どんなに自由を奪われても人間には最後に一つだけ自由が残る

それは自由になろうとする自由です。文学や芸術や音楽は、自由になろうとする自由の産物なんです。(竹中労)

わたしたちは今 世界を見つめなくては
わたしたちは今 政治を学ばなければ
わたしたちは今 明日の灯を守らねば
わたしたちは今 戦争を忘れてはならない

まるで洪水のように
なにもかもが
ひきずり込まれて行く
(1969年 五つの赤い風船「まるで洪水のように」作詞作曲・西岡たかし)

 6月17日、フェアトレードショップ & カフェ エスペーロ能勢で長野たかしさん&あやこさんのライブがありました。
 エスペーロのランチを食べた後、コンサート会場でも、また都会のライブハウスでもなく、里山と田畑の緑につつまれたお店で長野たかしさん、あやこさんの歌を聴いていると、こんなに幸せな時間をお店におられたすべてのひとと共有できることに感謝しかありません。
 後戻りのできないところに来てしまったのかも知れない日本と世界に立ち向かい、それでもまだあきらめず抗い続ける勇気を言葉に変え、言葉にすらできない憤りと希望をメロディに乗せて歌い続ける…。長野さんたちは何年もそうして歌を作りつづけ、歌い続けてきたのでしょう。わたしは2016年から年に一度か二度、ライブに参加させていただいているだけなのですが、これまでにたくさんの歌を作曲、演奏されてきて、プロテストソングといってもずいぶん変わってきたなと思います。
 最初の頃は、長野さんたちの思いつめたメッセージがあふれ出て、その迫力に思わず呑み込まれそうでした。わたしの印象でちがっていたら申し訳ないのですが、その頃は「五つの赤い風船」のメンバーだったことも封印し、目の前で激しく移り変わる世の中にたったひとりで立ち向かっているようでした。

歌の力は信じないけれど、歌でなら手をつなぐことができるかもしれない

 それから次々と精力的に歌をつくってきたその道を振り返れば、きっと彼はそうしなければ生きていけない切羽詰まった心情だったのかも知れません。心の果てから出発したその旅路のつれづれに、いつしかその歌をともに歌う人たちがあらわれ、長野さんたちの歌がその人々を励ますだけでなく、その人たちに長野さんたちが励まされていることを知った時、歌もライブも変わり始めたとわたしは思います。それはモノローグの音楽がダイアローグの音楽へと進化し、プロテストソングがラブソングへと生まれ変わることでもあったのでしょう。
 そうしていつのまにか、「五つの赤い風船」の呪縛からも解き放たれ、フォークソングのシンガー・ソングライターとして、昔の歌もセルフカバーできるようになったのだと思います。
 ひとそれぞれに厳しく激しく切なく、裏切りも別れも絶え間なくつづいた1960年代を乗り越えてきたわたしたちもすでに歳を重ねました。
 60年代という青春の砂浜に置き忘れた貝殻を両手にいっぱい拾い集め、次の時代に手渡すべきわたしたちの願う心が重なり合う瞬間を、長野さんたちは何回もつくり出してくれるのでした。
 久しぶりに長野さんたちの歌を聴いていて、また一段とフェイズが上がったと感じました。それがいいことなのかはわかりません。というのも、その進化の理由が長野さんたちだけにあるのではなく、わたしたちが生きるこの時代がますます個人の自由を許さなくなりつつあるからなのか知れません。
 かつて竹中労は「どんなに自由をうばわれても人間には最後にひとつだけ自由がのこる。それは自由になろうとする自由です。文学や芸術や音楽は、自由になろうとする自由の産物なんです。」と言いましたが、この言葉が切実さを増す昨今、遠く過ぎ去ったはずの軍靴の足音すらきこえてくるようです。
 エスペーロの窓に紛れ込む緑の風と木々のざわめき、鳥たちの鳴き声。この平和な時が軍靴の足音でかき消されることのないように今、長野さんたちは歌う。そして、わたしたちも歌う。

プロテストソングは幾時代をくぐり抜けた未来からのラブソング

 以前にも書きましたが、もし歌にひとの心を動かす力があるとしたら、それはひとの心にはいくつもの扉があり、歌はその中でも密やかに用意されている心の最後の扉を静かに開けるからだと思います。
 どんな武力をもってしても倒せない歌の魔力に恐怖する時の権力者は、歌を自らの権力に取り込もうとしてきました。しかしながら、歌はまたいつの時代も時の権力に抗い、幾時代もの時代をすり抜けて今を生きるわたしたちの心に届くのでした。
 もうすぐ76歳になるわたしの人生を振り返れば、長い人生を共に生きてきたわたしの身の回りの人々、残念ながら別れてしまった人々、この世を去った人々…、愛おしいたくさんの出会った人々を思い出します。青春時代の深夜営業の喫茶店、なかなか開かなかった子ども時代の踏切、さらにさかのぼればシングルマザーの母の背に負われ、畦道の先の家の灯り…。戦後のがれきがまだ残っていた鉄条網の原っぱから歩き始め、戦後民主主義の隙間を生きしのいできたわたしの応援歌はラジオから流れる歌謡曲から始まり、1960年代のフォークソング、そしてビートルズを通りすぎ、今この能勢の地で長野たかしさんのプロテストソングと出会ったのでした。 

キャタピラの止まった先に 佇む花が見つめる
どれだけの人の叫びを 聴けば平和が来るのかと
子どもたちの瞳に映る 炎と黒煙が消えない
国民の命を守るとの 言い訳はもう信じない
(「ふらわーちるどれん」 長野たかし詞・曲) 

 当日の応援ゲストは原ファミリーさん、久手堅さん、中西顕治さんで、ライブ後半は楽しさ満載でした。
 ライブを重ねるごとにゲスト出演者が増え、観客も一緒に楽しむものになっています。