映画「ムヒカ 世界で一番貧しい大統領から日本人へ」

1月3日、映画「ムヒカ 世界で一番貧しい大統領から日本人へ」を観るため、阪急電車売布神社そばの「シネ・ピピア」に行きました。不要不急の外出を控えるように言われていたのですが、年末年始家にこもっていて、妻がこの映画をぜひ観に行きたいとわたしも誘ってくれたのでした。
タイトルの「ムヒカ」とは南米ウルグアイの政治家で、2009年11月の大統領選挙に当選し、2010年3月1日より2015年2月末までウルグアイの第40代大統領を務めたホセ・アルベルト・ムヒカ・コルダーノで、報酬の大部分を財団に寄付し、その清貧な暮らしぶりから「世界一貧しい大統領」と呼ばれました。
世界的に有名になったきっかけは、2012年にブラジル・リオデジャネイロで開かれた国連持続可能な開発会議のスピーチでした。消費社会に異議を唱え、本当の幸福とは何かを語り、世界中に衝撃と感動を与えました。
「我々は発展するために地球上にやってきたのではありません。幸せになるためにやってきたのです。」リオ会議のスピーチをもとにした絵本『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』(汐文社)が15万部超のベストセラーになりました。
映画は、そのスピーチに心を動かされたテレビディレクターの田部井一真監督がアポなしで取材を申し込むところから始まります。
見渡す緑の大地の道をトラクターに乗りながら、ムヒカはわたしたちに語りかけます。
「君が何かを買うとき、お金で買っているのではない。お金を得るために費やした人生の時間を買っているのだ」。

ウルグアイ(ウルグアイ東方共和国)は1828年にラスペインから独立した南アメリカ大陸で2番目に面積が小さな国です。独立後も長らく内乱が続きましたが、20世紀初頭のホセ・バッジェ・イ・オルドーニェス大統領の大改革により、「南アメリカのスイス」とも評される稀有な民主主義国家となりました。ほとんどの土地は平らな荒れ地と、緩やかな丘の風景が広がっています。また、海岸近くには肥沃な耕作地帯が広がっています。国土の多くは草原となっており馬や牛や羊が飼育されています。
しかしながら、1960年代には深刻化する経済危機を背景に都市ゲリラトゥパマロスとの抗争が続き、1973年にトゥパマロス鎮圧を果たした軍部によってクーデターが実施され、軍事政権になります。ムヒカはその間トゥパマロスに加入、ゲリラ活動に従事し、軍事政権が終わるまで13年近く収監されていました。
ムヒカは出所後、ゲリラ仲間と左派政治団体を結成し1995年の下院議員選挙で初当選し、2005年にウルグアイ東方共和国初の左派政権となる拡大戦線のタバレ・バスケス大統領の下で農牧水産相として初入閣します。そして2009年11月の大統領選挙戦で勝利し、 2010年3月1日より2015年2月末までウルグアイの第40代大統領を務めました。ムヒカに限らず、かつての極左ゲリラ活動家が中道左派政権を樹立し、また国民がかつてのゲリラ集団の政治家を支持したことも、政情不安や軍事政権の抑圧、理不尽な暴力など非情な時をくぐり抜けて獲得したウルグアイの民主主義の底力を感じます。

ムヒカを取材した.映画は他にもありますが、田部井監督はテレビ番組の若いディレクターらしく、ドキュメンタリーというよりテレビ番組のロングインタビューという感じで、観客のわたしたちと同じ場所からカメラを向けます。ムヒカの言葉をただひたすらまっすぐに待ち続ける真摯な姿勢や、自分の子どもに「ホセ(歩世)」と名付けるなどムヒカへのリスペクトがなみなみならず、映されたスクリーンからはみだしたというよりは、スクリーンの映像がまさしくムヒカの家や農園、付近の風景と立ち込め緑とむせ返る匂いとさわやかな風を映画館に運んできたようなのです。
意外にも一度も日本を訪れたことのないムヒカが、日本の歴史や文化にとても詳しいことに驚かされます。ムヒカは子どもの頃、近くに住んでいた日本人移民のひとたちに菊づくりなどを教わっていたのでした。
田部井監督は何度もウルグアイへと渡り、大統領退任後のムヒカへの取材を重ね、多くの日本人にムヒカの言葉を聞いてほしいと願いました。その思いに応えてムヒカは妻のルシア・トポランスキーとともに日本を訪れます。
広島を訪れた彼は「日本に来てここを訪れなかったら、日本の歴史への侮辱だと思う。」と語ります。そういえば彼の部屋に貼ってあるゲバラもまた革命政権が成立した直後の1959年に広島を訪れ、「君たちはアメリカにこんなひどい目に遭わされて、怒らないのか」と言い残したことが有名です。
日本の高度成長の姿と技術の進歩を賞賛しながらも、彼は言います。
「とても長い、独自の歴史と文化を持つ国民なのに、なぜ、あそこまで西洋化したのだろう。衣類にしても、建物にしても。広告のモデルも西洋系だったし。あらゆる面で西洋的なものを採り入れてしまったように見えた。日本には独自の、とても洗練されていて、粗野なところのない、西洋よりよっぽど繊細な文化があるのに。その歴史が、いまの日本のどこに生きているんだろうか」。
日本の若者に会いたいという彼の願いから、東京都内の大学で講演し、若者に語りかけました。
「日本では若者の30パーセントしか投票に行かないと聞きました。政治を放棄すれば少数の人々がそれをコントロールすることになります。魔法が世界を変えてくれるなんて思わないでください。同じ考えを持つ誰かと共に行動することで望みが叶うのです。
「若いみなさん、ふたつの選択肢がある。ひとつは『生まれたから生きる』、もうひとつはそこから出発して、私たち自身の人生というものを方向づける。すなわち、この奇跡のような生をうけたということの大義のために生きるのであります」。
「人生で一番大事なことは成功することじゃない。歩むことだ。転んでも再び立ち上がることだよ。打ち負かされる度にまた一から始める勇気を持つことだ」。

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