オリンピックの即時中止とそのお金をすべてコロナ対策に!

今年初めての記事です。新型コロナ感染拡大のさ中、ややもすると体も心も引きこもりがちです。しかしながら、その危険を救ってくれるのは友人からの「どないしてる?」の一言で、こんな時だからこそ共に助け合うことがほんとうの安心につながることを実感しています。
年相応の勇気をふりしぼって、新しい一年を過ごしたいと思います。
今年もよろしくおねがいします。

折しも新型コロナ感染症の拡大が爆発的になり、1月8日現在、東京で2400人を越える感染者、全国でも7700人、大阪でも654人と報じられました。
どこの国においても未曽有の事態で、政治が間違うことは避けられないとは思いますが、間違いを認めないまま対策が小出しで、これでは封じ込めは困難とどなたも思われるのではないでしょうか。
安倍政権を引き継いだ現政権は感染対策よりも経済対策の方に傾いていると思います。それも、飲食店や居酒屋、そこで働く非正規雇用の人々、個人事業主の悲痛な叫びに十分な補償をせず彼女彼らの悲鳴を盾にして「GOTOキャンペーン」を強行しました。
たしかにそれで経済は回ったのかも知れませんが、人の移動を後押しし、感染拡大につながったことは間違いないと思います。因果関係がないと強弁する向きもありますが、同じような経済対策をとったイギリスでは検証チームによって実証されたという報道もあります。
結局ところ、菅政権の「自助、共助、公助」の言葉どおり、感染症拡大による医療関係者やエッセンシャルワークに携わる人々への補助も十分でなく、また非常事態宣言の下でも要請に応じることができない店の公表という罰則でさらに窮地に追い込み、また自粛要請とは裏腹に店を訪れる「お客さん」の財布をあてにし、耐えられないお店は自助努力が足らないと切り捨てる政策なら、公助を受け持つ政治は何のためにあるのかと愕然とします。
中国の「ゼロコロナ」のような強権による封じ込めではなく、あくまでも要請でしかない今の法から、強権を発令する法を求める声とその声を利用して法整備をしようとする動きにファシズムの匂いを感じます。
ここまで感染が拡大する中で、強権発動ではなくこの国に住むわたしたちひとりひとりの行動変容を真剣に求めるならば、わたしはオリンピック、パラリンピックの中止を内外に表明し、いままで投じてきた莫大なお金が無意味になったとしても、これからの資金すべてを医療や保健、エッセンシャルワークに携わる人々や本当に切羽詰まっている町の経済と8万人を越えるコロナ失業者への思い切った給付や助成につぎ込み、この国で生きていてよかったと思えるような、政府や権力層の本気と覚悟を示してほしいと思います。
オリンピックに向けて期待を背負い、自分を追い込んできたスポーツ選手たちの落胆と憤りは相当なものかも知れませんが、世界各地からたくさんのひとびとが集まり、日本からまた世界各地に「命の危険」を拡散する可能性が高いことは、すでに外国では指摘されています。また今のオリンピックには本来のスポーツの在り方とは程遠いものがあると思われ、世界が抱えるいくつもの問題とおなじように、オリンピックの在り方も見つめなおす機会ではないとか思うのです。

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