島津亜矢「お富さん」

9月1日、NHK歌謡コンサートに島津亜矢が出演し、「お富さん」を歌いました。
 わたしはかねてより、島津亜矢の数々のカバー曲の中でも1950年代を中心とした戦後歌謡曲を歌う彼女に無限の可能性を感じてきました。
 わたしは1960年代以降、歌謡曲・流行歌一般から明治時代にルーツを持つ「演歌」が「現代演歌」として再生し、大衆音楽として数々の名曲が生み出されたものの、何かとても大切なものを置き去りにしたのではないかと思っています。
 明治時代、自由民権運動とともにあった「演歌」は今でいう路上ライブで、「伝えたい」という必死の思いで政治批判、世相批判を歌に託しました。この頃の演歌は舞台もステージもなく、また音響設備もほとんどない路上で、時の権力による弾圧とあらがいながらアカペラに限りなく近い自分の肉声と歌詞に込めた思いをたよりに歌っていたのだと思います。
 わたしはそれほど政治的な人間ではなく、歌によって政治を変えたりできるとは思えず、むしろ歌はしばしば国家が個人に偽のアイデンティティを強制してきた事実があり、それに対抗するために国家がどれだけ抑圧し、束縛しても決して踏み込めない心の中にある切なさや悲しさや怒りから生まれ、歌い継がれてきた歌が数多くの流行歌となったのだと思っています。
 旧ソ連の若者たちがレントゲン写真に西側のポップスやロックを焼き付けたように、あるいはビートルズの名曲「ヘイ・ジュード」がチェコの歌手、マルタ・クビショバによって革命の歌となったように、日本でも時の権力にあらがう歌として、「演歌」が誕生したのでした。
 時代はめぐり、プロテストソングとしての演歌に変わり、明治政府がすすめた西洋音楽と日本古来のメロディーが融合された流行歌・歌謡曲が大衆音楽としてひとびとの心に根付いていきました。そこでは政治批判は遠ざかって行きましたが、当時の世相を反映する歌舞伎や浄瑠璃や映画などとともに歌はむしろ「反政治的」な個人の心情と向き合うようになっていったのだと思います。心中ものなどの悲恋や親子の情など、論理では説明できないアナーキーな心情や自由さが時には国家に怖れられることもあり、歌うことを禁じられる歌謡曲も数多くありました。
 戦後、日本社会は戦前戦中の国家の過ちがなかったかのように学校の教科書だけでなく、社会のいたる所に墨を塗って出発しましたが、大衆と時代をつなぐ歌謡曲はひとびとの心の中で昭和という大きな時代の証人としてつながっていたのだと思います。
 わたしはおおむね戦後すぐから1950年代までの歌謡曲には、それ以後の歌とはちがって戦争の影を色濃く反映した歌が数多くあったように思います。
 島津亜矢はただ歌唱力があるということではなく、歌の時代背景を読む図抜けた才能によってその時代の政治的社会的背景からひとびとの心情までも現代風にアレンジし、今に伝えることのできる稀有の歌手だと思います。
 1960年以降の「現代演歌」はあまりにも多くのヒット曲を生み出し、美空ひばりをはじめとする数多くの伝説的な歌手を輩出したため、悲しみや怒りや恨みなど、もっと切実でひとりひとりちがうはずの心情を類型化し、「演歌のための演歌」と自己撞着を繰り返す間にひとびとの心からかけ離れてしまったように思います。もっとも若い人の心の受け皿になっているJポップやアイドルグループもまたもうひとつの類型化がすすみ、今の時代は音楽や歌があふれているようで、実はとても音楽や歌の不毛な時代なのではないかと思います。
 ともあれ、1960年以降の「演歌」なら、他の歌い手さんでも歌えると思うのですが、50年代の歌になると島津亜矢以外に歌える歌手はほんとうに数少ないと思います。
 「哀愁列車」、「黒百合の歌」、「無法松の一生」、そしてつい最近歌った「東京だョおっ母さん」など、高度経済成長のとば口に立ち、戦前戦中の暗い夜をくぐりぬけてきたひとびとの言葉にならない心情を60年後の今、40代の女性がこれほどまでにいとおしく歌うことができるのかと、感動するという言葉では言い尽くせないものがあります。

 さて、今回歌ったのは「お富さん」。この歌も「東京だョおっ母さん」とまた違う意味でとても難しい歌です。「お富さん」は1954年の春日八郎の大ヒット曲で、歌舞伎のあたり狂言を題材に、作曲した渡久地政信が生まれ育った沖縄・奄美のダンスミュージック・カチャーシーや当時流行ったブギウギなどを取り入れて作曲し、宴会ソングの定番となりました。その軽快なリズムは当時の子どもたちにまで浸透し、わたしもそうでしたが歌詞の意味も解らず「いきなくろべい みこしのまつに あだなすがたのあらいがみ(粋な黒塀 見越の松に 仇な姿の洗い髪)」と、歌詞の意味もわからず、わたしもふくめて当時の子どもたちまでもがくちずさみ、歌詞の内容から小学生が歌う事を禁止する自治体も出るなどちょっとした社会問題にまで発展したそうです。
 題材となった歌舞伎ですら、全体の物語よりも「いやさお富、ひさしぶりだな」という名セリフの場を中心にしたダイジェストで演じられることが多く、歌はその場面をもっと凝縮してあり、芝居のセリフと場所をつないでいるので、歌を聴くだけではほんとうの意味はほぼわからないと思います。
 旦那衆と妾、やくざ者の恐喝…、日本の前近代のヒエラルキーと、それをこえようとするひとびとの切ない心情をブギウギのリズムで歌うミスマッチは、戦後10年がすぎた1950年代という時代背景がなかったらうけいれられなかったように思います。
 春日八郎はその時代のライブ感覚をもっていたはずですが、今の時代にそのあたりの時代のよどんだ空気を読み取り、この芝居の名場面を気負うこともなく歌う島津亜矢を天才といっても決して言い過ぎではないと思います。
前にも書きましたが、ほとんどの演歌も歌い手さんが畳の上で歌っているのに対して、島津亜矢はまさしく黒い土の上で、路地裏の細道の上で、ガード下の黒ずんだコンクリートの上で、寒々とした岸壁の上で歌っていることが、「お富さん」をはじめとする1950年代の歌を歌うとはっきりわかるのです。
 さらにいえば、わたしは1950年代の歌謡曲をとりもどすことでしか、本来の「演歌」もまたよみがえらないと思います。音楽が不毛の時代がこれからも続くのか、それとも新しい歌が時代を救うことができるのかはわかりませんが、もし歌がよみがえるとしたら、島津亜矢が歌う1950年代の歌を懐かしむだけではなく、新しい歌謡曲の時代をつくり出さなければならないのではないでしょうか。そして、島津亜矢はいつのまにか、その先頭に立っているに違いなのです。歌を! もっと歌を。

島津亜矢「お富さん」

春日八郎「お富さん」

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