深呼吸にメロディがついているかのよう 島津亜矢

3月18日はテレビ朝日の「古館伊知郎ショー」、19日はNHKBSプレミアムの「新・BS日本のうた」、20日はBS日テレの「歌謡プレミアム」と、3日連続して島津亜矢がテレビ出演しました。
テレビ朝日の「古館伊知郎ショー」は音楽番組ではなく、市川海老蔵と小池百合子、天海祐希と広瀬すずなど、何組かの組み合わせにそれぞれ古館伊知郎が加わり、話題の人物の心情・心境を引き出すという構成の中で、ゲスト2人に歌を届けるパフォーマンスゲストとして島津亜矢が登場し、美空ひばりの「川の流れのように」を熱唱しました。
古館伊知郎が「演歌界のマリアカラス」、「深呼吸にメロディーがついているかのよう」と形容し島津亜矢を紹介すると、天海祐希が歓声をあげました。
そして、島津亜矢の歌声に聴き入るうちにみるみる目が潤みはじめ、大粒の涙を流しました。歌い終わると号泣寸前で、「とても素晴らしい歌を、ありがとうございました」と何度もいう天海祐希はほんとうに感動していて、興奮冷めやらぬという印象でした。
16年前の父親と死に別れたことなどを話した後だったこともあり、美空ひばりの晩年の人生と切り離せないこの歌をいとおしくよみがえらせ、この歌のたましいのもっとも深い所へと降りていく島津亜矢の歌唱が稀代の女優・歌手の天海祐希の琴線に触れたのでしょう。
美空ひばりの歌手人生の後半は「演歌」の領域にすっぽりとはまっているため、この歌も演歌の名曲と言われています。
しかしながら島津亜矢の歌唱は演歌の領域を大きくはみ出し、シャンソンにも似た奥行きのある歌になっていると思います。実は美空ひばりの歌唱もまた演歌の領域を越えていますが、美空ひばりの場合はブルースやジャズの匂いがします。
わたしの想像の中では美空ひばりのブルースの領域から島津亜矢のシャンソンの領域へとこの歌のいのちが引き継がれ、バトンが渡されたように思います。
事実この日の島津亜矢は、あきらかに昨年末の紅白歌合戦の時よりはずいぶんリラックスしていて、心なしか彼女本来の声ののびやかさと「歌を詠み、歌い残す」稀有の才能を存分に披露してくれました。
わたしは今でも美空ひばりから手渡される歌のバトンがあるとしたら島津亜矢が受け取り、美空ひばりが果たせなかったさらなる歌の冒険を美空ひばりのいのちのゴールから走り出す宿命にあると思っています。しかしながら、それは何も演歌という、実は1970年代にJポップの抬頭から無理やりねつ造された「日本人の心の歌」を引き継ぐことではないと思っています。
明治以来、強引に導入された西洋音楽の暴力に踏みにじられ、押しつぶされそうになりながら、それでも西洋の音階の一音から次の一音の間に日本独特の「うた」を忍び込ませ、楽譜にない「こぶし」や「うなり」を発展させてきた「日本の音楽・日本のうた」を、戦後のがれきの上のリンゴ箱をステージにして美空ひばりは歌い、よみがえらせてきました。
日本が誇る世界のブルースの女王・美空ひばりの長い旅路の果てにリュックサックいっぱいに詰め込まれた歌という歌、言葉という言葉、メロディというメロディを受け取り、島津亜矢はその重いバトンを次の世代の誰かに手渡すために孤独な旅をつづける過酷な宿命を引き継ぐことになったのだと思います。
かく言うわたしは音楽の専門家ではもちろんなく、また音楽のことをよく知る人でもないのですが、島津亜矢のファンになった2009年の秋以降、それまで漫然と演歌歌手のひとりとしか思っていなかった彼女の歌にはどこか演歌の枠にはまり切れないものを感じていて、それが何なのかをまだ理解できないのです。いつの時代もまったく新しい思想が世の中に定着するまでのあいだ、過去の時代を表現する思想と混在するように、大きく時代が変わる予感を歌はさりげなくわたしたちに教えてくれているのかもしれません。
島津亜矢は1970年代以降の演歌を出自にしながらも、その予感を現実のものにする歌い手として恩師・星野哲郎や、出会えなかった阿久悠、もっと歌をつくってもらいたかった船村徹、若い才能をこよなく愛した美空ひばりなど、時代を背負い時代を歌い、時代を変えた歌詠み人たちのミューズとして降臨してきたのだと確信します。

古館伊知郎もまた司会者でもキャスターでも解説者でもなく、言葉が時代を変えることができるのかを問い続ける言葉の狩人で、その意味では阿久悠が歌でやろうとした冒険をやり続けてきた人だと思います。この人の場合は、あらかじめ言葉をつくっておく脚本によるのではなく、自分の体と心にうずもれた言葉の破片をつなぎ合わせ、ひとつの出来事を言葉という「もうひとつの出来事」で語り尽くしたいという願望がとても強く、それが本人も思いもしなかった真実にたどり着く場合もありますが、不発に終わることもあるようです。
今回の放送でもこの番組のすばらしい所なのかも知れないですが、ゲスト2人とあらかじめ筋書きをつくらず、古館伊知郎の振りにゲストが答えてくれず、ちぐはぐで間の悪い時間が流れ、その気まずさがまた次の気まずさを呼ぶという感じで、今のところ「報道ステーション」以後の自分のパフォーマンスを探しあぐねている印象でした。
しかしながら、その中で「深呼吸にメロディーがついているかのよう」と島津亜矢を讃えた言葉にはびっくりしました。彼がかつて得意とした異業種格闘技の時の言葉のパフォーマンスを彷彿させる名言でした。歌が人類誕生の時とほぼ一緒に生まれ、自然の様々な音とつながる呼吸に声帯の震えが重なって声が生まれ、メロディが生まれ、何かを伝えようと言葉を発見した人間の切実な歴史をたどる稀有の歌手・島津亜矢をこれ以上の言葉で語るのはむずかしいかも知れません。
そして古館伊知郎が言葉で島津亜矢の底知れぬ才能を表現したように、天海祐希は同じく稀有のアーティストとして、感動の涙で表したのだと思いました。

島津亜矢「川の流れのように」

島津亜矢「函館山から」
美空ひばりのカバーではこの歌の島津亜矢が大好きです。小椋佳が美空ひばりに贈った最高傑作であり、世界に誇れる「日本の歌」のひとつと思います。戻らぬ青い時と、若さゆえに傷つけてしまう心とそれを悲しみでつつんでしまう心。この短い歌の中で書きなぐられる時のキャンバスに残された後悔だけが砂浜の石となって点在する…。過ぎてしまった青春を歌う詩人・小椋佳の到達の地点にたたずみ、美空ひばりの悲しみさえも包み込む包容力を、いつのまに島津亜矢は獲得したのでしょうか。

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