箕面市立病院のこれからを考える集い 箕面市議会議員中西とも子さん

8月15日、箕面市立中央生涯学習センターで開かれた箕面市議会議員の中西とも子さんの集まりで、「箕面市立病院のこれからを考える集い」に参加しました。
箕面市では新市長が打ち出した「箕面市新改革プラン」のもと、公立幼稚園の廃止、保育所の民営化、箕面市国際交流協会とメイプルホール財団の合併などとともに、新箕面市立病院についても民営化や統廃合を視野に入れた計画が検討されています。「財源健全化」のため民間委託などアウトソーシングによる(目先の)コストダウンを目的としています。

わたしは1984年から2003年までの20年を箕面ですごしました。その間、高槻の兄のもとにいた母が年に何度か箕面に来ては1、2か月ほど一緒に暮らしていました。
戦後の混乱期を潜り抜け、シングルマザーで大衆食堂を切り盛りしながら兄と私を育ててくれた母…、そんな母が脳梗塞で倒れ、箕面市立病院に入院しました。そのころ、箕面市は箕面市立病院に先駆的なリハビリ病棟をつくり、「ライフプラザ計画」のもとで医療と福祉が連動する先進的な施策を始めていました。母の住民票を移し、意欲的なリハビリ診療からわたしの家に戻り、老健施設でのデイケアサービスと訪問看護サービス、ホームヘルプサービスを受けていましたが、2週間ほどで再度倒れて入院、一か月半後に母は亡くなりました。
その日の朝早く、ひときわ強く雨が降り、雷がとどろきました。付き添いのベッドで眠ってしまったわたしが目を覚ますと、母はわたしのほうに顔を向けていました。口からは、いつもとちがう「ぶるぶる」という音とともに、つばがあふれ出ました。おかしいと思いつつ一時間ほどたったでしょうか。突然またつばがあふれ、顔の血の気がすっとなくなり、わたしの前から、母のいのちは遠くへ旅立っていきました。
8月1日には86才の誕生日を迎えるはずの1997年7月13日、日曜日の朝でした。病室の窓から何度も見た箕面の山々は降りしきる雨にぬれてぼんやりとくもり、その下に広がる街並みは、一日の生活をはじめようとしていました。
苦労ばかりの人生だった母は2週間だけの箕面市民でしたが、最期に手厚い医療と福祉サービスを受けられたことを今でも感謝しています。

市町村など地方行政の財政はさらに大きな問題を抱える国の動きにほんろうされ、目先も先行きも厳しい現状で、財政調整基金(市の貯金)の目減りをせき止めるために最初に手を付けやすいのが民間委託ということでしょう。
ゲストの川西市議会議員の谷正充さんから、川西市立病院が指定管理者制度という、事実上民営化になった経過とその後の現状を報告していただきましたが、公的サービスの民営化で得られるコストの削減とひきかえに、民間企業の労働者を劣悪な条件で働かせ、建物・設備の維持管理もふくめたサービスの低下は避けられないでしょう。
そもそも医療などいのちにかかわる事業を収益事業として「黒字」をめざすのがほんとうの経営と言えるのかということもあります。今度のコロナ禍での医療切迫・医療崩壊は、万が一のために医療資源を手厚くしていたものを「無駄」と削減してきた結果であることは紛れもない事実でしょう。
お話を聞いていて、生身の一人の患者にとってすべて公立や公的サービスでまかなえないのなら、そのコストがどれだけかかりそのための財源をどこで用意するかなど、この問題は一市町村だけで解決できることではなく、国の施策の在り方ともかかわる大きな課題だと思いました。
わたしは、病院だけにとどまらず、公的サービスのコスト削減を民間委託やアウトソーシングで切り抜けて来た段階はもう限界で、そのひずみが結局また社会全体のコストとリスクを増やしていくと思います。これからは、企業経済の成長をあてにしたGDP主導の経済政策に費やす資金を、命にかかわる医療・福祉・保健や市民共通の財産・資源の管理に生かすべきだと思います。それはいままでさんざん言われた「無駄遣い」ではなく、将来のこの国、この社会への社会的投資とするコンセンサスが求められるのではないかと思います。
実際、新たな経済成長の本命とされるグリーン・ビジネスなどに投資する政策は企業主導のGDP神話を温存するだけで、結局のところ格差を広げることにしかならないと思うのです。
医療・福祉・保健・社会保障はコストではなく、実は先人から引き継がれた社会共通の富・財産として、自然財産とともに維持管理していくことが将来の産業の担い手を持続的に確保することになり、ほんとうの意味で次の世代に安心安全で豊かな社会を残すことだと思います。そして、それを可能にするのはその共有財産を国や行政だけに任せず、わたしたちが共に担い、その中身の(企業的コストパフォーマンスではなく)社会的コストパフォーマンスを点検し、助け合うことが必要で、その仕組みを作るのが政治の役割だと思うのです。
例えば、すくなくともいち早くオリンピックを取りやめて、その巨額なお金をコロナ禍でいのちを守る医療・保険体制につぎ込んでいたら、今のような危機的状況にはならなかったと思うのです。

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