島津亜矢30周年記念リサイタル3 「悲しい酒」

30周年記念島津亜矢リサイタル2015「ありがとう ~30年の思いを込めて~」の第2部後半は、いよいよ彼女がリスペクトしてやまない3人の歌人の歌の世界へとわたしたちを誘います。
美空ひばり、北島三郎、そして恩師の星野哲郎…。その中でも一番力が入り、またさまざまな批評にさらされることを覚悟して美空ひばりの「悲しい酒」を選んだところに、特別なステージであったことを証明していたのではないかと思います。
というのも、30年記念ということで全体的には今回のリサイタルにはやや「自己撞着」を感じたというと島津亜矢にもファンの方に怒られるかも知れませんが、「同窓会」的な企画と会場の雰囲気(わたしは決してそれを否定するものではなく、かえって楽しさと感慨にひたる演出はそれはそれで満足できるものだったと思いますが)の中で、島津亜矢の感謝の気持ちを思う存分に表現したステージだったと思っています。
その意味では、星野哲郎は作詞だけでなくプロとしての心構えから音楽的なスキルを高める道を助言し、プロデュースにちかいこともしてくれた島津亜矢の恩師でした。また北島三郎は彼女のあこがれの歌手で、彼自身が星野哲郎と船村徹の愛弟子であったことから、事務所もレコード会社もちがってもデビュー当時からの応援者で、島津亜矢もまた北島三郎への尊敬の思いを語り、北島三郎の数々の名曲を歌ってきました。これだけ北島三郎の歌を歌わせてもらえるのも、師弟関係にちかい深いつながりがあるからにちがいありません。
しかしながら、美空ひばりについてはたしか島津亜矢は一度も直接あったことがないと聴いていますが、戦後日本の歌謡曲・ジャズ・ブルース・演歌の女王でありつづけた美空ひばりをリスペクトするのは当然のことなのでしょう。実際、今の特に演歌・歌謡曲のり歌い手さんたちがこぞって美空ひばりのカバーアルバムを出しているように、島津亜矢もまた2009年に「島津亜矢/波動 亜矢・美空ひばりを唄う」というアルバムを発表しています。今回の流れから言えば星野哲郎作詞・船村徹作曲の「みだれ髪」を選曲するのが無難なところだったのではないかと思いますが、あえて「悲しい酒」を選びました。
もちろん、先ほどのアルバムに「悲しい酒」が収録されていますし、それ以外でもコンサートや音楽番組でもこの歌を歌ったことはあったでしょうし、現にユーチューブでも映像が残されています。
それでも、わたしはこの歌を歌う島津亜矢に、あえて言えばこのステージで唯一といっていい「隠れた音楽的冒険」を感じたのでした。

