島津亜矢「ああ上野駅」

少し前になりましたが、1月29日と2月12日、東京テレビ系の「木曜8時のコンサート」に島津亜矢が出演しました。1月29日は「ああ上野駅」を、2月12日は「感謝状~母へのメッセージ」を歌いました。
1月29日は番組のオープニングで客席から登場し、最後は舞台に上がり、出演者全員の前で歌いました。
「歌は世につれ、世は歌につれ」といわれるように、どんな歌にもその時代の政治・経済的な背景を持っていて、それぞれの時代を生きたひとびとの心の鏡と言える世相がかくれています。とくに1950年代から60年代は日本が第二次世界大戦終戦(敗戦)から立ち上がり、世界から奇跡と言われた高度経済成長へとひた走る途上にあり、「昭和の歌謡曲」といわれるこの頃の歌には特に時代の大きなうねりやひずみ、そこからうまれる庶民の心情が色濃く反映されています。
1964年に井沢八郎が歌い、大ヒットした「ああ上野駅」(作詞・関口義明、作曲・荒井英一)は、その中でもとくに集団就職で地方から都会へ出てきた中卒の若者の切ない心情を歌い、圧倒的な支持を得ました。
かねてよりわたしは、島津亜矢という稀有な歌手が稀有であるわけは、天性の声と並外れた歌唱力など持って生まれた才能とその才能を曇らせない努力を惜しまないこととは別に、時代の悲鳴や叫びや悲しみや、時には怒りや絶望を抱きとめ、それでもたとえ「希望が人間のかかる最後の病気」だったとしても傷ついたいくたの心を慰め癒す「希望の歌」を歌えるところにあると思ってきました。
ですから、三橋美智也の「哀愁列車」や春日八郎の「別れの一本杉」など、地方から都会への人口移動、出自や貧富など、高度経済成長の波にまぎれこみ、成長のひずみをのみこむ時代のうねりに翻弄されるひとびとの心情を歌った「昭和の歌謡曲」は島津亜矢のもっとも得意とするところです。
その時代を知らないひとには歌えないという意見もあるでしょうが、わたしは歌の力とは時代を記憶する力と思っていて、いくつかの歌が時代を越えて歌い継がれるのは、その歌の記憶がその時代を知らない若いひとたちにも伝わるからなのだと思うのです。
島津亜矢がどんな時代のどんなジャンルの歌でも歌えるのは、彼女がひとつの歌の彼方に時代の記憶を読むことができる数少ない歌手のひとりであるからだとわたしは思います。
彼女の歌を聴くことでわたしは懐かしさとともに、自分の生きて来た時代からさらに戦前から明治の時代までもさかのぼり、戦後教育の元でかき消されてしまった歴史を掘り起こし、わたしたちの民主主義の行方をみつめなければと思うようになりました。
話は少しずれますが、最近の本屋さんに行くと中国や韓国を嫌悪し、かねてより「売国紙」と非難されてきた朝日新聞の従軍慰安婦や原発事故にかかわる誤報事件をきっかけに、朝日新聞をバッシングする本が所狭しと並んでいます。それらの本は「○○の真実」を売り物にしていて、わたしにはヒステリックで暴力的と思えるそれらの意見に疑問を持つものを時には「売国奴」とまで断じ、威圧します。そこにはまるでそうしなければ自分が攻撃される側に立たされるかのような強迫観念が読み取れるようです。
わたしが小学校の3、4年生の時、小さな日の丸の旗を持って学校から15分はかかる最寄り駅に連れて行かれ、ホームにずらりと並び、天皇陛下が乗っている蒸気機関車が通り過ぎる間、煙で前がまったく見えない車窓に向かって日の丸の旗を振りつづけたことがありました。あの時、「これからは民主主義の社会で、あなたたちひとりひとりが主役だ」と教室で教えてくれた先生のうそに気づいてしまい、学校で学んだ「民主主義」にごまかしを感じていました。
そんなわたしでも、最近のように従軍慰安婦などはもともとなかった、彼女たちは売春婦だったとしたり(売春婦だったら許されるとするのも大きな問題だと思いますが)、自虐史観にもとづく戦後の民主教育は間違いだったという主張をそのまま信じることはできないのです。
それよりも、ひとつの意見に集約されるようにみんなが同じ方向を見て、それとちがう意見には「空気が読めない」と決めつけてしまったり、自分たちと違う民族や出自や個性を認めないことでしかアイデンティテイを確かめられない社会はとても貧しく暴力的で悲しい社会だと思うのです。ひるがえって戦後民主主義が戦前からの連続性を断ち切り、教科書に墨を塗り、戦禍の瓦礫とともに歴史や社会を更地にしたところから子どもたちに夢と希望をふりそそいだというところもたしかにあったのかも知れません。
ほんとうは戦後民主主義も戦後の奇跡的な復興も高度経済成長も、たくさんのひとびとの血のにじむ努力と報われない労働、そして日本経済の膨張の犠牲となった周辺地域のひとびとの貧困に支えられていたことを、学校の中では学ぶことができませんでした。
それらのことを多少なりとも学んだのはわたしが大人になってからでした。いろいろな人の話や自らの意志で探し出した本や、ふとしたきっかけで聴いた歌や観た映画や芝居などから知り、選び出した情報を繰り返し読み解き、心の中にたたみ、長い時間をかけて自分の考えや意見や主張や感性を鍛える以外に、声高に「○○の真実」と叫ぶひとのうそを見抜けないのだとつくづく思います。
そして、実は戦後民主主義は決してぬるま湯や平和ぼけ(?)などではなく、戦前からはるか彼方にさかのぼる人間の歴史の通底器で熟成され、大地に眠る無数のしかばねの祈りと願いと希望と勇気に支えられたものであったこと、さらにその切なる希望を引き継ぎ、未来の民主主義のために勇気をつくり出すのはほかならぬわたしたち自身であることもまた、たしかなことなのでしょう。

