アカペラは歌が誕生する場所に立ち返ること
前回に引き続き、YouTubeチャンネル「島津亜矢【公式】歌怪獣チャンネル」について、書こうと思います。開設以来、登録数が増え続け、前回の記事の時点から1000人も増え、1.5万人に近づいています。
以前から彼女の軌跡を辿る映像がYouTubeで残されていて、その歌唱は素晴らしいもので、ファンの中にはこれらの映像で島津亜矢を発見した人も数多くおられることでしょう。
わたしもまた、2009年の秋に今は亡き友人に教えてもらったのがきっかけで、翌年の2010年は主に島津亜矢が出演するNHK「BS日本のうた」で彼女が歌う演歌・歌謡曲のカバーを聴いていました。その頃はNHK「うたコン」の前身の「歌謡コンサート」には今ほど出演させてもらえず、また出演した時もベテランの歌い手さんにとても気を配っているように思えたり、彼女の歌唱曲にも歌唱時間にも不満が残り、にわかファンのひいき目から近い将来きっと彼女が音楽シーンをけん引する時代がやってくるという確信に囚われていたことを思い出します。
あれからずいぶん年月が過ぎ、時代の潮目が変わる時というのは突然やってくることを痛感するこのごろです。もちろん、ここまで来るために島津亜矢がどれだけの地道な努力とどれだけの時間を費やしてきたのかと思うと感慨深いものがあります。
今回、島津亜矢自身が開いたYouTubeチャンネルは、もちろん新型コロナウイルス対策として非常事態宣言が発出され外出自粛要請が続く中、数多くのアーティストや芸能人が家で楽しめるさまざまなパフォーマンスを届けていて、島津亜矢もまたその一人として何かしなければという思いから始めたのでしょう。
もちろん数多くのアーティストの動画配信はファンサービスでもあると同時に、外出自粛の啓発キャンペーンという要素も強くあります。ロックダウン、都市封鎖というような強い強制を発動する欧米諸国とはちがい、自粛要請という形で国民が自主的に行動変容することを期待するわたしたちの国では、芸能人やアイドル、アーティストたちの呼びかけが有効な啓発のひとつなのでしょう。
それらはたしかに成功していて、わたしたちが外出を控え、忍耐強く家から出ないでいる効果が少しずつ現れてきていることも事実で、いまだにPCR検査が受けられないために救える命が見放されるなど、政権の対応のまずさや不実がコロナウイルスによる死者だけでなく、町の経済が壊れたために死者が増えてしまう理不尽を許せないとしても、強権発動によらずにコロナとの共生を模索する民主主義的な手法は評価される面もあるのかもしれません。
しかしながら、その一方でアイドルグループを中心に連発されるこれらの啓発動画を見ていると、とても危険なにおいを感じます。というのも、テレビだけでなくネットの世界でも今回のような外出自粛の呼びかけが本来の純粋な気持ちからだけではなく、背景に同調圧力が働いているからで、その圧力がわたしたちの社会をとても息苦しくしていると思います。少し前までならSNSどまりであったものが緊急事態宣言や外出自粛要請が出るなかで、店舗にいやがらせの貼り紙をしたり感染した人や医療従事者への差別など、相互監視と他者へのバッシングで自分の身を守ろうとする鎖国社会がわたしたちの心をむしばみ、ほほえむファシズムがわたしたちの心にしみこんでいく恐怖を覚えます。
「島津亜矢【公式】歌怪獣チャンネル」の場合、アイドルやその事務所発の啓発バスに乗り遅れまいという焦りも刹那的な同調圧力もまったく感じず、彼女の人間性がそのまま現れていて、ファンのみならず数多くの人たちの心が慰められることを確信します。
前回の記事でうまく表現できなかったのですが、彼女の場合は今回のことがきっかけで純粋に彼女の歌を直接届ける新しいメディアを獲得しました。
旧来のイベント会場やCDなどの物理的な制約や「音楽・芸能業界」での気配りを必要とせず、セルフプロデュースで歌いたい歌を歌い、歌を必要とするひとに直接届けられる手紙のような肌触りを持つリアルなライブチャンネルとして、これからの島津亜矢の音楽的冒険をけん引していく強い味方になるでしょう。
コロナ以後の世界がどう変わるのか、数多くの人が予測していますが、AIやバーチャル技術など、あらゆるジャンルでデジタル化が進み、他者との関係もこれまでとは違ったものになることでしょう。わたしはAIなど進化し続けるデジタル技術では決して肩代わりできないものは結局のところ、人間の孤独やさびしさではないかと思っています。
