島津亜矢「おまえに」・新BS日本のうた

4月17日の「新BS日本のうた」での島津亜矢と水森かおりのスペシャルステージは、2012年のスペシャルステージとくらべて、ここ4年ばかりの年月が2人を大きく成長させたように感じました。
島津亜矢を追いかけてきたわたしですが、彼女の成長というべきか進化というべき、とにかく歌の成熟度が並外れていて、同じ歌でも今日はどんな歌の物語を聴かせてくれるのか、こちらがドキドキしてしまいます。
ところが、共演した水森かおりもまた、彼女の個性を生かしながら大きく歌が変わったように思いました。島津亜矢には申し訳ないですが、一般的な人気でいえば水森かおりの方が一歩前に出ていて、その分だけまわりの要求がどうしても「現状維持」になりがちなところ、このスペシャルステージでは島津亜矢に負けず劣らずその名前の通り濃厚な香りを漂わせ、ていねいかつ心情がほとばしる歌唱でした。
「哀愁列車」(島津)、「思い出さん今日は」(水森)、「別れの一本杉」(島津)、「君忘れじのブルース」(水森)、「再会」(水森)、「おまえに」(島津)「夜明けのうた」(水森)、「未練の波止場」(島津)、「ふりむかないで」(二人で)「岸壁の母」(島津)「喝采」(水森)「越後水原」(水森)、「阿吽の花」(島津)、「見上げてごらん夜の星を」(二人で)と、オリジナルの新曲を除いて1950年代から60年代の昭和歌謡を交互に歌い継いだこのステージにはバラエティは必要なく、ほんとうにただひたすら歌ってくれました。ほぼ同年齢ながらデビューは9年も島津亜矢の方が早い二人ですが、プライベートはわかりませんが共演するにはぴったりという印象を受けました。
とくに水森かおりは島津亜矢との共演はとても刺激的に感じているようですし、島津亜矢もまた同年代で先輩というよりは友だちに近い気安さがあり、どちらも遠慮なく共演できる相手なのかなと思います。
水森かおりの人柄の良さなのでしょうが、少し先輩の島津亜矢を立てるというよりは、島津亜矢の歌手としての大きさを率直に認めながら、自分らしく一生懸命に歌う姿勢が画面からも伝わってきました。このひとは「演歌」というよりは「歌謡曲」、「流行歌」を歌い継ぐ歌手として、その存在感が増してきたように思います。
島津亜矢もまた、先輩の歌い手さんとの共演の場合は前に出ることをせず、わたしが時々言うところのベースギターのような役割をすることが多いのですが、水森かおりとの共演は水を得た魚のようにのびのびしていて、いわゆる火花散り緊張感漂うコラボではなく、リラックスした心のゆらぎから生まれる至上の歌を探し当てたような幸福感がありました。
今回の放送の収録日はちょうど一か月前の3月17日で、島津亜矢が病気で倒れ声がでなくなり、コンサートを中止し療養後、活動を再開してまだ日が浅い頃でしたが、そんな気配が全くない、見事な歌を聴かせてくれました。言われて見ればこれより先の「演歌まつり」では声量があまり出ないところを用心深く声量をコントロールし、ゆたかな表現力でカバーしていたように感じましたが、今回の放送では声量もほぼ回復していて、安心して聴くことができました。
そして何よりもどこまで歌の深さに降りていくのか心配になるぐらい丁寧な歌唱で、歌を歌うのではなく歌を「詠む」時代の通底器にたどり着く様子は、少し鬼気迫るところも感じます。今回の放送では先に書いた「別れの一本杉」と「おまえに」が、その中でも圧でした。
「おまえに」はもちろん、フランク永井の大ヒット曲で、作曲家・吉田正が自らの人生を陰で支え続けた夫人に対する感謝の念を込めて作られた作品であり、吉田夫妻と親交のあった岩谷時子がおしどり夫婦である同夫妻の仲睦まじさをイメージして作詞した、とも言われています。
フランク永井は1955年にジャズシンガーとしてデビューしましたが、吉田正との出会いから歌謡曲を歌うようになり、その後のムード歌謡というジャンルの先駆者のひとりでした。ムード歌謡の原点はジャズやハワイアンにあると言われますが、松尾和子とともにフランク永井はジャズから出発して日本独自のムード歌謡の世界を広げました。
「有楽町で逢いましょう」、「夜霧に消えたチャコ」などバタ臭さを漂わせたフランク永井の歌がラジオから流れると、子どもの知らない大人の世界を覗くようで、そのきわめつけが松尾和子とのデュエット「東京ナイト・クラブ」でした。ちょっと危なくてセクシーで、わたしが親しんだ三橋美智也や春日八郎、美空ひばりの歌とは全く異質なものでした。二人とも吉田正が育てた数多くの歌手の中でも、後の青春歌謡以前に吉田正の世界を大きく開花させた弟子でもあり、功労者でもありました。
1928年の二村定一の曲をカバーし、大ヒットになった1961年の「君恋し」の後、フランク永井の集大成ともいわれる1966年の「おまえに」は「大阪ろまん」のカップリング曲でしたが、フランク永井の淡々と語りかける歌唱でじわじわとヒットし、1972年にA面として再発売、その後1977年にも再発売されました。
ジャズから始まり、ムード歌謡といわれる数々の歌謡曲を歌ってきたフランク永井がたどり着いたこの歌には、ムード歌謡とは少し違うものがあります。それまでのバタ臭さはなく、どちらかと言えばそれ以後に歌謡曲を吸収してしまう「現代演歌」のすぐ隣に来てしまった感じがして、それがまた新しいフランク永井の魅力となっていました。
フランク永井も松尾和子も、晩年はつらいことが多かった人生だったようですが、わたしは大人になってからこの二人が好きでした。子ども時代に危険な大人の香りと思っていた歌は、いつのまにか照れ屋で純情な大人の切ない愛の歌に変わっていました。
不思議なことですが、島津亜矢が今回歌ってくれた「おまえに」は、逆に「現代演歌」から出発した彼女がフランク永井の歌のルーツをさかのぼり、ジャズの隣にまで来てしまったように思いました。そして、「日本的な叙情」を持ちながらもこの歌は、吉田正のシベリア抑留時代に心の中で歌うことでつらく苦しい日々をくぐりぬけてきたことを想像させ、歌が愛を必要とするひとに届くためにこそ歌われ、聴かれ、歌い継がれてきたことを教えてくれたように思います。「別れの一本杉」も「おまえに」も、島津亜矢が歌うといくつの時代を自由自在に行き来し、その時代を生きたひとたちがリレーしてきた夢と切ない希望を、今を生きるわたしたちに届けてくれるのでした。

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