五十音におさまりきらない音とリズムに

五十音におさまりきらない
音とリズムに、
どうぞ戯れにいらしてください。

6月24日、私たち豊能障害者労働センターの30周年記念イベントに、いなかっぺいさんと伊藤君子さんが来てくださる。「トークとジャズ」のイベントだ。ジャズ。私のCD棚の中には1枚もない。昨年の12月、伊藤君子さんのライヴが大阪でおこなわれるという情報を得た。ききたい。いや、知りたい。ジャズというもの。
まずは、「ありがとう」を。私たちの30周年のイベントに出演してくださる。それも、ピアノの田中信正さん、ベースの坂井紅介さんも一緒に出演してくださるというのだ。すごいね よかったねぇ。ジャズのことをなんにも知らないのに、ため息がでる。貧乏の中を転んで起きて自分たちの歯車を廻し続けている私たちにとって、なんともゼイタクなステージのように思えたのだ。
ありがとうって言いたいね。言えたらいいのにねぇ。仲間と話しながら、会場の「ロイヤルホース」へと向かった。
木の造りがどっしりとした面がまえの店内。おじけてはいけないと思いながらも、確立したカクシキのある空間。いかんいかん。ジャズ、カクシキ、ちょっとおしゃれ、わからへんの図式が、頭の中に浮かぶ。あかん、おじけてはいかんぞ。初めてではないのよってな顔をして、席に着く。ワンドリンク、いつものとおり焼酎でいくぞ。自然体だぞ。
ピアノが目を覚ましたように音を奏でた。おどろいた、ジャズなのだ。へぇーと思った。ジャズがでるピアノだろうかとも思った。ベースが重なる。ドラムがはいる。音と音の連なりが、楽しそうに跳ねていく。跳ねて絡んでリズムになって、いやあ私、ジャズきいてるよ。体が揺れてくる。なんにもわからないのに、揺らしているのが恥ずかしくて、意識的に止める。私は素人なんだぞ、と心の中に言う。

伊藤君子さんが、通り道に立っている。きれい。肩から二の腕のラインが美しくて、すべすべしていて、そこばかり見つめてしまう。たくましい感もして、本当にきれい。
リズムに言葉がのっていく。ふっと、しあわせになる。温度と湿度が音を包み込んでいくようで、なんとも心地良い。はつらつとした音の連なりと、ほどよく湿った体温のような音の重なりが、また私の頭と体を揺らしていく。いいや、もう。ほんとに揺れるんだもの。気持ち良いのだもの。
会場を見回すと、みんなオトナである。仕事を終えて、お酒を飲んで、伊藤君子さんの声をきく。ごほうびだなあと思う。伊藤君子さんが少し困ったようにマイクに向う。「そんなに見つめないで。もっとお酒を飲んで、力を抜いて、楽しんで」。嬉しくなっちゃう。くすくす笑う声もして、会場の中の空気は、ゆるゆるとほどけてくる。英語だから歌詞の意味はわからないのだけれど、ひとりひとりの揺らぎに包まれてジャズの中を泳いでいるようだ。
あっ、やってくれはるんや。一緒に行った仲間と顔を見あわせた。「津軽弁ジャズ」。めんこいめんこいジャズだ。しあわせが膨らんでくる。まあるくまあるく膨らんでくる。言葉のリズムってほんとに不思議。まっ赤なほっぺたの女の子が頭の中に浮かんできて、やわらかに笑っている。うれしくて私も揺れながら、うふふと笑う。女の子とひそかに笑いあう。ステレオタイプの想像だけど、ふわりと浮かんだ訪れたことがない「津軽」という地を、いとおしく思う。心の奥を辿っていくように、いとおしく思う。もう一杯飲もうかな。伊藤君子さんも飲んでねって言ってはったし、ね。

年があけて、いなかっぺいさんのCDを貸してもらった。青森でのライヴのCDである。かっぺいさんのおしゃべりに、会場がどっと沸く。女の人も男の人も真けんに笑っている。笑い声につられて何だかこっちもにんまりである。会場から少し置いてきぼりだった私のところにも、かっぺいさんのおしゃべりが入ってくる。あははは。CDデッキに向かって、ひとり声をたてて笑っちゃう。いつのまにかデッキの前に座って、一所懸命にきいて、一所懸命に笑っていた。
かっぺいさんがお客さんとやりとりをしている。「青森のどちらからいらっしゃいましたか」会場から大きな声があがる。「木造」。???「おききになりましたか!みなさんっ」わからない。さっぱりききとれない。「いいなぁ」「いいなぁ」かっぺいさんは繰り返す。「うれしいなぁ」。身をよじっているのがわかる。そして抱くようにゆっくりと「青森の言葉は五十音から外れるんです」「きづくり町です」。私はひとりで唸る。ええなぁ。外れる音なんや。
五十音にない音。五十音におさまらない音の連なり。繋げていくリズム。そこに暮らして生きているんだ。土のにおいや、風の向き、体にまとう湿度や温度、山の高さ。暮らしの重なりの中で言葉は培わられ、リズムをつくる。
そうか。伊藤君子さんの歌う「津軽弁ジャズ」は、五十音から外れる音とリズムのジャズなんだ。だからあんなにいとおしく、いつかの自分に辿りつきたいように響いてくるんだ。
がぜん嬉しくなってきた。私にも五十音から外れる音がある。ばあやんとじいやんが暮らしていた四国の言葉や、今暮らす箕面での言葉が、歳とともに私の中でふつふつと発酵している。勢いをつけたい時にだす言葉だったり、ため息が混じる言葉だったり、体の芯から出てくる言葉だ。それは知らないあいだに私を支えてくれている、根っこの音だ。私にも、私の音がある。
音とリズムが六月二四日、会場の中を遊びまわってくれるかもしれません。なんだかウキウキしてきます。かっぺいさんは縦横無尽に。かっぺいさんの音と、私たちの音が、鬼ごっこのように笑いながら駆けていく。あっちにこっちに。ひとしきり遊んだ心と体を、伊藤君子さんが、心地よく揺らして弾ませてくださることと思います。
私たちの三〇周年。次の約束を自分たちに課するために、今ある節目を、しっかりと越えていきたい。越えていく節目の、しあわせを思えるライヴになると思います。どうぞ五十音におさまりきらない音とリズムに、戯れにいらしてください。みんなでお待ちしています。
豊能障害者労働センター 藤田祐子

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  1. まとめtyaiました【五十音におさまりきらない音とリズムに】

    五十音におさまりきらない音とリズムに、どうぞ戯れにいらしてください。 6月24日、私たち豊能障害者労働センターの30周年記念イベントに、いなかっぺいさんと伊藤君子さんが...

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