食を守ることは武器より優先される安全保障 鈴木宣弘さんの話

よい子のみなさん、パンを食べましょう。パンを食べると脚気になりません。

ぼくたちがまだ小学生だったころ
街は戦争の傷跡を生々しく残していた
農繁期になると、家のしごとがいそがしくて
学校に来ないともだちもいた
学校の先生の言うことと親の言うこととどっちを信じるねん
親たちはまだ学校も民主主義も信じていなかった
ぼくたちこどもはちがっていた
「あなたがたは自由です。それはたいせつな権利です」
と教えてくれた学校にわくわくした
新しいニュースは学校がいち早く教えてくれた
それがミルクやパンを日本市場に進めるための
アメリカという国家と食料会社の作戦だったこともあった
ドッジボールとハーモニカ
セミの合唱とNHKのど自慢
高校野球と真空管ラジオ
鉄条網と原っぱと布製グローブ
伝説の民主主義は圧倒的な明るさで
貧乏なこどもたちの未来を照らしていた

民主主義は進駐軍のジープに乗ってやってきた

 わたしは小学1年の3学期まで学校に行けない子どもでした。対人恐怖症で学校が怖くて、平凡や明星の付録の歌謡曲の歌詞集で言葉をおぼえました。
 そんなわたしに、学校に来るようにと一生懸命家庭訪問を続けてくれた担任の先生のおかげで、恐る恐る学校に行くようになりましたが、心は固くまわりを気にしながらいつも怯え、緊張していました。結局その性格はずっと変わらず、自己紹介をしたり人前で話をすることはできないまま、76年生きてきました。

 それだけ学校が嫌いだったわたしですが、学校に行くようになると学校の先生の言うことだけを信じる子どもになってしまいました。わたしが学校に行けるようになったことも、学校で学ぶことだけが正しいと思うようになったことも、いつから、そしてなぜだったのか、今でもまだはっきりとはわかりません。
 その頃、大人たちはみんな元気をなくしていました。大人たちが国家に結集し、教えられ、信じていたものが敗戦によってことごとく壊されてしまったからです。それでも今日、明日のご飯を子どもたちに食べさせなくてはとがれきの荒野を走り必死で仕事を見つけ、少ないお金と配給される食料でその日その日をしのいでいたのでした。
 混乱の中、民主主義は進駐軍のジープに乗ってやってきました。
 わたしたち子どもは大人たちの深刻な事情など知る由もなく、学校の先生が教える「自由と平等と権利」という言葉とともに戦後民主主義に夢中になりました。
 この頃、全校生徒が集まる朝礼の時間に、校長先生が「今日はみなさんに大切なお話をしていただきます」と言い、知らないおじさんが「よい子のみなさん、パンを食べましょう。パンを食べると脚気になりません。おうちに帰ったらお父さん、お母さんに教えてあげましょう」と言いました。わたしはさっそく、母に学校で教えてもらったことを話したことを今でも覚えています。
 先日、尼崎の東園田町総合会館で、東京大学教授・鈴木宣弘さんのお話を聞きながら、そんなわたしの子ども時代を思い出していました。

このままでは日本に住むわたしたちは世界で最初に飢えてしまう

 鈴木宣弘さんは日本の食料自給率が種や肥料の自給率の低さを考慮すると10パーセントあるかないかで、海外からの物流が停止したら世界で最も餓死者が出ると警鐘を鳴らしています。国内の農業、漁業、畜産、酪農など地域の種を守り、生産から消費まで「運命共同体」として地域循環的に農と食をささえるローカル自給圏をつくることを呼びかけています。
 お金を出せば食料が変える時代は終わり、不測の事態に国民の命を守るのが「国防」なら、食料を確保するために地域農業を守ることこそがまずやらなければならない安全保障で、「防衛予算5年で43兆円」の一方で「農業消滅」をすすめたら、「兵糧攻め」で日本人の餓死が生々しい現実になると言います。
 コロナ禍とロシアによるウクライナ侵攻によって小麦や肥料の価格が上がった以上に、品物自体が手に入りにくい状況になっている理由のひとつに、例えば中国では穀物の備蓄をふやし、いざという時に備える体制をすすめているそうです。
 他国では食料自給率を維持するために食の生産者に助成することは安全保障の要としている中、日本では関税貿易交渉で自動車や半導体の輸出を有利にすすめるために、消費者には「農業は過剰に保護されている」と喧伝、分断を助長し、農業や酪農など食の生産者を犠牲にしてきたのです。ちなみに、農業、漁業、畜産、酪農など食料生産者への助成を安全保障にかかる費用とすれば、軍事力にかける費用よりも圧倒的に少なく、対費用効果としても優先されてしかるべきではないでしょうか。
 冷静に考えて、なぜこんなわかりきったことができなくて、わざわざ今ある供給力さえもさらになくしていく方向につきすすむのでしょうか。

占領政策から独立し、私でも公でもなく、共による民主主義へ

 それは周知のように、第二次世界大戦後一貫してアメリカの言うままに貿易自由化をすすめ、食料を輸入に頼る政策を進め、そのために日本人の食生活をアメリカの農産物に依存するように改変し、今も、そしてこれからもその政策を変えようとはしないからです。ちなみにアメリカでは、戦争後の占領政策がもっとうまくいったのが日本と言われているそうです。 当時、アメリカの小麦生産過剰を解消するため、日本への売り込み戦略の元、国内各地で学校給食をはじめ「洋食推進運動」が展開されたそうです。
 そのキャンペーンによって、わたしだけでなく数多くの日本人が学校で教えられた「パンを食べましょう」運動によってパンがすきになったのでしょう。
 今から思えば、わたし自身こんなに簡単にパンを好きになってしまったのは「学校が教えてくれた民主主義」のおかげだと今では思います。パンがすきになっただけではなく、学校がすきになったからで、その時わたしにとって学校は苦手な所ではなく、戦後民主主義そのものでした。そのことに気づくと、わたしたちの国は戦後ずっと民主主義と言いながら今もこれからも、あまりにも長いアメリカの占領政策のもとにあるのだと実感します。

  • 巨大な力に種を握られると命を握られる。地域で育んできた在来の種を守り、育て、その生産物を活用し、地位の安全・安心な食と食文化の維持と食料の安全保障をつなげるために、シードバンク、直売所、産直、学校給食などで、生産者と消費者が支え合う仕組みをローカルフード条例として制定する。
  • 農漁協、生協などの協同組合、共助組織、市民運動と自治体行政が核となり、各地の生産者、労働者、医療従事者、教育関係者、消費者などが一体的に結集し、「今だけ、金だけ、自分だけ」のひとたちを排除し、安全・安心な食と暮らしを守る、種から消費までの地域循環型経済を確立するために、それぞれの立場から行動を起こそう。

鈴木宣弘さんの警鐘と提言は、わたしたちの国が本当に独立した民主主義の国として生まれ変わるために必ず通らなければならないことだと思いました。