箕面市の冒険 障害者の社会的雇用2

前回の続きですが、箕面市の社会的雇用におけるコストのとらえ方がちがいます。市長の提案にあるコストは福祉サービスレベルにしかありません。
社会的雇用は一般企業への就労をこばまれる障害者の働く場と所得を保障する制度のひとつなのですから、わたしたちなら福祉的就労の場の平均工賃と社会的雇用の場の平均賃金を比較し、それぞれのコストに対して障害者の所得がどれだけあるのか費用対効果を比べます。たとえ福祉的就労の場と同じ人件費になったとしても、障害者の手に乗るお金は圧倒的に社会的雇用の場の方が多く、費用対効果は高いのです。さらに、非就労の障害者の場合は所得ゼロなのですから、費用対効果は天文学的といってもいいでしょう。

第二に、もし国がこの制度を採用しなければ、現在は多少制度が変わったとはいえ、就労政策は国の事業だから、箕面市は本来しなくてよいと市長は思っているのかもしれません。けれどもそれは大間違いなのです。いくら国が負担するとはいえ、箕面市は障害者市民への福祉サービスを担っています。たとえば、現実問題として家族と同居している障害者はたくさんいます。B型就労継続支援事業(授産施設)では生活できるだけのお金は手に入りません。彼女、彼らに在宅サービスや日中活動に対するサービスを提供し続けたとしても、自立へのプロセスとそのサービスを提供しなければ結局は入所施設などに行かざるをえません。それで箕面市民へのサービスを提供したことになるのでしょうか。
本来どんな福祉サービスも、そのひとの未来へとつながっていくために提供されるべきで、そのひとが結局は箕面と言う街で暮らせなくなるために提供するのは無駄遣いではないでしょうか。
それでは、自立生活をしている障害者の場合はどうでしょうか。自立生活をしている障害者への福祉サービスは未来へとつながる活きたサービスにちがいありません。しかしながら福祉サービスは社会的雇用をのぞいて所得の保障はしません。ですから、自立生活をすすめるには一般企業で働くか社会的雇用の場で働くか生活保護か、という選択肢になります。ここでは一般企業からの就労をこばまれてしまう障害者の自立生活を保障しようというもので、社会的雇用の場に行かない場合は生活保護をとるしかありません。言い換えれば生活保護を取らなくても箕面市の社会的雇用制度は障害者の自立を保障できるのです。
放送で審議会の委員が「社会的雇用の場で給料をとるひとが障害者年金ももらうことに反発がないのか」という疑問をなげていましたが、まったく話になりません。その委員は障害者が自立生活を送ることの経済的社会的効果を想像できないのでしょう。
箕面市長は箕面市独自の制度のおかげで自立障害者への生活保護費が減り、国の福祉コストが削減されている矛盾を強く国に主張しなければならないのではないでしょうか。

第三に、箕面市の社会的雇用制度の根幹をなすものとして、障害者が運営を担うということです。このことの意義は障害者の働きがいや人権の視点など箕面市の提案の中でもきっちりととらえられているのですが、それに加えて、障害者が運営を担うということの中に、一般企業への就労が拒まれた障害者が、既存の福祉サービスだけにたよるのではなく、自ら業を起こす、つまり「起業家」として一般経済とはちがう「助け合い経済」の担い手として地域経済を支えるということです。一般に生活支援の事業所とはちがい、お店や移動販売の展開によってお店や倉庫の家主、地主の所得が生まれ、仕入れ、運搬、宣伝、販売によるお金の流れと地域経済の活性化の担い手として、障害者が従事する経済的、社会的な波及効果は計りしれないのではないでしょうか。
実は、社会的雇用制度によって障害者が運営をにない、市民と直接お金と共に心のやり取りをすすめることによる「助け合い経済」の購買層の発掘、障害者市民事業の市場の発掘効果がその事業所の経営を上向かせ、福祉的就労の場では実現しない事業拡大と事業経営を現実のものにする結果、自らの所得を安定させるだけでなく、障害者が健全者の給料もつくりだしているのです。
さらに、たとえばリサイクル事業においては市民からのリサイクル商品の提供にはじまり、それらを仕分けし、値つけをし、それを各店舗に展示し、販売するプロセスのどの分野においても障害者スタッフがその役割を果たしながら箕面の街をたがやすことでつくりだす売り上げ金は3000万円にせまっています。もしそのお金を助成金として拠出することはできないでしょう。その経営成果はリサイクル事業だけなく、食堂、福祉ショップ、通信販売事業、今年は被災障害者の救援金としましたが、年に一度の大バザーなど、どの事業においても濃淡はありますが、社会的雇用制度がなければ決して成し得ない経営成果がたしかなものとして育っているのです。

上記にしめしたように、箕面市の社会的雇用制度は、箕面市の提案とは比べられないコストパフォーマンスの高さを持っているとわたしたちは主張していますし、そのことは多くの市民が共有していることでもあるのです。

結局、この制度の最大の成果は、助成金を「投資」として運営できることだと思います。そうすることで、同じ100万円がただ単に障害者の生活に消費されるだけでなく、その100万円を事業に投資することで市民と出会い、市民が「もうひとつの税金」としてその事業を応援することで、障害者の社会的雇用をさらに進めるスパイラル効果があるのです。
この問題になるとどうしても心がはやり、冷静に伝えられない自分が情けないのですが、放送では課題があるにしても新しい方向性を持った制度として描かれていますが、実は制度自体がなくなるかも知れない危ない所にあることをなんとしても伝えたいと思いました。そして、箕面市長に強く言いたい。あなたはもしかするとこの制度を発展させて歴史に残る市長になるかもしれないですが、反対に豊能障害者労働センターの設立時の30年前にもどしてしまうことで歴史に残る市長になるかも知れないのです。
国がしなければやめてしまうというなら、もっとも暮しに近い市町村の首長はなんのために存在するのでしょう。この宝物の制度を実現しない国を相手に一緒にたたかいませんかと、なぜわたしたちに言わないのですか?

「社会的雇用」による障害者の自立支援(箕面市提案)

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