ともに生きることは銃を持つよりもとても勇気のいることを

だれが教えてくれるの?

ずっとむかし
人は手をつかうことをまなんだ
その手はときどき銃をもったが
その手はときどき楽器をかなでた
その手はときどき爆弾をおとしたが
その手はときどき鍬をもった

ころしあうことをおぼえたが
あいしあうこともおぼえた
ののしることをおぼえたが
うたうこともおぼえた

そしていま
ぼくたちはなにをまなぶの?
平和はまもるものなの?つくるものなの?
ぼくたちはちからによってしか生きられないの?
世界は引き算なの?足し算なの?
ともに生きることは銃をもつよりも
とても勇気のいることを
だれが教えてくれるの?

侵略をやめ、即刻停戦を! 「共存」と「助け合い」を模索する国際社会へ

 10月7日に始まった戦闘で、ガザでは約9000人を越える命が奪われました。その半数が15才以下の子どもです。
 世界中で停戦を呼びかける動きがはげしくなり、各地で街頭行動が頻発していますが、イスラエルは攻撃をやめようとせず、今後どれだけかけがえのない命を傷つけ奪うのか計り知れません。イスラエルの地上侵攻と空爆を止められない「国際社会」もわたしたちも、後世にこれまで以上の禍根を残すことになると思います。
 わたしは暴力や戦争には反対ですが、ハマスの攻撃が「テロ」とは思いません。イスラエルはもとよりアメリカをはじめとする欧米諸国は1948年、パレスチナの人々が暮らしていた土地を一方的にイスラエル建国の地とし、イスラエルはそれ以後今日まで侵略を繰り返し、数多くのパレスチナ難民を生み、日常的に虐殺してきたことを西側のメディアは報じず、あたかも今回のハマスの反撃だけを取り上げ、テロ集団と言うレッテルを張っているにすぎないと思います。それに「国際社会」が歯止めをかけるどころかイスラエルの侵略を「自衛」と言い換え、後押ししているのです。
 イスラエルではハマスの攻撃を予見し、阻むことができなかったことに国民の批判があり、それを挽回する意味もあって何が何でも10倍返しをするのでしょう。
 ハマスをテロ集団というなら、イスラエルこそテロ国家と言わざるを得ません。
 停戦を呼びかけるなら、まずイスラエルの侵略を即刻止めることが先決で、「国際社会」の一員としての日本政府もわたしたちも原油高を懸念するだけの自分勝手な理屈ではなく、アメリカにべったりの「国際社会」が壊れようとしている世界の現実をみつめなおすことこそ、ほんとうの「自分事」だと思うのです。
 アメリカを正義とする西側の「民主主義」国家のもとでの抑圧からも、それに対抗するロシア、中国など、西側諸国が一方的にレッテルを張る「絶対権威主義国家」、「一国社会主義国家」のもとでの抑圧でもない、自由と権利と平等と人権に加えて、「共存」と「助け合い」を模索する新しい民主主義と社会主義が共存、協力しあう国際社会のあり方が問われているのだと切実に思うのです。

地球が人間を見放そうとしている時に、戦争や侵略をしている場合じゃない

 実際、わたしたち人間の「類」としての歴史は長い間領土の奪い合いと苦役を強いる労働力を得るため「個」としての人間をある時は奴隷として、ある時は労働者として奪い合い、有限のものでしかない自然の富を奪い、成長と進化と欲望と引き換えにひとの命までも奪ってしまうところにまで来てしまいました。
 そしていよいよ、長い間それを抱きとめてくれた地球そのものが、気候沸騰、気候危機という形でわたしたち人間を見放そうとしている時がせまってきていると感じます。
 刻々と迫るイスラエルのガザへの地上侵攻が迫る中、世界の人々とともに、大阪でも10月28日に約500人の人々が集まり、29日には川西能勢口駅駅前でも有志による即刻停戦をよびかけました。28日は中之島公園の集会の後、大阪梅田駅前まで街頭デモの後、ヨドバシカメラ前でたくさんの人による「子どもをこれ以上殺さないで」、「地上侵攻をやめろ」とそれぞれの思いや憤りと、祈るような悲痛な叫びが次々と続きました。
 この日は日本人だけでなくパレスチナや周辺のアラブ諸国など、イスラム出身の人々が多数参加されていて、泣きながら通り過ぎる人々に訴える姿に、言葉はわからないのですが涙がこぼれました。 

 「ハマスによる攻撃が理由もなく起きたわけではないと認識することもまた重要です。パレスチナの人々は56年間にわたり、息の詰まるような占領下におかれています。彼らは自分たちの土地が入植によって食い荒らされるのを目の当たりし、暴力に苦しめられてきました。」
                  グテーレス国連事務総長

「パレスチナ人の自由なしにわれわれの『自由』も不完全だ」
                  ネルソン・マンデラ