人生を変えてしまったドラマ 山田太一作「シルバーシート」

青春がキラキラした夢を連れ去った後、おとなになっていったわたし自身のドラマ

 「院長、この酒を飲んでみてください」、「どういうことかね」、「へへ、ま、一杯やってみてくださいよ」、「私は酒はやらん、どういうことかね」、「水ですよ」、「水?」。
 若い2人の警備会社の社員が派遣された空港で、一人の老人が心臓発作で亡くなります。この老人はかつて新聞記者で、ロンドンにいたことを何度も話すので、空港で働く人々から疎んじられていたのでした。
 若い2人もこの老人を避けていたのですが、老人が話した「それにしても、なぜ年寄りがなつかしさを少しばかり口にするのを毛嫌いするのかね」という言葉が刺さり、あくる日、彼が住んでいた老人ホームへお線香を上げに行ったのでした。
 誰も訪ねてこないホームに弔いに来てくれたことがうれしくて、同居していた老人たちは彼らの精いっぱいの歓待をと、酒を飲むことを禁じられているため一升瓶に水を入れ、若い2人にはウィスキーをつぎ、酔ったふりをしていたのでした…。
(山田太一作・NHKドラマ「男たちの旅路」シリーズ「シルバシート」)

経済成長の嵐のただ中で、それでもひとびとがまだ分断されていなかった時代

 NHKBSプレミアムで3週にわたり、金曜日の夜に3シリーズ3話ずつ、山田太一の「男たちの旅路」が放映されました。
 1976年から79年にかけて放映されたこのシリーズのドラマは、「若い奴はきらいだ」という鶴田浩二扮する特攻隊員だった中年の吉岡と、はじめは彼に反発しながらも次第に惹かれていく若い世代との友情と恋愛を織り交ぜ、わたしたちの生きる時代のさまざまな切り口を見せる社会派ドラマとして反響をよびました。
 1970年代は戦後から70年安保闘争まで政治と社会のありようが問われつづけた長い「政治の季節」が切ない形で終わり、高度経済成長のもとで車やマイホームなど、個人の欲望や夢へと人々の関心が移ったとされる時代でした。
 その中で山田太一が描くドラマは、「岸辺のアルバム」、「早春スケッチブック」に代表されるように、家父長制をのこしたままの家族の絆や、戦前戦後の習わしや価値観が壊われていく物語だったと思います。
「わかってくれる」と思い込むことが家族のひとりひとりを傷付けていたことを知らされ、自分自身も傷ついてしまう。けれども不思議なことに、「決してわかりあえない」ことを知った時、家族や友人や自分のまわりのひとたちをいとおしく思う。そして、もう一度いっしょうけんめい生きよう、いっしょうけんめいつきあおうと静かな決意をする。登場人物たちの後姿はドラマが終わった後、いつのまにか見ているわたし自身の後姿になっていました。
 「シルバーシート」では老人ホームを訪ねた若い2人が喧騒と夢と明日への希望にあふれる(と思う)時代に取り残されたように生きる老人たちを、「かわいそうだ、こんな風になりたくない」と本音を呑み込み、若さゆえの傲慢と知らずにお金を置いていこうとします。その時老人たちに見つめられ、自分たちの想いがどこかずれているという違和感を感じます。
 その後、老人たちは都電の車庫場で一両の都電を占拠し、立て籠もります。
 「じいさんたちはさびしいんだ、若い奴がすぐにのけものにするからだ、社会に訴えたいことがあるんだ……」。老人たちに好意的な警備員たちがさまざまな憶測をし、老人たちを説得しますが、いっこうによせつけません。 

 人間は、してきたことで敬意を表されてはいかんかね。してきたことを大切にできなければ、人間は使い捨てられるだけじゃないかと、一人の老人が言う。
 こんなことをして世間が敬意を表しますか。すねた子どもが押入れに閉じこもっているのと変わらないじゃないですかと、警備会社の吉岡が言う。
 吉岡さん、あんたの言っていることは理屈だ。あんたは、まだ若い。若いから理屈で納得できる。
 あんたの20年後ですよ。20年たったら、あんたの言っていることが理屈だとわかる。
 わしらは押し入れにとじこもっただけです。
 あんたにはわからないんだよ。税金のお世話になっているもんは、おとなしくしてなきゃいかん。そんなことはわかってるんだよ。だけど、時々、わーっ、わっーて、無茶をしたくなる年寄りの気持ちなんか、あんたにはわからないんだよ。
 これは老人の、要領のえん、悪あがきです。だまって、警察に突き出してくれますねと、老人たちは言うのでした。

わしたちが何を要求しているのか、わかりますか?山田太一の時代を越えた人生の謎

 このドラマを見た時、わたしは30歳でしたが、「あんたの言っていることは理屈だ。あんたはまだ若い」という言葉が、老人たちと同じ歳になった今もずっと心にひっかかったままです。
 ラスト近くの10分間、篭城した都電の中で笠智衆、加藤嘉、殿山泰二、藤原釜足という名優たちがたたみかけるセリフにかくした山田太一のメッセージは、半世紀がすぎて介護保険制度ができて久しくなった今でも、いや今だからこそますますその意味は重くせまってきます。
 まわりがどんな福祉制度で固められても、福祉制度に合わせられてしまう「老い」ではなく、ひとは自分の「老い」と出会い、とまどいながらもどうつきあっていくかを自分で決めるしかないし、自分で決める自由があるはずなのだ…。
 「シルバーシート」の老人たちの痛烈な言葉は、まるで思い通りにならない恋人とつきあうように「老い」を生き、「老い」とつきあう人間のいとおしさ、不思議さをかくしていました。
 「わしたちが何を要求しているのか、わかりますか?」とは、当時テレビの視聴率と格闘しながら山田太一がかけた、時代をこえる「謎」のメッセージなのだと思います。その「謎」を、わたしは今でも解き明かすことができません。
 このドラマが放映されてから50年の間に、たしかに老人や障害者にかかわる福祉制度は大きく変わりました。けれども、人間の不思議さや人生の謎、「老い」や「かけがえのない個性」や「友情」を分かち合う社会の仕組みを、わたしたちはまだ持てないでいるのではないでしょうか。
 このドラマに映る街の風景にも登場人物たちの話す言葉にも、だれもが「今日よりも明日はよくなる」と信じて時速300キロで疾走する時代の風が吹き荒れています。
 その中で必死に立ち止まろうとする山田太一が登場人物たちに託して発した痛烈なメッセージがわたしたちの今を照らし続けていることをあらためて感じ、胸が熱くなりました。