ほんまもんの研究者は、簡単な技術で人々を幸せにできる

少し前の朝日新聞に、「土のうを使った、日本発の道路整備の技術が、アジアやアフリカの途上国に広がっている」という記事がありました。道路の建設は農産物の流通市場や医療サービスをつなぐもっとも大切な基盤整備の一つです。道路を高度な土木技術と高価な先進の機械で作るのではなく、安くて簡単な工法で住民が自ら道を造り、道を補修することができる方が、自分たちの道路という意識も高くなり、現地の住民たちにとって持続可能な開発技術として定着していくということです。

「木村亮・京都大教授が理事長を務めるNPO「道普請人」(ミチブシンビト)が作業を指導する。まず、木村教授が手本を見せる。50センチ四方の土のう袋に砂利を詰めて並べ、木製の器具で叩いて固める。土のう袋は一枚25円。土のうを使って道の弱い部分を補修すると、アスファルト舗装の20分の1で、現地調達できる材料で、安く簡単に直せる。」

土のうによる道路建設はケニア、ウガンダなどアフリカ、アジア11カ国におよび、道を直した後、市場への農作物の運送費が3割減り、農民の収入は5割増えたと言います。木村教授が土のうによる道直しに取り組むようになったきっかけは「ほんまもんの研究者は、簡単な技術で人々を幸せにできる」という12年前の恩師の言葉だったそうです。まったく同じ例として、アフガニスタンでの中村哲医師は「蛇篭(じゃかご)」という道具で鋼線や竹で編んだ篭に石を詰め、土嚢のようにして護岸を作るという方法で、現地の住民が補修できる持続可能な用水路建設に成功しています。機械をほとんど使わず、現地調達できる簡単な材料道具で作る道路や用水路の方が、機械が故障したりそれを動かす技術者がいなくなれば補修できなくなるハイテク技術で作られたものより持続可能で安上がりで、なおかつ住民の暮しをより良くするという真実があります。この、ひとにやさしいというか、そこに住む人々にわかりやすく、そこに住む人々に役に立つ技術、ほんとうの意味で持続可能な技術、木村教授が言った「簡単な技術で人々を幸せにできる」技術と正反対の位置に原発があるのではないでしょうか。それを開発した科学者が「開発してはいけなかった」と言わせた科学、それを利用する技術を開発した技術者ですら制御できない技術によって成り立つ社会をわたしたちは選んでしまったのではないか。この大震災によってたくさんの命を理不尽にも失い、今なおたくさんの人びとが困難な状況におかれている現実の中で自然の暴力性にたじろぐ一方で、原発という人間にも自然にも制御できない、とてつもない高度で難解な技術の暴力性に気付いたというよりは、いままで見ないふりをしてきたのではないのか。

これからのわたしたちにもしやり直すチャンスがあるとすれば、「専門家」というひとたちになにもかもゆだねてしまうのではなく、簡単な技術で人々を幸せにできる土のうの技術で補修できるような部分をできるだけ増やす社会に近づくために、助け合うことではないかと思います。そして、わたしたちの求める「恋する経済」は貧しくて、とても小さなものかも知れないけれど、土のうの技術のように「ひとを幸せにする経済」でありたいと思うのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です