話が大きく飛躍してしまいましたが、戦後の復興から高度経済成長による都市での労働力需要と、農村など地方の貧困による進学率の低さが重なり、中学卒の若者を東京などの都市に大量に供給する集団就職という仕組みが生み出されました。そして、不安と希望が入り混じる地方の少年少女たちであふれた集団就職列車の終着駅が、彼女たち彼たちの東京の玄関口となった上野駅でした。
「金の卵」とよばれた少年少女たちは、戦後の基礎的な資本を形成するところから歩き始めた戦後資本主義にとってもっとも安い労働力となりました。労働組合もない中小企業や零細企業に就職する彼女たち、彼たちを待っていたのは雇用条件や作業環境のきびしい職場でした。また景気の拡大は工場労働者だけでなく、都市の消費を支える小売店や外食店、サービス業などの分野で深刻な人手不足となり、集団就職で東京に出てくる若者がこれらの業種にも大量に流れ込むこととなりました。
「ああ上野駅」では「お店の仕事はつらいけど」という歌詞があるように、登場人物はお店で働いていて、「胸にゃでっかい夢がある」とまじめで前向きな暮らしをつくっているようでもありますが、その奥には言葉にできないつらさや悲しみや怒りがかくれているように思います。実際の所、おそらく今の非正規雇用の比ではないところに追い詰められていたことが、離職率の高さとして記録されています。
労働力としてだけでなく、15才の高鳴る胸にあふれていただろう夢の数々までもが、世界に誇る戦後日本の成功ストーリーの捨石にされたこともまた事実でしょうが、そこから都市の若者たちの反乱と復讐が社会問題となる一方で、若者たちによるカウンター・カルチャーが新しい芸術・文化を生み出すことになり、音楽でいえば現在のJポップにまでたどりつくことになります。
「ああ上野駅」という歌にある明るさの中には、その後の若者たちの行方を照らす闇に光る刃がかくされているとわたしは思います。この歌には今の時代につながる日本の戦後と、15才で過酷な人生の一歩を踏み出したかつての若者たちの決して明るくはなかった無数の未来がいっぱい詰まっていて、今でも少なからず当時を思い出して涙するひとが絶えないと聞きます。
今回、久しぶりに島津亜矢の「ああ上野駅」を聴き、わたしもまた本来なら中学卒で就職するところ、シングルマザーで深夜まで髪振り乱して大衆食堂を営み、兄とわたしを「高校だけは」といのちを削るように学費を出してくれた母のことを思い出し、涙をこらえられませんでした。

「感謝状」については何度も書いてきましたので、今回は楽しむだけとさせていただきました。
新曲「独楽」が好調な出足で、とてもうれしく思います。今後はNHKBSの「BS日本のうた」のスペシャルステージで、機運が盛り上がってきた五木ひろしとのコラボが実現し、そこで「独楽」を歌えば反響を期待できるのですが…。

島津亜矢「ああ上野駅」

井沢八郎「ああ上野駅」

島津亜矢「ああ上野駅」” に対して3件のコメントがあります。

  1. TARK5 より:

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    tunehiko様

    一歩踏み込んだ意見に拍手を送ります。

    >BS日本のうた」のスペシャルステージで、機運が盛り上がってきた五木ひろしとの>コラボが実現し・・・

    その日はとても近いと思っています。

  2. tunehiko より:

    SECRET: 0
    PASS: 04e60c26645b9de1ec72db091b68ec29
    TARK5様

    いつもはげましのコメントありがとうございます。
    今回は理屈がすぎたかもしれませんね。
    TARK5様のブログにさっそくピケティが登場し、いつもフットワークのよさに感嘆します。
    わたしも見習いたいと思います。

  3. TARK5 より:

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    tunehiko様

    決して理屈が過ぎたとは思いません(笑)
    私にとっては心強い発言でした。

    私のBLOGを読んでいただいて
    ありがとうございます。
    私のはフットワークは良いかも知れません
    が内容に疑問符が付きます(汗)

    いつかtunehikoさんがおっしゃっていた
    「島津亜矢元年」がスゴい勢いで幕を
    開けました。楽しみです。

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