島津亜矢3 歌路遥かに 

島津亜矢の「マイ・ウェイ」や「I Will Always Love You」を聴くとポップス歌手をしのぐ歌唱力で、「演歌歌手がポップスも歌えます」という領域をこえてしまっています。そこでは島津亜矢の「神の声」を聴くことができます。その声は天使のような声、風の音のような無垢な声です。
多くの歌手が求めてもかなわない神の声、その声を持っていた人も年齢や歌い過ぎでなくなっていく声。それが歌を歌う者の宿命ならば、島津亜矢にもまたそんな時がやってくるのかもしれません。少なくとも今、その声を持っている歌手は島津亜矢以外は数えるほどではないでしょうか。そして、その声をもっている限り、彼女はどんな色も、どんな形も、どんな風景も自在に持ったあらゆるジャンルの歌を歌えるのだと思います。藤山一郎や高木東六が見抜いていたように、そんな宝もののような歌手と出会うことができた島津亜矢のファンはとても幸せなことなのだと思います。
けれども、それゆえに悩ましいものを島津亜矢本人も、製作スタッフも、わたしたちファンも持ち続けなければならないのかも知れません。彼女はこれからどんな歌を歌えばいいのでしょうか。もっとヒット曲がほしいのか、もっと音楽的な冒険をするべきなのか。天性のものを持つ以上に何事にも一生懸命で努力を惜しまない彼女だからこそ、とても悩ましいのです。
でも、結局は彼女がしたいことをすればいいのですよね。まだ40才、これからがほんとうに大きくなっていくことはまちがいないのですから、彼女がどんな新しい領域に進んでも、また星野哲郎がつくりあげた島津亜矢像に忠実に進んだとしても、今まで支えてきた島津亜矢ファンはきっとわかってくれるだろうし、応援し続けることでしょう。
だれかが日本のジャニス・ジョプリンだと言っていましたが、島津亜矢さんが今のところジャニスのように「恋に生きる女」に変身するとも思わないまでも、彼女の音楽的才能の領域がはば広いことは言い当てていると思います。わたしはおなじように「神の声」を持っていた「クイーン」のフレディ・マーキュリーのような気がしていますが、どちらの場合もあまり幸せな人生ではなかったように思いますので、「亜矢ちゃん」にはそのとんでもない才能をコントロールしてもらって、地味でもいいから幸せな恋をして、幸せな人生を歩んでほしいです。星野哲郎の歌のように…。
そんなことも「歌路遥かに」を歌う彼女を見ていると、ほんとうになにも心配しなくて大丈夫なんだなと思いました。

わたしのあかし あなたのために
うたいたい うたっていたい
歌路遥かに 歌路遥かに

小椋佳作詞作曲の「歌路遥か」を聴けば聴くほど、並はずれた声量と歌唱力を持つ彼女が、実はこんなにもしなやかに繊細にていねいに、自分の心情をせつなく静かに歌いあげることができてしまうことに感動します。この歌でまた新しいファンをつかんだのではないでしょうか。「歌路遥かに」こそが彼女の「マイ・ウェイ」なのだと思います。小椋佳は彼女の「神の声」をそっとすくい上げてくれたんだなと思います。
6月に阿久悠の未発表の詞に曲をつけた10曲を収めたアルバムから浜圭介作曲の「運命」と弦哲也作曲の「恋慕海峡」の2曲も歌ってくれたのですが、どちらも島津亜矢の世界に新しく「情念」を持ち込んだような感じで、とてもいい歌でした。とくに浜圭介はむかしから大好きな作曲家なので、阿久悠作詞・浜圭介作曲の歌を島津亜矢が歌うことをとてもうれしく思いました。小椋佳、浜圭介、弦哲也、杉本眞人といったすぐれた作曲家が島津亜矢という逸材を通して今後どんな歌をつくるのか、とても楽しみです。
さらに演歌のジャンルだけでなく、たとえば忌野清志郎が坂本冬美を再発見したように、思わぬところで島津亜矢と出会うアーティストが現れるような予感がします。星野哲郎の死をのりこえて島津亜矢が新しい領域に踏み込んでいき、どんな歌でどんな風景を見せてくれるのか、ほんとうにわくわくします。
舞台は三味線や尺八も入り、多彩なバンドがしっかり演奏していましたし、とても盛りだくさんで充実した舞台でした。なによりも一部の国定忠治、赤垣源蔵、そして2部の最後の「お梅」の熱演に観客は大満足だったと思います。
「お梅」が終わり、そこで終演なのですが、アンコールに応えてくれました。「新歌舞伎座さんに立たせていただけたのも、みなさんのおかげです。感謝をこめて、今日、最後の力も使い切るつもりで舞台に立たせていただきました。そして、もうすべての力を使い果たしました。」と彼女があいさつすると、最近涙もろくなってしまっているわたしはもう涙で舞台が見えなくなってしまいました。別のところでも涙を拭いているお客さんがたくさんおられたようです。ほんとうに「お梅」の熱演で体が思うように動かないほどだったと思います。いつの舞台でも彼女の言葉は控えめですが、歌いだすと別人のように姿形、立ち振る舞いが大きくなり、アンコールでさえもせりふ入りの「瞼の母」を手を抜かず一生懸命歌ってしまう、歌姫としての運命を自らに課したひとなのだなとつくづく感じます。
そして、わたしがもっとも泣いてしまう一瞬がやってきます。それは、ほんとうに最後の最後、彼女は両手を左右に広げた後マイクを抱くようにして両腕を交差し、舞台に膝まづき、深々と頭を下げるのです。八尾の時もその姿を見て涙があふれましたが、今回もまったく同じしぐさでした。お客さんへの限りない感謝とともに、精いっぱい歌ったという「いさぎよさ」を感じるその姿はとても美しくあでやかで、いとおしくて、その姿をみるためにまたコンサートに来たいと思うのです。
島津亜矢「歌路遥かに」

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