユニオン」の中川敬と「ヒートウェイヴ」の山口洋の共作で、阪神淡路大震災以前にほぼできていたものを、被災地の惨状を見て中川敬が一気に補作し、「ソウル・フラワー・ユニオン」版として被災地で歌ったのが最初と言われています。
フジイさんのオカリナ、カワベさんのパンクロックのような奇妙な尺八とつづき、最後はもう一度加納さんの歌で終わりました。
その間、雨はどんどんはげしくなり、なかなかお客さんがゆっくり音楽を聴く雰囲気ではなかったのですが、向かいの映画館の軒先で雨宿りがてらおそるおそる聴いてくれたり、準備中の喫茶店の軒先で聴いてくれたりで、雨のライブも無事終わりました。
大型ショッピングセンター内で、しかもシネコンの向かいのスペースに突然現れた不思議な人々の不思議な音楽は、街の日常の片隅に小さな非日常の穴をつくりました。たとえば唐十郎の紅テント芝居の入り口のように、あるいは村上春樹の「1Q84」の物語の始まりとなった高速道路の非常階段のように…。
思えば豊能障害者労働センターの活動は、あたりまえといわれる日常から「もうひとつの街」を夢見ることであったことを、降り続く激しい雨の中で思い返しました。

 

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