ピースマーケット・のせスペシャルコンサート「友部正人」

南へ下る道路には避難民があふれ
僕は10トントラックで大阪へやってきた
友部正人「大阪へやってきた」(1971年)

若いひとには届きようもない話をします。
1968年、わたしは21才でした。高校を卒業して就職した建築事務所を半年でやめ、ビルの清掃をしながら延々と続く青春の闇をさまよっていました。大学紛争や70年安保闘争など騒然とした街のただ中で、まるで自分のまわり1平方メートル四方の沈黙の荒野にたったひとり、どんなに声をはりあげても誰にも届かない孤独を持て余していました。
朝の6時にアパートの窓を開けると、蒸気機関車が黒い煙を吐き出していました。タンスもなく段ボールに押し込んだ湿っぽい服を着て大阪駅に着くと、よく家出少年と間違えられました。
ある日の仕事を終えた夕方、大阪にはじめてできた梅田地下街で、大学生たちがアジ演説をしていました。その頃街のあちこちでよく見る風景でした。聞き取りにくい独特の語り口で「帝国主義打倒」、「人民解放」、「革命勝利」と絶叫する同世代の若者の前に立ち、彼の話が一段落した時にわたしは尋ねました。
「あなた方が解放しようとする人民の中にわたしは入っていますか? わたしには社会性がまったくなく、あなた方のように社会を変えようという覇気もないのです。もしあなた方の目指す社会が実現した時、わたしは迎えられるどころか真っ先にやり玉に挙げられるような気がするのですが」。
わたしの話に戸惑いながらも、その青年はそれも社会に問題があるとかなんとか、一生懸命にこたえてくれました。しばらくして「ピー」という笛の音とともに「曾根崎警察です。いますぐに解散しなさい」という声が聞こえ、後ろを振り返ると100人もの若者がわたしの後ろにいました。彼女たち彼たちは熱心にわたしたちの話を聞いていたのでした。
学生運動の若者もあつまっていた若者もみんな、いっせいに散らばって行き、地下街は元通りの日常に戻りました。わたしもまた、その場を離れ、かくれるように街の雑踏に紛れ込みました。
1970年に入り、あの時の若者たちとおなじようにわたしもまた大人になり、その後に暴力的なスピードでやってきた高度経済成長のるつぼに呑み込まれそうになった時、聞こえてきたのが友部正人の歌でした。日本のフォークソングは1965年ぐらいから一大ブームになっていましたが、わたしにとっては藤圭子の「夢は夜ひらく」とともにやってきた三上寛の「ひびけ!電気釜」と、友部正人の「大阪へやって来た」が最初の出会いでした。
それはすでに人生を自分を社会を裏切ることを覚えてしまった大人のわたしにとって、かつてあの梅田地下街に100人の若者と共にいたことを証明する青春の挽歌だったのかもしれません。
それ以来、友部正人の歌はわたしのもう一つの人生を今も生きる青春そのもののような気がします。彼もまたわたしとほぼ同じように年を重ねているはずなのに、その舌足らずな歌声は少年の瑞々しさをなくさず、その時その時の時代の空気をいっぱい吸い込み、100人分のその後の物語を歌いつづけているように思うのです。

友部正人「大阪へやってきた」(1971年)

友部正人「一本道」

PEACE MARKET・のせ2017スペシャルコンサート「友部正人」
5月14日(日)
16:30開場 17:00開演
能勢町淨るりシアター大ホール
全席自由席
参加協力券大人前売2500円 当日2800円
中・高校生 前売当日共1000円
小学生以下無料・入場可  障害者介護者1人無料

チケットのお申し込みは
TEL/FAX:072-741-9606(細谷)
E-Mail:info@koisuru.net
チケットぴあhttp://t.pia.jp/
TEL:0570-02-9999【 Pコード324801】
e+(イープラス)【PC/携帯】http://eplus.jp/
【直接購入】ファミリーマート
ショッピングセンターノセボックス店頭購入

主催・ピース マーケット のせ2017 実行委員会
後援・能勢町/社会福祉法人能勢町社会福祉協議会
能勢町人権協会/公益財団法人箕面市国際交流協会

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