話し合いと助け合いと共に生きることから始まる真の平和

アフガニスタンのこどもたち。
あなたたちは、いまどんな夢をみているのだろう。
ひときれのパンとつりあうだけの夢を見るために、
どれだけの恐怖の夜を、くぐりぬけてきたのだろう。
わたしたちは思う、あなたたちの、
かなしみとうらみにあふれたひとみが、
わたしたちにも向けられているのだと。
(2001年11月 豊能障害者労働センター機関紙「積木」NO.140号から)

「荒野に希望の灯をともす~医師・中村哲 現地活動35年の軌跡~」上映会・パネル展

 映画「荒野に希望の灯をともす~医師・中村哲 現地活動35年の軌跡~」上映会・パネル展は、3月21日の淨るりシアター小ホールでは125人、25日のさとおか防災コミュニティセンターでは60人の参加をいただきました。
 昨年、難波希美子さんがこの映画を観に行き、ぜひ能勢で上映会をしたいと呼びかけて実現した企画でしたが、能勢町、能勢町教育委員会、能勢町社会福祉協議会の後援もいただき、また朝日新聞と読売新聞に情報が掲載されたこともあり、交通アクセスが良くないにも関わらず、能勢町以外からも中村哲さんを尊敬するたくさんの方々のご参加を頂きました。
 ロシアによるウクライナ侵攻を機に、「武力による抑止力で国を守る」として防衛予算を大幅に増やすことを後押しする風潮が広がっています。
 冷静に考えれば、アメリカの防衛戦略の最前線に配備され、その捨て石になるだけとしか思えないのですが、「攻めて来られたら」という恐怖感から武力に頼ってしまう方向に先導する大きな力が働いています。
 そんなアブナイ状況のさ中、武力に頼らず、甘い理想と片づけられる「話し合い」と「助け合い」と「共に生きる」ことでしか真の平和は生まれないという強い信念でアフガニスタンの医療支援と農業再興に力を尽くした中村哲さんの足跡をたどり、遺志を伝えるこの映画のメッセージをたくさんの方々が受け止めてくださったことに、感謝と共に力強い勇気をいただきました。

「彼らは殺すために空を飛び、我々は食するために地面を掘る」(中村哲)

 中村哲さんとぺシャワール会の活動を知ったのは、2001年のアメリカ同時多発テロと、その後のアメリカと有志連合国軍のアフガニスタンへの空爆など報復攻撃が始まった頃でした。
 2001年9月11日の夜、わたしは箕面の居酒屋にいました。テレビ画面にビルの側面からあふれる煙が見えました。大変な事故が起こったと思いました。しばらくしてそれがテロであることを知りました。アメリカはそれを「戦争」と呼び、「正義の戦争」を掲げて報復攻撃を同盟国に呼びかけました。
 わたしはそれまで、アフガニスタンのことを何一つ知りませんでした。内戦に追い打ちをかける干ばつで農地は荒廃し、危機的な食糧不足と栄養失調で明日の命も危ぶまれるアフガニスタンのこどもたちと、箕面の酒場で酒を呑みながらテレビ画面を見ているわたしとの間には、気の遠くなる距離が横たわっていました。
 わたしはその頃、豊能障害者労働センターで働いていました。障害者がほんとうに一人の市民として暮らしていくことはまだまだ難しいけれど、昔にくらべればほんの少し「豊か」になったことも事実でしょう。そして、その「豊かさ」はわたしたちががんばってきたからだと思っていました。
 けれども、その一方でわたしたちのほんの少しの「豊かさ」が、アフガニスタンのこどもたちの飢えをつくったのではないと言い切れるのでしょうか。あのこどもたちのかなしみとうらみにあふれたひとみが、わたしたちに向けられていないと言えるのでしょうか。
 あの夜、居酒屋のテレビから今まで決して見ることのなかったもうひとつの世界があふれ、「助けて!」と叫ぶこどもたちの悲鳴が確かに聞こえたのでした。

武器を捨てて、スコップとツルハシと鍬で平和をたがやす

 中村哲さんたちの活動をテレビ報道で知った時、それまでただひたすら一日一日を暮らしていくことに悪戦苦闘していて、世界各地の紛争で無数の人々が生活を奪われ、傷つけられる過酷な現実を自分のこととして受け止めて来なかったことを恥じました。
 そして、国家による覇権と侵略の終わりのない歴史の下で、飢餓と貧困と差別に苦しみ、時には命までも奪われてしまう無数の悲鳴が洪水のようにわたしの心の中にあふれるのを実感しました。
 と言って、わたしたちに何ができるのかと問うと、何もできないことに絶望するしかなかったことも事実です。しかしながら、少なくともそれまで「政治はきらいだ」とわがままを言うだけだったわたしは、身の回りで次々と起きる出来事と、世界の果てで涙を流しているかもしれないひとびとの今と未来が、同時代を生きるわたしの心と身体を貫いて、実は深くつながっていることを感じたのでした。
 わたしたちは「つながりたい」と思いました。つながれないかなしさと、それでもつながりたいと願うこころを、とどかぬ心をとどけたい…。
 どの大地の上でもどの空の下にいても、すべてのこどもたちがわくわくするはずの明日を恐れないですむように、わたしたちはささやかな行動を起こしたいと切実に思いました。
 豊能障害者労働センターは、毎年開いてきた大バザーに平和の願いを込めました。北大阪の小さな町でどんなに声高に平和を叫んでも、時の権力者に届かないかも知れない。しかしながら、ひとりひとりの小さな願いが詰まったいとおしい物たちが集う市場・バザーは平和でなければ開けないけれど、さまざまな民族、文化が出会い、行き来することが平和への道の一歩であることもまた確かなことだと、紛争地域の人々が教えてくれたことでした。
 そして、国際貢献の名のもと武器で押さえつける「平和」ではなく、鍬を持ち、荒れた大地を耕し、用水路をつくり、農業を復活させて生活を取り戻そうとする中村哲さんとペシャワール会の活動こそが平和をつくることなのだと知り、貧者の一灯でしかないけれどバザーの売り上げをペシャワール会に送金しました。
 「アフガニスタンで事業をおこなうことによって、少なくとも私は日本、そして世界中を席巻している迷信から自由でいられるのです。一つには、お金さえあれば、幸せになれる、経済さえ豊かであれば幸せになれる、というものです。もう一つは、武力があれば、軍事力があれば自分の身を守れるという迷信です。武力が安全をもたらすものかどうか、丸腰でおこなう用水路建設での私たちの経験が教えてくれます。このような実体験によって、私たちは幸いにも、この強力な迷信から自由です」…、中村哲さんの言葉は、世界中の平和を願うすべてのひとへの熱く強烈な遺言として、今もわたしの心を励ましてくれるのでした。

上映後の西山浩司さんのお話
活動の足跡をたどるパネル展示・さとおか防災コミュニティセンター