能勢の秋1 名月峠

暑かった夏がうそのように能勢では朝晩少し冷え込むときもあり、秋本番となりました。
家のまわりの野原には可憐なコスモスの花が風に揺れ、田畑の隅には彼岸花が真っ赤な花を咲かせています。
「彼岸花咲く野道をはるか…」、島津亜矢が歌う「旅愁」の風景が広がるこの季節はどこかさびしく、去っていった人たちを思い出し、遠い夏のどこかに置き忘れてしまった青春の日々がよみがえるのでした。

先日、夏の間頓挫していた能勢の「探検」を再開しました。能勢の秋を満喫するには最高の日和で、のんびりと午前11時前に家を出ました。
この日は名月峠に行きました。名月峠には名月姫の墓があり、名月姫伝説を今に伝えています。(名月姫の伝説は尼崎にもあり、細部が異なっています。)

名月姫は御園荘領主、三松刑部佐衛門国春の息女で、名月のように美しいから名月姫と名づけられた。姫は大きくなって能勢の豪族、能勢氏の一門の柏原城主、蔵人家包へと嫁入りしたが、あまりの美貌に噂が広まり平清盛の耳に入り、側女に召し出せと命令、泣く泣く家包はしたがったが、名月姫は神戸の福原へ移動する途中、この峠において自害し果てたという。

名月峠を上った所に名月峠バス停があり、そのすぐそばにお墓はありました。中央が名月姫の供養塔である宝篋印塔で、左右の五輪塔は夫家包・父国春の供養塔です。今も嫁入りには姫の墓前をはばかって、通行しない習俗が残っているそうです。
バス停にはNHKの大河ドラマ「平清盛」にちなんでオレンジ色の幟が立っていましたが、もうずいぶんくたびれていました。
大河ドラマ「平清盛」は最後まで不人気のまま終わりそうですが、わたしは実はとても楽しみにしていて、毎年夏までに見なくなってしまうことが多い大河ドラマの中で、妻夫木聡が直江兼続を演じた2008年の「天地人」以来、久しぶりに最後まで見ることになりそうです。
「平清盛」の人気がないのは、何と言ってもこの時代のヒーローは源義経で、義経と源氏の物語の中では平清盛はとてつもなく悪い奴、非情で好色の権力者でなくてはならず、「奢る平家久しからず」という言葉にあるように、ちょっとやそっとではそのネガティブなイメージをひっくり返すことはむずかしいのでしょう。
平清盛を演じている松山ケンイチへの評価がもうひとつであることも理由にされているようですが、わたしはこれも不人気だった「ノルウェーの森」を見てから彼を好きになりました。松山ケンイチは好き嫌いがはっきりする俳優ではありますが大きな俳優であることはまちがいなく、後から振り返ればこのドラマでの経験が彼を成長させたといわれることになると思っています。それにしても名月姫の伝説においても平清盛の悪評はつきず、オレンジの幟がとても悲しく映りました。
このあたりは清和源氏発祥の地でもありますが、わたしの住む「平通」という地名は平家軍が通った所と言われ、源氏と平氏にまつわる伝承も数多くあります。常識的には兵庫県社町の三草山が源平合戦の戦場のひとつと考えられますが、能勢にも三草山があり、才の神峠とあわせて史跡のひとつとされています。
また、安徳天皇が壇ノ浦で水死したのではなく、平氏の残党に警護されて落ち延びたとする伝説があり、九州四国地方を中心に全国に20ヶ所あまりの伝承地があるひとつに、天皇は能勢の野間に落ち延びたが翌年に亡くなったという伝承が墓とともに残されています。
「起こらなかったこともまた歴史である」と言った寺山修司の言葉を借りるまでもなく、事実とフィクションの境目を行き来するさまざまな伝承のひとつとして、名月姫や安徳天皇の物語が、能勢の豊かな里山に残されているのだと思いました。

名月峠を東に下りると田尻小学校がありました。いま、能勢では府民牧場の跡に小学校、中学校をひとつずつ建設し、現在の小学校6校と中学校2校を廃校にする計画が実行されようとしています。
わたしは能勢に住んでまだ1年少ししか経ちませんが、学校の統廃合を考え直すべきではないかというチラシが新聞に何度かはさまれていて、このことを知りました。
全国的に人口が減少していく町や村では学校の統廃合がどんどん進められています。若い人が出て行き、高齢化が進み、子どもの人口が減り、学校がどんどん消えていく…。
かつて箕面で上映会をした「萌の朱雀」そのままの状況が能勢にあることをいまさらながら実感しますが、それでも能勢ならまだその流れを食い止めることができる可能性が残されているかもしれないのです。
子どもがいつの時代においてもその町や村の未来であるからこそ、教育は未来の社会への夢や希望への投資だとわたしは思います。
いま、子どもたちのいじめからくる自殺が大きな問題となっていますが、学校が社会の未来を設計する担い手であるべき子どもたちが友だちとともに学びあう場なのか、それともイヴァン・イリイチが言ったように今の社会や大人の価値観を押し付ける「収容施設」なのかが問われていると思います。そして、わたしたちがそのどちらを選ぶのかで、学校や教育、そして子どもたちにかかわる制度も施策も180度ちがったものになるのです。
能勢では、いままでに統廃合されてきた末に6つの小学校と2つの中学校になっているのですが、どの学校もそれぞれの地域に溶け込んでいて、豊かな自然と地域のなりわいに根ざした知恵など、教科書から学ぶ以上の教育を子どもたちに提供できる、理想といえる学校だとわたしには思えるのです。その大切なたからものをあっさりと捨て、小学校、中学校をひとつにしてしまうのは、あまりにも乱暴ではないでしょうか。
それはまさしく、イリイチが指摘した「収容施設」としての学校であり、彼に言わせればスクールバスも「護送車」だとするのは言葉が過ぎるでしょうか。
この問題については、また考えてみようと思います。

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