はるか遠くアンデスから届く風の音楽 フローレス・デュオ

日本人の心が実はペルーの人々と深くつながる長い歴史を持っていることを教えてくれた

 5月14日の日曜日、豊中市岡町の桜の庄兵衛で開かれたコンサートに参加しました。
 このブログでもたびたび紹介させてもらっている桜の庄兵衛さんではクラシックの室内演奏を聴くことが多いのですが、小さい会場でできるものならジャンルを問わず開催されていて、いままでもジャズや民族音楽、パーカッション、それに落語の独演会なども開かれています。
 年に何回か、時には毎月開かれることもあったりするのも、きっとさまざまな出会いの中で突然企画が決まることもあるからなのでしょうか。そんなところも桜の庄兵衛さんの音楽に対する矜持とコミュニティスペースへの想いのようなものが感じられ、案内が送られてくるたびに不明にもほとんど知らない演奏者ばかりなのに、「桜の庄兵衛さんが企画されるものなら間違いない」と参加し、楽しませていただいています。
 最近は2回ほどクラシックの演奏会に参加しましたが、今回のコンサートはペルー出身の兄弟、フローレス・デュオとピアノの飛騨峰代さんのユニットによる南米アンデスの音楽と飛騨峰代さんの独奏で映画音楽をたっぷり聴かせていただきました。

ヨーロッパ音楽のくびきから解き放たれた空と風と大地と自由の歌

 開演時間になり、フレディフローレスさんとヘススフローレスさん兄弟による演奏が始まると、哀愁をおびた音色がはるか遠くアンデスの山々と草原から聴こえてくるようでした。メロディーはどこか物悲しく、昭和の匂いが漂う懐かしい歌謡曲のようでもあるのですが、とても明るく陽気なリズムに、ダンスの苦手なわたしでさえ心と体が躍り出すようなのです。子どもの頃、1950年代にロス・パンチョスなどのラテン音楽が日本の歌謡曲とともにラジオからよく流れていました。今回のコンサートでもその頃によく流れていた有名な曲を聴かせていただきました。
 不思議なことに、その頃よく聴いた日本の歌謡曲を今の歌手がカバーしてもわたしにとってただ懐かしいだけの懐メロでしかないのに、同じ頃に聴いたラテン音楽は懐かしいのにわくわくどきどきしてしまう新しさがあり、さすがにワールド・ミュージックなんだと思いました。そして、その「懐かしさ」のわけが歌そのものだけにあるのではなく、歌を越えて日本人としてのわたしの心が実は移民文化とともにペルーをはじめ南米の人々と深くつながり、海を隔てた長い歴史があるからなのだと感じました。
 日本人の心の歌といえば演歌だと言われたこともありましたが、果たして今、日本の大衆音楽の中にどれだけ演歌があるかと問えば疑問に感じるのはわたしだけではないでしょう。しかしながら、明治国家の音楽教育が強制的にヨーロッパの音楽、クラシック音楽の導入から始まったことと、その長い歴史からたとえば滝廉太郎に始まる日本人の優れた音楽家が育って今に至り、大衆音楽のジャンルでもJポップが生まれたこともまた事実で、わたしが最近とても気になるYOASOBI、SEKAI NO OWARI、あんみょん、米津玄師、緑黄色社会、King Gnuなどなど若い世代の才能が世界のミュージックシーンでも引けを取らない時代になりました。
 しかしながらそれでもなお、クラシック、ジャズ、ヒップホップ、ロックンロールなど世界の音楽に対置する日本の音楽が独自の文化を切り開いてきたのかと問えば、心もとないのもまた事実ではないでしょうか。

