国の未来をどちらに託すべきなのか、国民ひとりひとりに鋭く問いかけた選挙

衆議院選挙は自公与党の圧勝でした。
今回の選挙は、安倍首相の突然の解散ではじまり、希望の党が安倍一強体制を覆す受け皿の政党として発足し、マスコミ情宣など小池さんの狙い通りの大きな風が吹いていたのが、民進党からの合流の候補者に対する「踏み絵」と「排除」から枝野さんが立憲民主党を立ち上げ、終わってみれば野党の分裂による自民党の圧勝と立憲民主党の「大躍進」という、予想もしなかった結果になりました。
またもつづく安倍政権への権力集中が憲法の改正(改悪)をはじめ、国の未来にとって取り返しのつかない悪い結果を用意するのではないかと、不安に思う人々も少なからずいるのではないでしょうか。
「森友・加計」問題は旧来の自民党なら長期政権がもたらす疲弊として、事の真意は検察にゆだね、自らの自浄作用で政権交代していたはずです。それでも安倍政権が揺るがないのは、小選挙区という選挙制度の下では内閣の力が強く、自民党が政党としての自浄作用を発揮するどころか圧倒的な人数の議員もまた「寄らば大樹の影」と依存するだけで、自立軸を持ち、執行部と内閣にものを言えなくなっているのではないでしょうか。
思えば日本社会の悪しき慣習で、国会議員から隣人同士まで自分の意見を言ったり自分らしく生きることがますます難しくなっているように思います。

そんな閉塞した状況の中から突如として吹いた立憲民主党の風は、今回の選挙の思わぬサプライズとなりました。枝野さんたちが逆襲に出た、まるでドラマのようなどんでん返しは痛快で、自民党の中でも「えっ」と思った人たちがいたことでしょう。
追い詰められたひとびとへの判官びいきというひとたちもいますが、わたしはちがうと思います。強大な自民党に対抗するための政権選択と言うよりも、風が吹いているところに合流して当選しようという旧民進党の候補者の姑息さが小池さんの「排除」の論理以上に目立ち、当時は有利とされる希望の党からの出馬を拒否し、筋を通すことを決意した立憲民主党の候補者たちに正義を感じた人々が次々と結集した結果だと思うのです。
そして、立憲民主党が立ち上がるとすぐに、共産党が自党の候補者をとりさげても立憲民主党にラブコールを送り、市民と立憲民主党と社民党の共闘をすすめたことが立憲民主党への追い風になりました。
現実主義者と自認するひとたちにいつも軽蔑されるけれど、政治のジャンルにも純情と情熱と救国の志をもって愚直に未来を切り開こうとする政治的結集が残されていることを、立憲民主党と共産党と社民党が証明してくれました。
選挙が終わり、またぞろ野党の結集を進める動きがありますが、立憲民主党の枝野さんは「権力ゲームとは距離を置き、国民目線という軸をしっかりと守りながら進めていく」と述べ、早急な野党の結集には否定的な考えを示しました。
そして、民進党参院議員らを念頭に「永田町の内側の数合わせにコミット(関与)しているという誤解を(有権者に)与えれば、期待はあっという間にどこかに行ってしまう」と指摘。安易な党勢拡大に走らず、衆院の無所属当選者や民進党参院議員との連携にとどめるとしました。
まったくもって、正しい選択だと思います。民進党のあいまいさが希望の党と立憲民主党に別れ、政治理念がわたしたちにわかりやすくなりました。これまでは不本意ながら民進党に投票してきた人もまた、自分自身の考えをはっきりと表明できる政党として、希望の党と立憲民主党に投票できたと思います。
わたしは立憲民主党、共産党、社民党と市民との協働を支持しますが、これから立憲民主党が永田町の数の論理に野心を持ち、矜持を捨てることのないように願っています。わたしは共産党の支持者ではありませんが、共産党が議席を減らすことを覚悟して立憲民主党との共闘を猛烈に進めたことは忘れてはいけないと思います。もちろん、政治的なテクニックや戦略をあわせもちながらであることは当たり前のことですが…。
わたしの住む大阪9区では共産党の立候補予定者が候補を取り下げ、各市町村の共産党の地方議員と市民派議員と市民の協働で社民党の統一候補者を立て、実にさわやかな選挙戦を戦いました。残念ながら届きませんでしたが、市民と各党との信頼関係が深まり、政治的現実を変える力もまた政治的経験やテクニックだけでなく、純情な政治的理念であることを教えてくれたのだと思います。
だからこそ、政治家の安易な連携で自民党に抗するのではなく、国民との直接民主主義、街頭民主主義による国民運動によって、国会の外で自民党と対置することに期待します。
60年安保を待つまでもなく、かつて「自民党をぶっつぶせ」と叫び、街頭で投票権を持たない国民に直接訴えることで社会的ムーブメントを掻き立て、自民党総裁になった小泉元総裁・首相の教訓を痛いほど学んだ自民党には、国会での数合わせよりも路地裏の運動に脅威を感じるはずです。

