箕面市の社会的雇用は「参加の平等」

台風12号に被災されたみなさんに、心よりお見舞い申し上げます。

稲葉振一郎・立岩真也「所有と国家のゆくえ」に関して4つの記事を書きましたが、ここでさらに、この議論と箕面市の社会的雇用制度との関係を付け加えたいと思います。
二人の議論での「結果の平等」としての、最後のセーフティネットが生活保護だと思います。厚生労働省の福祉行政報告例によると、生活保護所帯数は1980年の746,997世帯から2010年12月には1,435,155世帯と、約2倍になっていて、生活保護受給者数は200万人となっています。支給総額も2009年には3兆円を越えていて、震災以後さらに長期にわたって増えることが予想されています。
震災の影響もあり、企業がますます海外に生産拠点を移そうとする中で、今後被災地の復興需要に期待されるものの、雇用の確保は短期的にも長期的にもとても大きな問題となっています。雇用が確保されなければ、最終的には生活保護に依存するしかなくなります。一方で国の財政が破たん寸前にまで追い込まれている現実から、支出の削減の先に増税ありきかが政治問題となっています。
ともあれ、これからの支出は対費用効果がきびしく検討されるべきだということは、わたしたちがかねてより主張してきたことでした。
わたしたちと箕面市が共同でつくり、育ててきたと言える社会的雇用制度は、「機会の平等」と「結果の平等」の間に、「参加の平等」という理念をかかげ、従来は在宅か収入の伴わない福祉的就労の場に行かざるを得なかった重度といわれる障害者の労働への参加を支援する画期的なものと自負しています。この制度は一般就労と福祉的就労の谷間を埋める制度とされていますが、実際の要綱を見ると、障害者の経営参加が義務付けられ、また障害者の生きる権利を市民に啓発することも義務付けられています。
この制度をつくるにあたってそのモデルになった豊能障害者労働センターでは障害者スタッフはすべて経営会議に参加する権利をもっているだけでなく、7つあるお店の障害者スタッフはその経営に参加しています。
立岩さんたちの議論の中ですら、たくさんできるひと、少ししかできないひと、まったくできないひと、という分け方で労働を語っていますが、わたしたちの現場ではそんなわけ方自体がとてもナンセンスで、仕事はもともと助け合ってするもので、だれかとだれかを比較することなどは無意味なのです。
ですから、これもよく言われる生産性とか経営成果とか対費用効果のとらえかたも、一般企業とはまったくちがいます。たとえば一般企業では人件費はコストで、そのコストに対しての経営成果から対費用効果を計算します。それに対してわたしたちは、人件費とは障害者スタッフが獲得できた経営成果で、たいせつな利益と考えています。
つまり、まず第一に障害者の人件費を生み出すために豊能障害者労働センターは活動していて、どれだけの障害者スタッフがふえつづけ、どれだけの賃金総額を生み出すかが経営成果をはかる物差しなのです。そのことは、箕面市の社会的雇用制度の根幹にかかわることでもあるのです。ですから、箕面の社会的雇用制度はあきらかに従来の福祉制度、保護・指導・訓練とされる福祉制度からは大きく逸脱していて、だからこそ国の制度にはないのです。
その結果として、この制度の運用による障害者事業所の障害者スタッフは生活保護を受ける必要がなくなります。障害者年金と障害者事業所からの給料で、自立生活できる所得を獲得することができるのです。
いま、箕面市がこの制度を国の制度にと提案しているのは、とても意味のあることだと思います。現在は箕面市が助成金を支出していますが、そのおかげで国は生活保護費を支払わなくてもいいというねじれ現象になっていますが、国の制度として整合性をすすめると、この制度は健全者の雇用の確保にも適用できる広がりを持つと思います。
この本の中で稲葉氏が報告していますが、アメリカ合衆国のスラム住民であれば、絶対的な所得水準において大半の発展途上国住民を上回るが、彼らの平均寿命はしばしば途上国のそれを下回るそうです。その意味では単に経済成長によるパイの増大だけではだめで、日本社会における相対的貧困の問題についても湯浅誠氏の指摘にありました。
箕面市の社会的雇用制度は、北大阪の小さな町の小さな制度ではありますが、これからの日本経済のあり方、社会保障のあり方を考える意味で、「参加の平等」を保障し、支援することで、社会保障としても雇用政策としてもコストパフォーマンスの高い政策として、国の制度に位置づけられることを切に願います。

積木屋・豊能障害者労働センター

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