理不尽な植民地時代の長い歴史の果てに、多様性が紡ぐ希望の音楽

 先日亡くなった坂本隆一さんの追悼番組で、「ぼくたちは欧米の音楽を一生懸命勉強して、見よう見まねでここまできたけれど、それでもそれは借り物で、日本人の音楽と言えるのか。といって和楽器による雅楽、邦楽は僕にとって世界の民謡のひとつとしか思えないというジレンマがある」というような発言をしていました。そのことはかつて永六輔さんも指摘されていました。
 ペルーの場合、スペインによる300年におよぶ支配によりアンデス住民はそれまでに受け継いできた多くの伝統を手放し、新たに押し付けられた西洋の音楽を受け入れざるを得なかったと言います。それでも、長い時を経てギターやチャランゴ、アフリカ由来のカホンなどの楽器とともに西洋音楽と伝統音楽が融合した音楽が生まれ、愛されてきて今に至っているのでしょう。振り返って日本の場合、西洋列強の植民地を免れて以降、国家建設を急ぐ途上で音楽もまた極端な西洋化をすすめた結果、伝統音楽と融合するには150年の時間ではたりないのかも知れません。
 今のわたしは、桜の庄兵衛さんのおかげでクラシック音楽の一部とも触れ、日本的なものを探すことよりも、人間の長い歴史、それも生き残った者や国家が両手どころか体中返り血を浴びながら歩んできた悲しい歴史に思いを馳せるようになりました。幾億ものしかばねを通り過ぎ、片方の天秤皿に核兵器までも載せてしまった世界の現実に、もう一方の天秤皿に楽器という楽器を載せ、奏で継ぎ、歌い継ぎ、語り継いできた祈りと希望が世界の音楽のすべてであると知りました。
 今回のコンサートでも、フローレス・デュオが演奏する南米アンデスの音楽が広大な空と草原から生まれ、風や鳥の鳴き声とともにいくつもの街をとおりすぎ、長い海岸線から一気に海を渡り時空を超えて今ここに届けられたことに心が震えました。

心を縮ませるわたしたちに、「だいじょうぶ」と手渡す音楽の花束

 先日、箕面から能勢の自宅に来てくれる整体師の治療を受けるために目をつぶり、あおむけに寝ていると、いろいろな音が聴こえてきました。
 春先は練習を繰り返していたうぐいすが見事に独奏し、近くの林をすり抜ける5月の風と車のエンジン音までもが地球の独りごとのように聴こえてくるのです。
 人間はきっと言葉をおぼえるより前に歌うことをおぼえ、手に持ったものたちを叩き、鳴らし、その時々の愛を伝え、交歓し、共振していたのだとつくづく思います。
 ここでもまた音楽が生まれる瞬間に立ち会えたことに感謝しました。そして、過酷であっただろう南米大陸の歴史を背負いながらもなお希望と勇気と、そして平和を分かち合えることを彼らの音楽が教えてくれました。底抜けに陽気なリズムと哀愁ただようメロディーは、わたしたちの住む日本の裏側の遠い国から、理不尽な世界で心を固くしがちなわたしたちに「だいじょうぶ」というメッセージを花束にしてプレゼントしてくれたのだと思います。

 そして、彼らの音楽にジャジーな雰囲気を添える飛騨峰代さんのピアノは、5月の風を軽やかに追いかけ、愛おしい時間を草原の緑に染めあげました。
 彼女のピアノ独奏で懐かしい映画音楽の中から「ニューシネマパラダイス」を聴いた時、わたしには桜の庄兵衛さんの新しい米蔵ホールへのオマージュに聴こえました。
 ネタバレで申し訳ないのですが、中年の映画監督サルヴァトーレは青春時代までシチリアの小さな村の映画館・パラダイス座の映写技師アルフレードと世代を越えた友情の記憶を大切にしていました。ある日、アルフレードの訃報が届き、久しぶりに故郷へ帰ると形見のフイルムを手渡されます。それは戦時中に検閲でカットされた膨大なキスシーンをつないだフイルムで、彼はひとり試写室で涙を流すのでした。この映画は、街に一つしかない映画館で映画を観ることが大事件だったわたしの子どもの頃の思い出と重なっています。思いがけず今回のコンサートでこの映画の主題歌をあらためて聴き、わたしもまたそのラストシーンに涙があふれたことを思い出しました。