別れ話に時代の物語を忍ばせた阿久悠の応援歌「また逢う日まで」 島津亜矢

10月9日、島津亜矢がNHK総合「うたコン」に出演しました。「この歌詞がすごい!心に残る名曲集」と銘打って、歌謡曲・演歌の名曲を紡いだ作詞家やシンガーソングライターに光を当て、その誕生秘話をまじえながら出演歌手が歌唱するという企画でした。
島津亜矢は阿久悠作詞の「また逢う日まで」とその元歌「ひとりの悲しみ」を歌いました。「また逢う日まで」が、実は阿久悠が「白い珊瑚礁」で知られるグループサウンズのズー・ニー・ヴーに提供した「ひとりの悲しみ」が元歌で、尾崎紀世彦のために阿久悠が歌詞をがらりと変えて大ヒットになったという有名なエピソードが紹介されました。島津亜矢は高校生の合唱団に囲まれての熱唱でした。
前宣伝で「島津亜矢が阿久悠代表作メドレー」とあり、島津亜矢が阿久悠の歌を何曲か歌うと思いこんでいたのですが、阿久悠の代表作「また逢う日まで」に元歌があったということに焦点を当て、同じメロディーの2つの歌を歌い分けるというのが番組の意図だったようです。
演歌・歌謡曲が中心だった「NHK歌謡コンサート」を前身に持つこの番組はJ-POPも取り入れ、90年代以降ばらばらになった感があるさまざまなジャンルの歌手が共演し、新しい音楽シーンの中心となることをめざしています。しかしながら今でも演歌・歌謡曲を望む視聴者には若いひとが中心のJポップにはなじみがなく、この番組の制作チームが望む形になるのにはまだ試行錯誤が続きそうです。
わたしはと言えば普段音楽を聴くことがなくなり、ジャニーズやAKB48をはじめとするアイドルにも関心がないのですが、年末の紅白歌合戦と同じように若いひとのJポップも聴けるこの番組はそれなりにありがたいと思っています。
もっとも4月に妻の母親が亡くなってからは、今回のように島津亜矢や「SEKAINO OWARI」、「エレファントカシマシ」など、好きな歌手が出演することがない限りはほとんど見なくなってしまいました。
この番組についてはいろいろな意見がありますが、島津亜矢のファンとしては今のコンセプトで試行錯誤しながらもねばり強く番組をつづけてほしいと思っています。というのも、島津亜矢にとってはとてもありがたい番組で、彼女の人柄もあるのでしょうが以前なら先輩の演歌歌手に必要以上に気を使わなければならないこともあったと思うのですが、この番組が始まって約2年半が過ぎ、演歌にとらわれない番組の空気が彼女をのびのびさせているように感じるのです。
どんな歌にも興味を持つ彼女がさまざまな歌を歌い、聴くことでわたしたちが知る由もない音楽的な発見や冒険を経験するとともに、量も質も圧倒的にちがうJポップのつくり手との思わぬ組み合わせによる新しい歌が生まれる可能性を持っているからです。

高校生の合唱団をバックに島津亜矢が横揺れに縦揺れが混じる感じでノリノリに身体を動かすと、この歌がソウルミュージックのようで、昨年の紅白歌合戦の「ROSE」の時のバックコーラスとのコラボを思い出しました。
もともとはCMソングの候補曲として作られたものを、1970年に阿久悠が安保闘争や大学紛争で挫折した若者たちの心情を作詞したのが「ひとりの悲しみ」でした。それはちょうど、わたしの1970年でもありました。当時のわたしは高校の建築科を卒業したもののビルの清掃のフリーターとなり、御堂筋や梅田新道の路上で同世代の若者がデモをしている間も掃除の仕事をしながら、心だけは彼女彼らのそばにいたいと思っていました。
1970年になり、世の中は政治的には今までの騒動が嘘のように静けさを取り戻しました。あれほど一生懸命路上でアジ演説をしていた若者たちはどこにいってしまったのだろう、あれほどジグザグデモを繰り返していた若者たちにどんな帰る家があったのだろう…。
わたしもまた、何も意思表示できなかった不甲斐なさをかみしめ、掃除道具のモップでビルの床をふき、まだ国鉄だった吹田駅のすぐそばの古いアパートに帰っていきました。隣の部屋からは藤圭子が歌う「圭子の夢は夜ひらく」やいしだあゆみの「あなたならどうする」が聴こえてきました。

あしたが見える今日の終わり
背伸びをしてみても何も見えない
なぜかさみしいだけ
なぜかむなしいだけ
こうしてはじまる
ひとりの悲しみ(「ひとりの悲しみ」)

わたしはズー・ニー・ヴーの「ひとりの悲しみ」をきちんと聴いていなかったのですが、今回、島津亜矢の歌を聴き、思わず涙が出ました。この歌詞は阿久悠にしては少し観念的な歌詞ですが、1968年から1970年を通り過ぎたひとのだれもがそれぞれちがった思いで同じ道を走りぬけ、またちがった道を歩き始めた時、「ひとりの悲しみ」の意味がどっと迫ってきます。
「また逢う日まで」については、阿久悠は一度書いた歌を作り変えることにかなり抵抗したそうですが、たっての願いを受けてソロとしては新人の尾崎紀世彦の2枚目のシングル曲としてこの歌を作詞したそうです。
時代を読み、時代を歌うだけにとどまらず、3分たらずの歌で時代を変えようと野心を持ち続けた阿久悠らしく、別れゆくふたりが戦後の政治と経済と個人の夢と希望がゆるやかに並走していた蜜月の部屋のドアを開けると、外はニューファミリーとマイホームと幸福幻想の風が吹き荒れています。政治の季節から経済の季節へ、みんなの時代からひとりの時代へと、日本全体が高度経済成長へ疾走を始めた時代の空気感が今でもわたしの心を熱く切なくします。
「また逢う日まで」は、尾崎紀世彦という並外れた歌唱力と声量、そして音楽的な野心に満ち溢れた不世出の歌手を得た阿久悠が、どこにでも誰にでもあるような恋人二人の別れ話に時代の大きな物語を忍ばせた歌だったのだと思います。
島津亜矢の歌を聴き、あらためてこの二つの歌詞は時代の鏡の表と裏で、厳しい社会を生きる若者たちに贈る阿久悠の応援歌だったのだとはじめて知りました。
それにしても、島津亜矢は(この番組のテーマである)阿久悠が放ったすごい歌詞を見事に歌い分け、同時にソウルミュージックにまで近づけた才能は恐るべしとしか言いようがありません。バックに高校生のコーラスを共演させたこの番組の制作チームも素晴らしいと思いました。
わたしはかねてより、島津亜矢の歌にはどんな明るい歌にも時代のかなしみと、その時代を生きたひとびとのかなしみが隠れていると思ってきましたが、彼女の「ひとりの悲しみ」には、あれからとても長い年月が過ぎ、年老いたわたしにも確かにあったせつない青い時をよみがえらせるのでした。

島津亜矢の「また逢う日まで」の映像・音源がありませんので、オリジナルを紹介します。
島津亜矢のブログを読むと、西田敏行の紹介で高橋優とつながりができたらしいのですが、書きそびれましたが高橋優は好きな歌手で、お互いの歌を聴き合えた今回の番組に感謝していたのですが、それよりも前に知り合っていたというのはとてうれしいことです。

尾崎紀世彦「また逢う日まで」

ズー・ニー・ヴー「ひとりの悲しみ」

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