それゆえに、ネット配信などデジタル化が進めば進むほど孤独になっていく心に届く肉声のメッセージとパッションが、わたしたち人間が長い間忘れていた救済の音楽・祈りの歌・癒しのリズムを再生することになるでしょう。
島津亜矢が他の才能あふれたボーカリストと決定的に違うところがあるとすれば、それはたぐいまれな歌唱力にあるのではなく、同時代の箱舟に乗り合わせたわたしたちの孤独に手を差し伸べ、さびしさに寄り添うことを宿命づけられた歌手であることでしょう。時にはセンチメンタルに、時にはテロリスティックにたましいの救済と鎮魂歌をわたしたちの心に直接届け、歌い残す危険な歌手でもあります。例えば「瞼の母」や「一本刀土俵入り」、「函館山から」や「YELL」や「影を慕いて」など、時代を越えて海山を越えて言葉を越えて、彼女の歌は愛を必要とする孤独な心に染み込んでいくのです。
「島津亜矢【公式】歌怪獣チャンネル」では「歌路遥かに」と「想い出よありがとう」、「故郷」、「仰げば尊し」をアカペラで歌いました。他のメディアではさわりはあっても2コーラスをアカペラで歌うことはほとんどないでしょう。このチャンネルライブのだいご味はこんなところでも発揮されます。アカペラはとても勇気のいることで、ちょっとしたお慰みならまだしも、残酷なまでに歌唱力がそのまま現れてしまいます。彼女の音程のたしかさとメロデイーのゆらぎというか、歌に込められたパッション・激情がそのまま歌に表れ聴く者の心にぐさりとささります。いまやプロでなくてもカラオケでそれなりの歌唱を発揮できる時代に、アカペラで歌うことは島津亜矢にとって特別なプレッシャーを自らに課す覚悟を持って、歌が誕生する場所に立ち返ることでもあるのでしょう。
わたしはかつて、浅川マキが亡くなる一年前ぐらいに深夜の京都でその日4回目となるステージを踏んだライブにいったことがあります。この時、浅川マキはゲストのギターリストを迎えた一曲二曲を除き、すべてをアカペラで熱唱しました。「セント・ジェームス病院」や「朝日楼(朝日の当たる家)」をアカペラで聴くことがこれほど贅沢なものかと思ったものです。島津亜矢のアカペラはそれに劣らず、肉感的でエロティシズムさえ感じさせ、一度聴くと癖になりそうなのです。
「歌路遥かに」は小椋佳の作詞作曲で2011年1月に発売されました。わたしがはじめて島津亜矢のコンサートに行ったのもこの年の2月で、それまでは演歌歌手のコンサートに行くこともまったくなかったわたしが、長渕剛がすきだという車いすを利用するKさんと、リズム&ブルースやロックしか聴かない30歳も年下のIさんの3人で行ったのが昨日のことのようです。
この時は「歌路遥かに」が新曲キャンペーンの真っ最中でした。この時から約10年たちますが、発売当初は歌手の道を究めたような小椋佳の傑作を歌うにはまだ島津亜矢が若すぎたように思い、ほんとうは今のタイミングならよかったかなとあらためて思います。
「想い出よありがとう」は同じ年の6月に発売されたアルバム「悠々~阿久悠さんに褒められたくて~」に収められた楽曲です。この年の後半のコンサートはこのアルバムの全曲を歌ってくれました。また、このアルバムが出たために「歌路遥かに」からこのアルバムの「恋慕海峡」に新曲キャンペーンが移ってしまいました。
日本の演歌・歌謡曲の巨匠といえる2人の楽曲を同じ年に歌うことになった理由はわかりませんが、今でももう少しちがった打ち出し方があったように思い、残念でたまりません。アルバム「悠々~阿久悠さんに褒められたくて~」は阿久悠の未発表の作品10曲を8人の作曲家によって楽曲にしたものです。時代の寵児だった天才作詞家・阿久悠が、おそらくは音楽シーンの先頭を走り切った果てに訪れた人生の黄昏に、ふとよみがえる子ども時代の夕暮れや、真っ青な青春のきらめきとはかなさ、時代の裏側でまどろむ切ない夢…、そんな落日に書き残したであろう「もう一つの遺書」のようで、言葉を追いかけるだけでもおもわず涙がこぼれそうになります。その中でも「想い出よありがとう」は都志見隆が作曲した珠玉の一曲で、わたしはなぜかこの歌を聴くと映画が大好きだった阿久悠らしく、フランス映画の一シーンでイブ・モンタンが古ぼけた鉄製のベッドに座っている後姿が目に浮かびます。「セラヴィ(C'est la vie !)」、それも人生だと…。
とても長い記事になってしまいました。ごめんなさい。
ともあれ島津亜矢のアカペラとライブチャンネルとの相性は抜群で、いつものステージでの振袖姿とちがい、普段着のラフな姿で歌う島津亜矢はほんとうにすてきです。