「PEACE MARKET・のせ」を終えて思うこと

5年前に能勢に引っ越してきたわたしは、ひとみに映る圧倒的な緑に心が洗われる毎日で、小椋佳の歌にありますが「だれに感謝しようか」と思ってきました。
しかしながら、一方で大人になろうとする子どもたちは街へと出て行き、高齢化と過疎化は目を覆うばかりのスピードで進んでいて、そのスピードに合わせるように町内各地にあって地域の生活と文化の拠点でもあった学校は廃校になり、ひとつの学校に統一されてしまいました。
過酷な局面を何度も乗り越え、農業をはじめとして生活の糧を生み出してきた能勢町のひとびとの努力によってかけがえのない里山が支えられていることを知り、のんきに里山を満喫し、自然を楽しむだけではだめなのだと考えるようになりました。
といって、農業をしようと能勢町に移住してくる「期待される移住者」にはなりえないわたしになにができるのかと、考え込んでしまう毎日です。
一方で、日本社会全体の片隅で生きてきたわたしは、よくもわるくも世界と日本の大きな政治や経済、社会の流れの中にあり、昨今の国がとても危ない向かう方向にアクセルをふかしていることをとても不安に想い、自分になにができるのかと思いまどう日々でもあります。
おびただしい屍、沖縄やアジアを踏み台にし、人権を踏みにじりながら築いてきた「平和」や「民主主義」の看板すらおろし、「本土」の人々までも踏み台にすることで再出発しようとする「美しい日本」は、「異国」でしかないと感じます。
わたしは若いころから政治的な行動が苦手で、大きな政治や社会の暴力に見つからない隠れ家を探し続けてきた人生でした。そこでなら身も心も安全で平和に過ごせるというユートピアなど存在しないと知った時、絶え間なくやってくる緊張にいつもびくびくしながら、森進一や三上寛の歌によってその日その日をなんとか生きてきたのでした。
そんなわたしでも豊能障害者労働センターが受け入れてくれたおかげで、社会的なことや時には政治や平和についても学習し、すこしずつ自分の意見を言うこともできるようになりました。
人生の残りの時間が少なくなり、わたしはもっとはっきりと自分の思いを伝え、他者の思いを聞き、いままで他人には言えないと思いながら心の奥に隠していた言葉にならない心情を吐き出す勇気を持たなければならないのでしょう。
今年の参議院選挙が日本の大きな歴史的転換になることは間違いない事ですし、いままで政治のことは苦手と逃げてきたわたしにさえ、生きていける場所を用意してくれた憲法に恩返しをしなければならないと思っています。
といって、はっきりした政治的な行動をとることはできないわたしは、せめていままで選挙や政治のことは話して来なかった知り合いや友人たちと気持ちを通わせながら話し始めることや、これからまた続けられるシールズなどの集まりに友人たちをとともに積極的に足を運び、「自分はここにいる」という意思表明を自分自身にしていきたいと思います。

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