わたしの政治みんなの政治、大椿ゆうこさんのたたかう政治。

ひとを幸せにするための政治 参議院議員・大椿ゆうこさんを囲む会 ㏌ 能勢

 8月11日、能勢町淨るりシアター研修室で「参議院議員・社民党副党首の大椿ゆうこさんを囲む会」が開かれました。
 この会は今年の4月、繰り上げ当選で参議院議員になった大椿ゆうこさんの初めての国会で彼女が痛切に感じたことを報告し、参加した皆さんの生の声や疑問に応え共に考えながら、これからの活動の糧にしたいと開かれたものです。議員になって3か月、この国の危機的状況に立ち向かうために一人でも多くの人の憤りや想いを丁寧にすくい上げ、国政に生かそうと全国各地をまわる彼女の行動力と、あるべく政治家としての信念に敬意以外の感想を持ち得ません。
 会は国会議員になった報告と、彼女自身の4年にわたる国政選挙の活動として、また難波希美子さんの町議会議員選挙の応援として能勢町に何度も訪れたことと、自己責任を押し付ける政治からたったひとつぶの涙もむだにしない政治に変えようと訴える彼女の肉声をより遠く深くつたえようと活動してくれたひとたち、それに応えてくれた能勢町民への感謝の言葉から始まりました。
 本題の国会報告では、連立与党が過半数をしめる中、軍拡、原発回帰、入管法、LGBTQにかかわる人権軽視の法案、保険証を廃止するマイナンバー法など、政府が提出した60本のうち58本の法案が十分な議論がなされないまま成立してしまった異様な現実を伝えてくれました。わたしたちと子どもたちの未来を決定づけてしまう重要な法案でも多数決で決められる連立政権の驕りは、立ち止まることも後悔することもなく議論そのものを避けてしまい、気にするのは世論調査ばかりで国会そのものを軽視していると感じます。テレビ番組がそうであるように国会もまたバラエティー化したパフォーマンスの場になってしまったのだと、彼女の報告を聞いて感じました。
 何代も「家業」として仕事をこなす世襲議員が多数を占める政治家という職業人たちがなんの躊躇もなく核兵器の共有を論じ、防衛力を強化することが「平和への道」だと断じる姿は、かつてアジア大陸を侵略し、アジアの民と日本の民をも疑似奴隷化することで経済成長を求めた明治から敗戦までの政治家の姿に生き写しと感じます。
 その暴力と差別に満ちた先の戦争への道を圧倒的に支持したとされるかつての日本人と同じ道を、いまわたしたちが進もうとしているのかも知れないと、世論調査のアンケートでも思います。無謀な戦争を引き起こしたのは戦前の軍国主義で、市井の人々はその被害者なのだと思うことから始まった戦後社会の矛盾は、とうとう次の戦前と危ぶまれる今日の状況にまで行き着いてしまったのでしょうか。そして、すでに野党とはいえない政党が闊歩する現状では野党共闘どころか、彼女彼たちが自認する第二、第三の自民党集団へと結集する翼賛体制へとひた走り、世界の人々が尊敬する平和憲法に助けられた民主主義そのものが壊れかねないと必死に抗うのは大椿ゆうこさんだけではないでしょう。

