豊能障害者労働センターの春の大バザー

5月26日、箕面市立メイプルホールと芦原公園で開かれた、豊能障害者労働センター主催のバザーは天気に恵まれ、たくさんの方々の参加をいただきました。
毎年恒例となったこのバザーは1994年からこの会場で始まりました。翌年の1995年は、阪神淡路大震災の被災障害者救援バザーとして、売り上げ金400万円のすべてを阪神の被災地障害者センターに届けることができました。
この年、豊能障害者労働センターは障害者救援本部の救援物資のターミナルとなり、全国の障害者運動団体から送られてくる救援物資を被災地に届ける役割も担っていました。
それに加えて、「お金はないけれど、バザー用品やったらある」と、たくさんの方々からバザー用品を提供して下さり、障害者救援バザーを開いたのでした。
バザーが終わった後もバザー用品の提供は後を絶たず、全国から、さらには被災地の市民の方々からも宅配便で送って下さいました。これからの売り上げは障害者の給料をつくりだすために活動を続ける豊能障害者労働センター自身の運営費になることを伝えても、「それでいいから。あなた方の活動を応援したい」と、メッセージを添えて送って下さるのでした。
そこで、送って下さる方々の思いがいっぱい詰まった物品を販売するお店として、リサイクルショップ「くるりん」を一号店として、現在5つのリサイクルショップを運営しています。
リサイクル事業は障害者の職種開拓としてはすばらしいもので、今やお店の運営は障害者スタッフが担っている他、倉庫での商品管理もバザーの準備も障害者スタッフの多くの役割を担っています。
そして、昨年もまた東日本大震災の被災障害者救援バザーを開き、売り上げ金200万円をすべて救援金としました。豊能障害者労働センターは経営が安定しているからこんなことをしているのではありません。それどころか、障害者も健全者もこの10年間給料は変わらず、他の障害者団体の職員にくらべて社会保険もなく、給料は新聞などで報道されるワーキングプアーよりもまだ低い状態です。
それでも彼女たち彼たちが救援活動を続けるのは、自分たちが貧乏だから、被災地の障害者の暮しの過酷さがよくわかるのだとわたしは思います。そして自分たちにお金がないからたくさんの方々に被災地の障害者の窮状を訴え、応援を求めることでお金をつくりだそうとするのです。そのことがわかっているから、全国の方々が自分で運賃を支払ってまでも豊能障害者労働センターにバザー用品を送って下さるのだと思います。

今年は汗ばむほどの五月晴れで、お客さんも大変多く、午前中で品物がほぼなくなってしまう勢いでした。
野外ステージではいつも来てくれる加納ひろみさんや風船パフォーマンス、紙芝居があり、野外ステージを取り囲むようにして食べ物の屋台が並び、おいしい匂いを風が運ぶ中、お客さんにとても気持ち良く楽しい時間を過ごしていただきました。
後日に聞くと、売り上げは150万円もあったということでした。
ご来場いただいたみなさん、ボランティアのみなさん、ありがとうございました。
そして、豊能障害者労働センターのみなさん、ご苦労様でした。

 

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  1. まとめtyaiました【豊能障害者労働センターの春の大バザー】

     5月26日、箕面市立メイプルホールと芦原公園で開かれた、豊能障害者労働センター主催のバザーは天気に恵まれ、たくさんの方々の参加をいただきました。 毎年恒例となったこの...

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