村上春樹の新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」3

村上春樹の新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」には、静かな時間が流れています。しかしながら、その静けさは36才という彼の年齢からすれば、あまりにも静かすぎるといえるでしょう。これからまださまざまなことがふりかかり、人生を切り開かざるをえないはずです。そんな彼がクールではげしく感情をぶつけたりもしないのは、やはり16年前に4人の友人から一方的な絶交を宣告された事件が彼の心をいわば半開きのドアのようにしていて、人生の何事にもほんとうに心を全面的に開いてコミットすることを恐れるあまり、それが彼の人格にまでなってしまっているのです。
それは彼一人の問題のようですが、その背景として1995年の阪神淡路大震災とオウム真理教事件によって、戦後民主主義と経済成長神話が著しく損なわれてしまったことと共振しているとわたしは思います。
あのとき以来、わたしたちは昨日よりは今日、今日よりは明日と、世の中もわたしたちの暮らしもよくなっていくことや、誰でも努力すれば幸せになれるという幻想を持つことができなくなってしまいました。もちろん、いつの時代でもだれもが幸せになることなどはなかったのですが、戦後の巨大な幸福幻想は個々の運不運や幸福や不幸を飲み込み、昔流行った村田英雄の歌のように、「いつかおまえの時代が来るぞ」という言葉がわたしたちに見果てぬ夢をばらまいていたこともまた事実でした。
多崎つくると4人の友人の間にあった濃密な人間関係もまた、多崎つくるに理不尽な仕打ちをしてしまうことで残りの4人の心もばらばらになり結局はこわれてしまいます。
そして16年後の2011年、現実の日本社会は東日本大震災と原発事故によって、さらに困難な状況に追い込まれました。それは16年前にはまだ取り戻せると信じられた経済成長や豊かさは一部の人間の幻想へと変質し、もう一方の多くの人々にとってはすでに遠い過去になりつつあるという現実をつきつけることになったのではないでしょうか。
村上春樹の新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読みながら、もしかするとわたしも日本社会もこの16年間、この厳しい現実から目をそらしてきたのかもしれないと思いました。悲しい時もうれしい時も大きな船にみんな一緒に乗っているという幸せな幻想が壊れてしまってからは自分の現実と立ち向かうことで精いっぱいで、その個々の現実をもたらす社会の現実と立ち向かう余裕も想像力も持てなかったとしてもしかたがなかったのかもしれません。
そしていま、1995年と2011年の2つの理不尽な出来事を乗り越えて、わたしたちはわたしたち自身の、そして日本社会の、さらには世界の市民社会の未来がどんな形と色を持つことになるのかを見つめ、考え、想像し、次の世代にバトンを渡さなければならないのだと思いました。
「記憶をどこかにうまく隠せたとしても、深いところにしっかり沈めたとしても、それがもたらした歴史を消すことはできない。それだけは覚えておいた方がいいわ。歴史は消すことも、作りかえることもできないの。それはあなたという存在を殺すのと同じだから」
多崎つくるのガールフレンドの沙羅の言葉は、読者であるわたし自身の心に放たれた言葉のように受け取りました。

沙羅の啓示ともとれるアドバイスを受けて多崎つくるは16年間の心の封印を解き、かつての友を訪ねる巡礼の旅を始めることになります。
わたしは果たしてかつての友が事前のアポもなく彼に会うことをこばまず、ましてや16年前の一方的な絶交という理不尽な行為の理由を話してくれるものなのか、少し無理があるかなとも思いました。しかしながら、この物語はダイアローグによって語られる多崎つくるのモノローグで、沙羅というガールフレンドもかつての友も、またこの小説でけっこう重要な人物でありながら物語の外に消えていった灰田という青年も、多崎つくるの巡礼物語の狂言回しであることに気づきました。
彼らは多崎つくるの固く閉ざされた心を慎重に開き、高校時代の親密すぎた関係にまで立ち戻り、やりなおしのきかない歴史を検証する巡礼の旅の水先案内人なのだと思います。その意味でもガールフレンドの沙羅が旅行代理店の優秀なスタッフで、彼女がこの旅全体をディレクトし、フィンランドにまで足を延ばした時の飛行機のチケットやホテル、現地のアドバイザーまで手配するのも暗示的です。

この極私的で奇妙な巡礼の旅が、多崎つくるに再生と未来と生きる希望をもたらしたのかといえば、それはなんとも言えません。ある意味、この巡礼の旅は多崎つくるが沙羅とより深い関係になっていくための通過儀礼のようでもあるのですが、旅を終えた後、この二人がほんとうに結ばれるのかはわからないまま物語は終わってしまいます。
あくまでもこの巡礼の旅は過去の検証という役割は果たしたものの、不可解で理不尽な絶交のほんとうの理由を知ったところで、多崎つくるのこれからの人生が変わるかどうかはまた別のことなのかもしれません。
ただ、この巡礼の旅の最後、今はフィンランドで暮らすかつてクロと呼んでいた女友だち・エリとの痛々しい会話の中で、彼はもうひとつの啓示を受け取るのでした。
「私たちはこうして生き残ったんだよ。私も君も。そして生き残った人間には、生き残った人間が果たさなくちゃならない責務がある。それはね。できるだけこのまましっかりここに生き残り続けることだよ。たとえいろんなことが不完全にしかできないとしても」
そして、多崎つくるもまた、エリとの別れ際に言葉にできなかった次の言葉をエリに語りかけるように噛みしめます。
「僕らはあのころ何かを強く信じていたし、何かを強く信じる自分を持っていた。そんな思いがそのままどこかに虚しく消えてしまうことはない」
これが彼の巡礼の旅によって獲得した強い感情であり、これからの人生をどう生きるのかと立ち止まり、新しい一歩を踏み出す静かな決意でもあるように感じました。
それはちょうど、この社会がこの時代がわたしたちが、新しい未来の入り口を予感しながら暗闇の中で立ち止まっていることと重なっています。
思えばこの物語自体がひとつの啓示で、わたしたちが新しい巡礼の旅の一歩を踏み出すのを待っているような気がします。

ボブ・ディラン「時代は変わる」(time they are a changing)
わたしの隠れ家時代への巡礼の旅のテーマソングのひとつです。この歌を初めて聞いたのは以前にも書いたことがある梅田の少しいかがわしいお店「オーゴーゴー」でした。ここには学生運動とは縁がない同世代の若者がひしめいていて、ビートルズやローリングストーンズがかかっていました。その中でアコースティックでリズムがほとんどないこの曲がかかるとそれまで踊っていた若者は一斉に踊りをやめるのですが、ただひとりわたしの妻だけが踊っていて、けっこう一目置かれていました。彼女たち彼たちもまた同時代を生きたもうひとつの「運動」をラジカルにしていたひとたちであったと思います。
ある日、店員が「警察が来ます。すぐに逃げてください」と叫び、みんな一斉に夜のネオンの闇に消えていきました。わたし自身は警察に連行されてもかまわなかったのですが、とりあえずみんなと一緒に逃げました。
あくる日の夜、お店に行くとすでにお店はなくなっていました。

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