島津亜矢「旅の終わりに聞く歌は」
1986年に出版された「マイ・バック・ページ ある60年代の物語」は1969年から1971年まで、川本三郎が赤衛軍事件(自衛隊不坂駐屯地で自衛官が殺され、赤衛軍と名乗る過激派グループが犯行声明を出した事件)に関わり、朝日ジャーナルを辞めるまでの3年間の回想録です。
川本三郎の映画評論をはじめて読んだ時、とてもやさしい文章で風景をよみがえらせ、その場所、その時間を生きるひとたちの言葉、姿、ふるまいから時代を切り取る彼のファンになりました。
その彼がかつては青臭いともいえる正義感と野心に身をつつみ、短いながらもジャーナリストとして時代を切り取る仕事にたずさわっていたこと。そしてついには赤衛軍事件の犯人とかかわり、刑事事件にまきこまれてしまったこと。
わたしの知らなかった事実と、その時々の彼の感じていたことを淡々と描かれたこの本を読んで、「ああ、だからあんな文章が書けるんだ」と納得しました。学生運動への共感を持ちつつも、世界の激動に呼応して生まれたR&B、ロック、フォーク、ヒッピー、アメリカンニューシネマなどの対抗文化、若者文化、大衆文化、カウンターカルチャーへの志向が川本三郎のそれ以後の仕事のバックボーンとなっていたのだと思いました。
「マイ・バック・ページ」の中で、朝日ジャーナルで最初に取り組んだ仕事が「現代歌情」という連載コラムだったとあります。鶴田浩二「傷だらけの人生」を大和屋竺に、尾崎紀世彦「また逢う日まで」を井上ひさしに、北原ミレイ「ざんげの値打ちもないけれど」を鈴木清順にと、その時々のヒット曲を主題にいろいろなライターに個人的心情を書いてもらうという企画で、いまこの企画があってもとても面白いと思いました。
1969年から1971年の3年間の時代の空気は、まさしくアメリカやヨーロッパではロックが、日本では歌謡曲がいちばんとらえていたことは間違いがなく、わたしもその頃はじめておぼえたパチンコ屋で、「長崎は今日も雨だった」とか、「港町ブルース」、「函館のひと」藤圭子の「夢は夜ひらく」などを聞きながら、なけなしのお金もパチンコ台の暗闇に消えていったものでした。
わたしは昨年からの島津亜矢ファンですが、彼女が歌うカバー曲はそれぞれの時代を映す歌が多いのですが、彼女が歌いだすとその時代がよみがえるだけではなく、今を生きるわたしたちの心のゆらぎをも映す新しい歌に生まれ変わります。もし今、「現代歌情」シリーズで島津亜矢が取り上げられたら、彼女の歌と時代の切り口をだれが書いてくれるでしょうか。わたしは川本三郎そのひとが書いてくれたらいいなと思います。
昨年、島津亜矢がよく歌っていてDVD「2009年島津亜矢リサイタル 熱情」にも治められている「旅の終わりに聞く歌は」を歌う彼女は、同じカバー曲でも彼女の代表曲といわれる「帰らんちゃよか」に劣らない深い思いをこめて歌っていて、わたしほど島津亜矢のファンではない妻も「なみだが出る」と言ってくれました。この歌は2001年、BEGINの比嘉栄昇が田端義男のためにつくった歌で、2006年のソロアルバム「とうさんか」でもセルフカバーしています。
わたしはBEGINは好きな方なのですが、一般的に「沖縄」ムーブメントには少しついていけない所があります。けれどもこの歌にはそれらを越えて、沖縄でももっとも本州に遠い島の暮らしから、船に乗り、島を出て、都会の工場で働き、そして長く連れ添った妻と思い出の地を訪ねる、といったその時々の風景を見事に映しだし、さらに歌の主人公の心情をせつせつと語ります。シンプルな歌詞と曲でこんなにも心にせまる歌をつくれる人も少ないと思います。
2006年のアルバムの中で、比嘉栄昇はこんなメッセージを残しています。
「島の民芸品としてのうた」
民芸品はその土地の気候や風土の中から
必然的に生まれてきた物だと思います
本来うたも その中に存在していたのではないでしょうか
そこで僕は沖縄の空港売店やお土産屋さんに置いてもらえるような
新しい民芸品としての うたのアルバムを作りたいと思いました
しかし沖縄には沖縄民謡という確立された うたがあり また
近年は島唄と呼ばれるような 新しい沖縄のうたが
湯水のごとく生み出されているので それについては満足しているのですが
三線や琉球音階と言われるメロディーは 時として強すぎる個性のため
旅行先の沖縄で聞いたら良かったのに 地元に帰ってきたらどうも・・・と
なる事があります 石垣島生まれの僕でさえたまに東京でそんな気分になります
ですから あえて今回は先人から頂いた宝物をそっと封印し
平成十八年の島唄ではない 島のうたを作りたかったのです
そのためには日本屈指の音楽アレンジャーである萩田光雄さんと
"世界のトム" ことレコーディングエンジニアの鈴木智雄さんの職人力がどうしても必要でした
島の民芸品もしくはお土産品だからといって 決して沖縄のためだけの音楽ではありません
ふるさとを持たせてあげる事によって うたは安心して
全国各地に旅立って行けるのだと思うのです
この歌を探し出してくるのは島津亜矢本人なのか、それとも製作者なのかはわかりませんが、星の数ほどもある歌の銀河からこの歌を拾い上げ、比嘉栄昇の歌への想いを自分の想いと重ね合わせて歌い上げる島津亜矢は、歌手としても同じ時代を生きるひととしても、ほんとうに大切なひとだと思います。そうですよね。ふるさとを持たせてあげる事によって、うたは安心して全国各地に旅立って行けるのですよね。
DVD「2009年島津亜矢リサイタル 熱情」は、毎年各地を回り、全力で歌う彼女の魅力あふれるステージの連続で、ドレス姿で歌うポップスを歌い、「俵星玄蕃」、「お梶」、「一本刀土俵入り」などのセリフ入りの名作あり、オリジナル曲、カバー曲をふくめ、いつもながらのサービス精神にあふれていました。そして名作歌謡劇場「浦里」の熱演で終わり、どこを取り上げてもすばらしいのですが、わたしは「旅の終わりに聞く歌は」に、歌うたい・島津亜矢の真骨頂を見たような気がしました。コンサートではぜひこの歌も時々は歌ってほしいと思います。