壮絶な人生の足跡をたどる美しき旅路 映画「パリタクシー」

微笑むたびに人は若返る 宝物のように愛せる思い出がひとつあれば…

 2017年の春だったと思います。
 当時90歳の妻の母親はその年の冬にインフルエンザにかかり、長い間川西市立病院に入院した後、長期リハビリのために別の病院に入院したのですが、短期治療を必要とする病気が見つかり、また川西市立病院にもどることになりました。
 わたしは同行しなかったのですが、母親は車いすを利用しているため妻がいつも依頼していた介護タクシーに乗り、車で1時間弱ほどの距離がある川西市立病院に向かう途中、折しも桜が満開の季節でした。
 運転手さんが「せっかくですから、ちょっと寄り道して桜を見ていきませんか」と言ってくれました。妻の母親は桜が大好きで、その年の春はあきらめていたところでしたので、思いがけない提案に喜び、リフトカーから降りていっときの花見を楽しんだそうです。
 病院に着くと、連絡した時間に到着しないと看護士さんたちがやきもきしていたようです。
 妻の母は2018年4月に亡くなりました。わたしたち夫婦と3人で能勢に移り住んで7年後の事でした。
 映画「パリタクシー」を観ながら、わたしはそのエピソードを思い出していました。 

ちょっと寄り道してくれない? 長い人生でたった10分だけよ

 2022年制作のクリスチャン・カリオン監督作品、映画「パリタクシー」(原題Une belle course-ある美しき旅路)は、タクシー運転手シャルルに高齢の女性をパリの反対側まで送る依頼が入るところからはじまります。金も休みもなく免停寸前で、人生最大の危機に陥っていたシャルルはあまり気が進まないものの、送迎料金もつくその依頼を引き受け、現地に車を走らせます。そこで待っていたのは上品で毅然とした92歳のマドレーヌでした。彼女は自分らしく生きたいと思いながらも医者のアドバイスを受け入れ、介護施設に入居する決心をしたのでした。
 車に乗り込んだマドレーヌは、シャルルに「ちょっと寄り道してくれない?」と言います。
 シャルルはマドレーヌを早く送り届けたいと躊躇するのですが、「長い人生でたった10分だけよ」と言われ、渋々彼女の要求に応えます。
 長い人生をパリで生き抜いたマドレーヌは、思い出の街角をもう一度訪ねながら92年間の生涯の「旅路」を終活に向かう最後の旅に重ね合わせ、次々と寄り道を依頼します。
 最初は自分の境遇への不満や苛立ちで不機嫌だったシャルルは、マドレーヌの人生を共に辿り、アドバイスを受けることで次第に心を開き、タクシーの運転手と客という関係から、いつしか人生を大きく動かしていくパートナーへと変わっていくのでした。
 この映画はロードムービーというにはパリを横断するだけで、その行き先がドラマチックに展開するのでもなく、また老人が思い出の地をただ懐かしむのでもなく、なおさらパリを案内する観光ムービーでもありません。しかしながら、思い出の地に寄り道するたびにマドレーヌが語る、1944年のパリ解放からの壮絶な旅路の足跡をシャルルとたどるロードムービーそのものだと思います。

たたかい終えて見渡すパリの街角で、マドレーヌがわたしたちに託したもの

 マドレーヌの壮絶な人生とはなんでしょうか。ネタバレを許してもらいたいのですが、それは世代も世紀も越え、今に続く長い過酷で理不尽な差別の歴史と、それに立ち向かってきたフランスの女性たちのたたかいの旅路だったのでした。
 1944年、16歳のマドレーヌはパリ解放のためにやってきたアメリカの兵士と熱烈な恋をしますが、たった3か月で彼はアメリカに帰ってしまいます。その時彼女は妊娠していて未婚の母として子どもを育てる道を選びます。やがて結婚した彼女は、夫の暴力に耐えながら暮らしていたのですが、子どもにまで暴力を振るった時、一大決心をして寝ている夫に過激な反撃をします。
 1944年に選挙権が与えられたもの、1968年の「五月革命」まで、フランスの女性が封建的な家父長制のもと、夫の承諾なしでは貯金も下ろせない、中絶も離婚も許されなかったことをこの映画ではじめて知りました。
 男性ばかりに囲まれた裁判で25年の刑を言い渡された彼女は13年で刑を終えた後も、報道カメラマンの息子がベトナム戦争で亡くなるなど、波乱万丈の人生を送ります。映画は「寄り道」の度に想像もしなかったマドレーヌの人生を通して、フランスのおよそ100年の激動の時代をさりげなく映し出すのでした。

 五月革命以後、フランスでは女性解放運動が進み、さまざまな権利を獲得してきました。現在では30代以上の8割の女性が一生涯働き、法律で女性の管理職は全管理職の4割以上と決められています。それが順守できないと罰則があります。
 また2000年に男女平等(同数)の政治参画を規定するバリテ法が制定され。選挙の候補者を男女同数にすること、候補者名簿を男女交互に記載することなどを政党に義務付けています。
 段階的に厳罰化が進められたことなどで、17年の国民議会の総選挙では、主要政党の女性候補者の割合は40~50%、女性議員の比率もほぼ40%まで上昇しました。
 また、1999年にはPACSが法律で制定され、性別に関係なく青年に達した2人の個人の間で安定した持続的共同生活を営む契約を結ぶことで、法律婚に準じる保障を受けられるようになりました。元々はLGBTのカップルのために作られた制度ですが、現在では異性カップルも結婚よりPACSを選ぶことが増えてきているようです。映画ではシャルルがPACSを利用しています。
⒈ 性別に関係なく婚姻関係を結べる。
⒉ 結婚したカップルとほぼ同じ保障や権利が与えられる。
⒊ PACS契約をする時と解消する時に時間とお金がかからない。
⒋ フランス人のパートナーと1年以上一緒に住んでいることを証明できれば、滞在許可証を申請できます。

遅れているのではなく、だれもが幸せになる道を選ばなかった日本社会の、明日はどっちだ

 それにしても、1950年代のフランスの女性たちが日本と変わらない厳しい状況に置かれていたことも意外でしたが、それから現在に至るまでの70年ほどの間にPACSやバリテ法の制定など、日本とはまったくかけ離れた社会へと変わっていったことにもあらためて驚きを覚えます。
 日本では今もジェンダーギャップが146か国中116位、また直近に成立したLGBT理解増進法ではその名称の通り差別する側への配慮を求め、またその根拠としてトイレの問題などをあげつらい、あたかもLGBTQ当事者と女性が対立しているような構図さえつくりだしています。
 1950年代にほとんど同じだったのがこれだけの違いをもたらしたのは日本社会が遅れているのではなく、歩いてきた方向が違うのではないかと思います。日本社会は戦後民主主義の裏側で新自由主義のもとで日本にもあったはずの助け合い文化が追いやられ、すべての人に関わるはずの様々な問題を当事者の自己責任と断罪する悲しい社会へと突き進んできたからではないでしょうか。
 わたしは社会のさまざま問題を鋭く描くドキュメンタリーも観ますが、どちらかというとこの映画のように、バリテ法やPACSなどの制定へとたどり着く社会背景のもとで、物語の登場人物が何を選択し、何を捨てざるを得なかったのかを描くフィクションの方に心が動きます。「パリタクシー」は上映時間90分の間にマドレーヌとシャルルが人生を共にする深い友情に結ばれ、よろこびも悲しみさえも観る者の心を豊かにしてくれる映画でした。