島津亜矢の「旅愁」と寺山修司とわたしの青春1

いま、昨年天神さんの古本市で買った寺山修司の「悲しき口笛」を通勤の途中で読んでいます。この本は、寺山修司が書き散らした膨大なエッセイを拾い出し、6冊のシリーズにまとめたうちの一冊ですが、わたしは彼の本を見つけると、今でもすぐに買ってしまうのです。
寺山修司はわたしの高校時代、当時の大人からバッシングを受けながらも「寺山教」といわれるほど若者に絶大な影響を与えたカリスマ的な存在でした。
女手一つで朝早くから深夜2時まで一膳飯屋を切り盛りしながら必死に私と兄を育ててくれた母は、わたしが寺山修司に傾倒していくのを苦々しく思っていました。寺山修司がテレビで独特の青森なまりで出演していると、「おまえが不良になったのはこいつのせいや」と、雑巾をブラウン管に投げつけたこともありました。その時の母の怖くて悲しくてさびしい表情が、今でも記憶の底に横たわったまま消えません。
たしかに当時の寺山修司は「家出のすすめ」を世に出して大人たちのひんしゅくを買っていましたし、「母親を捨てろ」とか、「故郷を捨てろ」とか、今ならヒステリックなマスコミからもっと批判を浴びせられたにちがいない「危ない奴」とされているでしょう。
後に彼が「天井桟敷」という劇団をつくったのも、唐十郎の「状況劇場」に触発されたこともあるのでしょうが、彼の本を読んで家出した少年少女の暮しを支えるためという一面もあったと言われています。
今の時代、主に都会での「家」、「ファミリー」の崩壊が言われて久しく、少女たちの「神待ち」が社会問題になっていますし、「家出するにも家がない」というのが実情かもしれません。しかしながら当時は地方から都市へと若者の家出が頻発していて、東京の上野駅や大阪駅でも家出風の少年がうろうろしているとおじさんが現れ、「いい仕事があるで」と寄ってきたものでした。わたしも高校卒業して掃除の仕事をしていた時、朝早く駅に着くと何度も声をかけられましたし、おまわりさんにも2度ばかり呼び止められ、派出所に連れていかれたものでした。わたしは住むところもあり、ビルの清掃会社に正規雇用されていたのですが、なにぶん恰好がいかにも家出少年か、そのころ流行っていた○○族のようでしたから、よく勘違いされたのでした。

高校時代に話を戻すと、わたし自身、寺山修司の言うような行動に走る勇気も覚悟もありませんでした。日本全体が高度成長の真っただ中でしたが、父親がいない家で、母と子の3人が瓦もなく板壁一枚に囲われ、節目が抜けて覗くと青空が見えるようなバラックに身を寄せて、その日その日をかいくぐるように暮らしていたわたしたちの「家」には、そんなに「いい話」は舞い込んでは来ませんでした。
ただ、わたしは脱出したかった。このバラックの家から、アスファルトなどまだどこにもない黒い土の路地から、とにかくどこかに逃げたかった。子どものためにといのちをけずるように働きつづけた母のかなしい愛情が、当時のわたしには重たくて切なくて疎ましかったのでした。
高校卒業と同時に家を出てともだち3人と暮すことになった時、母は泣きながらそれでもわたしのために重たい綿布団をつくってくれました。
20年も前に逝ってしまった母の気持ちを今思いはかると涙があふれてきますが、それでもあの時、どもりで対人恐怖症の少年が数少ないともだちをたよって家を出たことは、決してまちがいではなかったと思っています。あのまま親孝行とよばれて暗い家に残っていたら、家出どころかひきこもりになっていたと思います。母もずっと後に「おまえはあの時家を出ておいてよかったね。いい友だちがいてくれてよかった」と言ってくれました。

こんなことを思い出してしまったのは、寺山修司の自伝的エッセイを読みながら島津亜矢のアルバム「悠悠」をずっと聴いているからでした。彼は「映画にも主題歌があるように、一人の人生にも主題歌がある」と言ったように、表題の「悲しき口笛」をはじめとしてたくさんの歌を題材にして人生を語り、政治ですら歌で語ってしまう人でした。70年安保世代の私の友人たちが少なからずマルクスやレーニンに傾倒し、「インターナショナル」をはじめとする革命の歌を合唱していた時、わたしは寺山修司に傾倒し、「なみだ船」や「出世街道」、「女の溜息」や「花はおそかった」などを愛唱歌にビルのトイレ掃除をしていました。

人の心の うつろいやすさ
愛のはかなさ 身のつらさ
あのひとも このひとも
旅路の夢に 見るばかり
あれから数えて何年、もう誰もいない
「旅愁」

島津亜矢の歌う「旅愁」を聴くとわたしのふるさと、大阪府三島郡三島町千里丘、産業道路前のバラックで一膳飯屋兼6畳一間の家で過ごした子ども時代を思い出します。
以前にも書きましたが、寺山修司とどこか似ている阿久悠の歌詞には風景があり、歌を聴き、口ずさむひとそれぞれの人生をその風景の中で思い出させてくれるのです。
そこが最近のほとんどの流行り歌にない点だとわたしは思っているのですが、それはさておき、「旅愁」をはじめとする阿久悠の歌を島津亜矢が歌うと、その風景が見事に立ちあがってくるのに心がふるえ、平常心を保てないわたしがいます。
子ども時代の思い出はなつかしさとともに、やってしまったこととやらなかったこと、母をきずつけてしまったこと、ともだちを裏切ったこと、ともだちに助けられたことなど、わたしがまだ自分の人生を歩きはじめる前のかなしい青春そのもので、取り返しのつかないものなのでしょう。だからこそ歌は、今のわたしから遠く離れた少年時代のわたしに会いに行くただひとつの特急電車なのだと思います。
島津亜矢がいてくれたからこそ思いがけず届いた阿久悠の新しい歌は、なぜかしら寺山修司の歌謡曲的思想にぴったりの歌ばかりなのです。
「いい歌とか忘れられない歌が先天的に存在するのではなく、一つの何でもない歌が、すばらしい歌になったり、つまらない歌になったりする状況があるだけなのだ。」(寺山修司)
そして島津亜矢ファンとして言わせてもらえば、彼女の肉声が歌の背後の風景をよみがえらせ、一つの何でもない歌をすばらしい歌にしてくれるのだと思います。
島津亜矢「旅愁」

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