戦後民主主義を虚像にしてしまっていいの? 憲法が友だちだったあの頃は助け合うことが自由と権利の意味だった

 わたしは、空襲の爪痕が残る広場と鉄条網と走り抜ける進駐軍のジープ、缶蹴りとドッジボールと町内の夕暮れに並ぶ七輪、そんな戦後の黒ちゃけた土の埃につつまれた、戦後民主主義の申し子として生まれ、生きてきました。その日その日のご飯をわたしと兄に食べさせるためだけに髪振り乱してバラック食堂を切り盛りしてくれた母にはほんとうに申し訳ないと思いつつ素直な少年にはなれず、糸の切れたタコのような幸福幻想で切ない現実を塗り替えることで生きていました。
 日本がまだ敗戦により、明治以後の神国日本とコントロールされた悪夢から醒めたばかりの拠り所のない絶望的な状況にありながら、子どもだったわたしたちは極貧でしたが今ほどの格差もなく、どこまでも広がる青い空の下、先生が教えてくれた「自由」と「権利」を体と心一杯に吸い込みました。
 それから時代は変わり、思わぬ出会いから豊能障害者労働センターで20年間活動することで、迷妄に信じてきたわたしの戦後民主主義が独りよがりの小さなフレームの中にしかなかったことを実感しました。もちろん、そのほとんどの理由はわたし自身が自分のことで精一杯で社会にも政治にも無関心なだけだったことは承知しています。
 豊能障害者労働センターでの活動を通じて、障害者の暮らしの困難さが彼女彼たちの自己責任などではなく、同時代を生きるわたしたちの問題であると同時に、その現実をつくりだしているのが政治なのだと知りました。それまで遠く他人ごとのように感じていた政治がわたしたちの切実な暮らしを左右し、時には人の生き死にまでも決めてしまえる権力として立ち現れることを知りました。戦争を引き起こす権力にコントロールされ、その権力を支えてしまう民をつくりだす…、戦前と同じことが繰り返されるかも知れないその中にわたしもまた確かにあるのだと思います。
 その自縛から自らを解き放ち、息苦しさを共に感じる人々とともに誰一人残さず幸せになるための政治へとわたしたち自身が変わらなければならないと思う時、大椿ゆうこさんはそれを甘い理想と笑う者たちに立ち向い、助け合う勇気をともにつくりだそうとひたむきに呼びかける、そんな国会議員としてわたしたちのすぐそばにいることを教えてくれるのでした。

気候危機に敏感な土と共に生きてきた能勢のひとたち。世界は都会のオフイスからではなく過疎地周辺のあぜ道から変わる

 国政報告の後、短い時間でしたが参加されたから、切実な感想と提案がありました。
 人びとの暮らしより軍拡へと突き進む政権に対して、なぜ野党がひとつになって立ち向かわないのか、社民党が立憲民主党と国会で会派を組んでいても、反対ならはっきりと意思表示しないのはなぜ? という疑問に、社民党が単独では福島党首の質問もできないなど、議会での意思表示ができなくなるという苦しい事情があり、やはり単独で動けるように党勢を広げなくてはならないということでした。
 また、農業を生業とする住民が多い能勢ならでの発言がありました。耕作放棄地と空き家が増え、農林業従事者の高齢化と後継者不足、そして、そもそも食料自給率の低さへの危機感よりもアメリカに認めてもらう同盟国であることを最優先する歴代の政権は豊かだった農業を「国策」で衰退させてきたこと。気候危機に対してもっと緊張感を持つべきではないか。もっと大胆で本当に未来に実のある少子化対策をすすめなければ、真っ先に農業の継続がむずかしくなることなど、すぐに大椿さんが解決を約束できない大きな課題が噴出しました。
 農業を生業にする能勢のいわゆる旧村の人々は、土と共に生きてきた経験から気候危機をはじめ地球規模の政治課題にとても敏感なことを、あらためて教えてもらいました。
 会の終わりに、来るべく衆議院選挙に能勢町など9区から立候補を予定しているながさき由美子さんのあいさつがありました。ここ数年、二人三脚で大椿さんを支えてこられたながさき由美子さんは、25年間の保育士の仕事を通して、在日外国人や障害をもつこどもたちにふりかかるさまざまな困難と伴走し、政治は誰にためにあるのかと問い続けてきたことを話されました。
 小さな町での報告会でしたが、意義のある集まりとなりました。
 大椿ゆうこさん、ながさき由美子さん、スタッフの西尾慧吾さん、送迎と訪問で車の運転をされた豊能町の寺本勉さん、そして、参加して下さった方々に感謝します。

国会って、もう少し人の幸せのために法律を作ってる場所だと思っていた。岸田政権がやっていることは、人を不幸にする法律ばかり。岸田首相の答弁は、耳にも心にも残らない。ついでに情熱もない。無表情で淡々と悪法を通す。やっていることは安倍政権よりも酷い。憲法9条をないがしろにし、軍拡へと道を開き、改憲を目論む岸田政権を止めるのは今です。
大椿ゆうこ