作詞・石本美由起、作曲・古賀政男による「悲しい酒」は1966年に発売され、145万枚を売り上げ、美空ひばり全シングル歴代第3位となる代表曲として知られています。ちなみにその前年に発売された「柔」が歴代1位で、この時期はプライベートには小林旭との結婚が破局したりと気の毒な状況だったにも関わらず、歌手としては頂点を極めたことになります。
実は1960年に新人歌手のために書かれた曲でしたがヒットせず、埋もれたままになっていたものが美空ひばりに提供されたというエピソードを持っています。
古賀政男は「彼女がうたってくれると歌が作曲家の想像した以上のものになる。ひばりは作曲家の夢を実現してくれる大歌手だ」と評しましたが、美空ひばりの場合、どの歌も作詞作曲を越えて美空ひばりの歌としか言いようがない歌になってしまいます。まさに天才と呼ぶにふさわしい戦後の復興とその後の経済成長を突き進んだ時代とともに、昭和を走り抜けた歌姫であったことはまちがいありません。
しかしながら、以前にも何度も書いてきましたが、美空ひばりがこの世を去って26年になる今、あまりにも彼女への尊敬が恐れやトラウマのようになっていて、特に演歌の歌い手さんが美空ひばりという大きな壁の向こうの景色を見ようとしないようにわたしには見えます。
そして、演歌の歌い手さんが美空ひばりの歌を歌う時、カバー曲という領域ではなく練習曲のように美空ひばりの歌い方を表面的になぞるように歌っている気がしてなりません。それは決してものまねだと言っているのでありません。それぞれの歌い手さんが自分の歌として歌っているにも関わらず、美空ひばりの場合、彼女の歌そのものが楽譜になり、すでに古賀政男の楽曲ではなくなっているため、だれもが「美空ひばり」になってしまうようなのです。それこそが美空ひばりが天才歌手で女王であった証しなのでしょう。
そして、数々の異論はあることと思いますが、わたしは美空ひばりの歌を練習曲とせずに歌える数少ない歌手は森進一、北島三郎、天童よしみ、藤圭子、ちあきなおみなどなどと思っているのですが、このひとたちに共通しているのは美空ひばりの「楽譜ならぬ楽譜」から解放され、本来の作曲者である古賀政男の楽譜から歌の誕生の地を探り、自分の個性で歌う人たちなのだと思います。ごめんなさい。他の歌い手さんもいらっしゃると思いますが、あくまでもわたしの好みの問題です。
そして…、われらが島津亜矢もまた、そのひとりであると信じてやみません。ここで紹介する映像はまだ若い時のもので、残念ながらまだ美空ひばりの呪縛から解放されているようには思いませんが、少なくとも今回のステージをふくめて最近の島津亜矢は「影を慕いて」にしても「悲しい酒」にしても「柔」にしても「人生劇場」にしても、美空ひばり底の深い暗路をくぐりぬけ、古賀政男の心にたどり着いた歌になっているとわたしは確信します。
島津亜矢は美空ひばりについて、「美空ひばりさんはジャンルをこえたさまざまな歌を自分の歌にされていて、わたしも美空ひばりさんのようにいろいろな歌を歌える歌手になるように努力精進いたします」というようなことを言ったと思うのですが、他の演歌歌手なら演歌歌手としての美空ひばりしか想像できないところを、ジャズやブルースやポップスまでも歌いこなし、演歌をワールドミュージックとして表現できる美空ひばりを目標にかかげる島津亜矢は、今のなんでもかんでもでも美空ひばりという堂々巡りの風潮とは一線を画した、本来の美空ひばりをリスペクトし、美空ひばりの暗闇を恐れずその世界にたどり着こうとする数少ない歌手なのだと思います。
それはまた、美空ひばり自身を美空ひばりの幻影から解放することでもあります。わたしは「柔」や「悲しい酒」によって、古賀メロディと美空ひばりの歌唱という強力タッグによって、現代演歌が確立されたのではないかと思っています。そして、それ以前の美空ひばりを決して嫌いではなかったのに、これらの歌以後の美空ひばりがとても苦手になったことを思い出します。そして、妻の母親と同居する様になってからまた美空ひばりを聴くようになり、さらに島津亜矢を通して美空ひばりの偉大さを知るようになりました。
そして、美空ひばりの演歌には子どもの時や若かった時のジャズの歌唱が隠れていることにも気づくようになったのでした。その意味においても、島津亜矢の歩く道のはるか彼方に美空ひばりがいることはまちがいのないことなのでしょう。
島津亜矢もまた演歌にジャズやポップスの魂を、ジャズやポップスに演歌の心を表現する稀有の歌手として、これからの正念場の10年を力強く潔く静かな決意を持って歌いつづけてほしいと思います。

「風雪ながれ旅」、「海鳴りの詩」、「海で一生終わりたかった」とつづき、名作歌謡劇場の第1回の出し物だった「瞼の母」、そして「感謝状~母へのメッセージ~」さらにはアンコールにこたえて「温故知新」と、時には胸を詰まらせ歌い切った感動のステージの幕が下りる時、いつものようにマイクを抱いて膝をつきお辞儀をする島津亜矢のすがたは、「河原乞食」からはじまった何百年もつづく大衆芸能の申し子のようでとてもいとおしく、わたしも思わず号泣しそうになりました。

島津亜矢「悲しい酒」(2005年)

美空ひばり「悲しい酒」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です