そして、わたしにはまったく理解ができないのは、旧民主党政権時代の政策への極端な悪評のトラウマが蔓延していることです。わたしはそれ以前の自民党政権と安倍政権の間に挟まれた民主党政権は、わたしたち窮民にとっては決して自民党政権と比較して「大失敗」と言われるほどのひどい政権だったと思いません。
確かに民主党がマニフェストに示した政策が実現しなかったことはたくさんありますが、そのどれもに猛烈に反対したのは自民党でしたし、公立高校無償化をはじめたくさんの政策がそのまま安倍内閣の手柄になっているところもあります。
麻生内閣末期のリーマンショックによる世界的な金融市場の混乱と景気後退で最安値となった株価も、民主党時代には持ち直していました。アメリカが今日本が実施している超金融緩和政策をとり、民主党の金融政策は財政の健全さを保ったことから急激な円高・ドル安を招いたことで輸出産業が窮地に追い込まれたとされますが、東日本大震災の時には円高で助かった面もあったのではないでしょうか。その東日本大震災の対応がひどかったと言いますが、今になって明るみになった東電のひどさや、安倍政権の歴代の復興大臣の傲慢さをみれば、果たして自民党政権ならうまくいったのか大いに疑問です。
激動の時代に膨れ上がる国の借金にしても、民主党のせいとは到底言えませんし、反対に「埋蔵金」を引き出すための事業仕分けが非難されるほどでした。
そもそも安倍政権が大胆な金融政策で急激な円安誘導ができたのも、民主党時代の日銀の金融政策が欧米に追随しなかったことで可能になったともいえますし、「何もしなかった」とされる民主党政権は大企業に対してで、「コンクリートからひとへ」という政策理念は、もしかすると今もっとも必要なものなのかもしれません。
ともあれ、長い間障害者の所得をつくりだす活動をしてきたわたしには、「国民の生活が第一」とする民主党の政策はとても身近に感じていました。
立憲民主党の政治理念には、旧民主党の政治理念が受け継がれていると思います。自民党や内部留保をため込み、グローバルに利益追求する大企業の極端なバッシングに左右されず、それを信じる若い人たちの誤解を解き「まっとうな政治」、「うそをつかない政治」を提案する国民的議論の場をつくりだしてほしいと思います。

圧倒的な勝利を勝ち取った自民党の選挙戦で、街頭演説の日程を知らせることにおびえ、親衛隊にガードされながら強弁する安倍さんと、かけつけた人々のすぐそばで政治家としての矜持を持ち、「立憲民主党はあなたのことです」と呼びかけた枝野さん…。
二人の選挙戦のありようは、議席獲得数だけでは決して説明できず、一体わたしたちの未来、わたしたちの子どもの未来、国の未来をどちらに託すべきなのか、わたしたち国民ひとりひとりに鋭く問いかけた選挙でした。

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