都構想の亡霊が闊歩する街から、たった一粒の涙が輝く街に。

11月1日に実施された、大阪市を廃止し4つの特別区に再編する、いわゆる「都構想」の賛否を問う住民投票は、2015年の前回と同じ、反対がわずかに上回り否決されました。
わたしは大阪市民ではないので投票はできませんでしたが、開票が始まりテレビの特番にくぎ付けになりながら、祈る思いで見ていました。
連日連夜、大阪市民のみならず大阪府全域から集まり、大阪市内各所でチラシまき、街宣行動などをやり続けた多くのひとびとの運動に参加しなかったことを心苦しく思っています。
今回は、吉村知事のコロナ対策に過大な評価が集まり、連日関西のみならず関東のテレビ報道番組でも吉岡知事をほめたたえるコメントが連日つづいたことで橋下徹氏以来の全国的なブームになっていて、奇しくもその大波は能勢町の選挙でも証明されました。
その中での住民投票で、ほんとうのところ「都構想」は通ってしまうかも知れないと思っていましたが、多くの人々の地を這うような働きかけでその大波にもまれず、大阪市民のみなさんが賢明な決断をされたことを尊敬します。

大阪維新の会の10年の政治は「身を切る改革」の名の下で、公務員の締め付けと公的機関やセクションの統廃合と民営化を進めてきました。
「身を切る改革」を維新の会の実績とするのは宣伝のたくみさで、大阪市の場合は2003年から2007年までの関淳一市長時代の改革を橋下氏及び維新の会が引き継いだという事情があります。2004年、大阪市の職員厚遇問題(カラ残業や、ヤミ年金・退職金の積み立て等、不正な金の流用)が発覚、関市長は上山信一氏ら外部有識者の助言を得て市政改革に取り組みました。橋下氏と維新の会の実績とするものの中味は、すでに関市長時代に実行されたものも数多く含まれているはずです。しかしながら関市長時代は行政内部における抗争だったものを、橋下氏と維新の会は広く市民の支持を背負い、「既得権益を打ち破る正義の味方」とイメージづけることに成功したのでした。
実際、大阪市民の7割が維新の政治に満足しているという報告もされていますし、わたしの親しい友人は別にして、隣近所や少し離れた知り合いのひとたちの中にも維新の政治を評価し、吉村知事をアイドルやヒーローとする人たちも確かにいます。
そして、「大阪の成長を止めるな」というキャッチフレーズは、あたかも維新政治が大阪を成長させてきたかのような印象があります。大阪を成長させ、市民の暮らしがゆたかになったとする維新政治が果たしてその通りなのかは人によって感じ方が違うのかも知れません。それでも大阪が成長したと受け止められるのは2008年のリーマンショックを経て世界の景気が持ち直したことと、コロナ前の数年のインバウンド効果によるものなのでしょうが、冷静に見るとここ10年の大阪の成長率は全国平均よりも低いのが現実です。
維新政治による大阪の10年は、その理論的支柱のひとりで、企業経営の手法を行政改革に取り入れた上山信一氏のシナリオ通りに進められてきたように思います。
上山氏によれば「維新政治は既得権益向けの事業を引きはがし、遅れていたモノレール延伸、淀川左岸線の建設、教育、医療など次世代向けの事業に予算を振り向け、さらに関西空港を再生させ、万博を誘致するなど全国に例のない大改革をやり続けてきました。大都市はインフラや教育など将来への投資をしなければすぐに衰退します。企業も市民も食べていけません。維新改革では都市再生の原資を役所の徹底した経営改革や企業との連携で捻出してきました。」と自画自賛しています。
たしかに、民間企業で働く多くの人々にとって役所や公務員への妬みともいえる感情は、いつ非正規雇用になり不安定な暮らしに陥るかも知れない恐怖感ともいえるものとつながっていて、維新政治は心を縮めて日々を生きるひとびと、そして毎年2万人を越える自殺者の恨みが公務員、高齢者、在日外国人や個別の事情から公的な助成を受ける障害者や原発避難者に向けられることを利用した、いわば「恨み妬みの民主主義」によって支えられているのだと実感します。
しかしながら「身を切る改革」によってお金を生み出し、大阪が成長していくと標榜する維新の政治は、実は身を切らされるひとびとの犠牲の上に成り立っていることを、わたしたちは忘れてはいけないと思うのです。
上山氏の言う企業経営と行政がまったく別のものとは思いませんが、街も都市も地域もそこで生きる多様な人間が作っていくものであるならば、行政には企業経営の手法では決して解決できない人間の悲しみや寂しさや喜びや希望と向き合い、企業経営が無駄とみなしてしまうすべてのものを受け入れられる豊かな想像力を必要としているとわたしは思います。時にはひとりの人間が流すたった一粒の涙を街や社会が分かち合うことで救われることがあることを、高度経済成長が遠くなった今だからこそ強く感じるのです。
維新の会に限らず、成長神話に囚われる人たちがめざす社会は、今までもそうであったように「強い者」だけを認め、自分以外の他者を信じず、他者を傷つけながら自分を傷つけることでしか生きられない孤独な社会だとわたしは思います。
その意味においても、「都構想」が否決されたことは、マスコミが盛んに喧伝しているような、「変革を恐れた現状維持」とか「大阪市を残したいというノスタルジー」だけではないと思います。「都構想」が「二重行政の解消」を隠れ蓑にして、大阪府という広域行政が大規模なインフラ投資と万博、カジノ事業を進めやすくするためのものであり、「身を切る改革」が当初の公務員バッシングを経て、地域の病院や保健所、学校など公共施設の統廃合や民営化によって市民生活そのものを脅かしていることに気づいた市民が、広域行政に待ったをかけた結果だと思います。
また、維新の会の真の狙いが東京都に対置できる「副都心」として大阪府の広域インフラを目指し、「身を切る改革」と成長幻想を持って再度国政への野望を実現しようとしていることにも、少なからずの市民が見逃さなかった結果とも言えます。
ともあれ、維新の広域行政による権力集中と国政への野望は再度仕切り直しになったことは、大きく言えば「自分たちの街の未来は自分たちで決める」大阪市民によって日本の民主主義と地方自治が土俵際でかろうじて守られたのでした。
「都構想」は断念したその直後に、大阪維新の会は広域行政の一元化に関する条例を府と市で策定し、来年の2月に条例案を両議会に提出するとしています。両議会で第一党の維新の会は「都構想」のように住民投票をしなくても、市がやっている広域事務を全て府に一本化し、市の財源を府に移譲するという、実質「都構想」と変わらない条例の成立をもくろんでいるのです。
松井市長の2年半の任期までになりふり構わず広域行政による権力集中と大阪市の財源を手に入れたいということでしょうが、大阪市民のあの重い選択をどう受け止めているのでしょう。
大阪市民のみならず、大阪府民、さらには曲がりなりにも戦後日本社会の民主主義の拠り所である地方自治を踏みにじるこの条例を許してはならないと強く思います。

菅田将暉 『まちがいさがし』 作詞・作曲・プロデュース:米津玄師

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