山本太郎とれいわ新選組による窮民救済ネットワーク 参議院選挙

参議院選挙が終わりました。わたしは専門家でもなく、またご隠居談義をするつもりもないのですが、投票率が50パーセントを割ってしまったこと、とくに若い人たちの投票率がかなり低かったことが今回の選挙のすべてを物語っていると思います。
政権与党が過半数の議席を確保したことや、日本維新の会も加えた改憲勢力の議席が3分の2に達しなかったこと、野党共闘で10の議席を獲得したことなど、「安定した政治」を標榜する政権与党の勝利ともいいがたく、現状維持というのが実際のところでしょうか。
選挙の論点とされる憲法改変の是非をはじめ、すべてが自己責任とされる個々のひとびとが抱える困難な問題も、民主主義の根幹をゆるがすさまざまな理不尽な出来事も、「変わらないこと」を求め、「変わること」を拒否する淀んだ空気にかき消され、行き先を見失った政治の閉塞感が48.8パーセントという投票率の低さに現れたのだと思います。
しかしながら、政治に夢も希望も幻想も持たず、アイドルグループの動向やお笑いタレントたちの騒動をマスコミが追い続ける中、ただひたすら日々の暮らしの足元をみつめ、自分の人生の行方を探しあぐねるわたしたちに強烈なパンチ(合図)を送ってくれたのが山本太郎と「れいわ新選組」でした。

6年前に参議院の東京選挙区から立候補して当選した山本太郎は、国会や永田町の「常識」からは程遠い独自の活動で国会議員の先生方から「イロモノ」扱いされ、ひんしゅくと冷笑をあびせられてきました。一方でSNSや街頭活動、集会を通じて全国に熱烈なファンを生み出しました。
そんな彼が6年間の議員活動を経た今、自分の1議席を守るためではなく、議席を1つでも2つでも増やすために「れいわ新選組」を立ち上げ、その最初のたたかいの場を今回の参議院選挙としました。政界では安倍一強体制を破るべく野党共闘が模索されていましたので、野党各党からみればそれに水を差すような無責任な行動と移ったかも知れません。
しかしながら、安倍一強のもとで疲弊の極みとなった「政治」に辟易し、「この国はこわれようとしている、いやすでに壊れている」という危機感から、与野党の政治家たちの「予定調和」への憤りとともに、有権者のわたしたちに挑発に似た鋭い問いを突き付けたのでした。それはまた、わたしたち、この国に住むひとびとのもとに民主主義と政治をとりもどそうとする試みでもありました。
一方の天秤皿に山本太郎の時代を越える切実でピュアな思いを乗せた時、もう一方の天秤皿に乗せた政権与党はもちろん、残念ながらすべての野党をもふくむ「政界」の軽さは絶望的なだけでなく、消費税廃止をはじめとする山本太郎の政策立案を上から目線で「現実性のない大衆迎合的な無責任なもの」と一蹴し、冷笑を浴びせることしかできず、彼の危機感と既存の政党への絶望感をまともに受け止めることができませんでした。
実際、旧民主党の崩壊以来、政界再編と野党共闘が模索されるたびに、安倍晋三氏率いる自民党や、橋下徹氏と日本維新の会から「自衛隊を違憲とする共産党との共闘は数合わせで無責任」と攻撃されることに毅然と反論せず、臆病にすらなる一方で、国民民主党を中心に共産党を排除する野党勢力の結集を画策する限り、野党共闘は中途半端にしかならないし、彼女彼らのいう政権交代可能な野党勢力の結集は、もうひとつの自民党をつくるだけだとわたしは思います。
かくいうわたしも、障害者の運動を通じて長い間共産党とは相いれないと思ってきましたが、そんなせせこましい考えは20世紀の遺物で、21世紀に入り、若い共産党の地方議員や国会議員が原発の問題にしても憲法のことにしても真摯で、また森友学園や加計学園の問題のような、少し昔なら内閣がひっくり返っても不思議でない民主主義の危機に毅然と立ち向かう彼女彼らの姿はたのもしく、たしかに共産党がもっとも信用できる数少ない政党のひとつだというのも間違いではないと思います。
今回の大阪選挙区では、山本太郎と同期のたつみコータローの6年間の活動の確かさから市民運動との連携が生まれていたのですが、維新に2議席取られるのを阻むために立憲民主党が独自候補を立てたことで結局どちらも当選できなかったことは残念なことでした。
野党にまだ残る共産党アレルギーを捨て切れないで旧民主党のエリアの陣地とりに明け暮れている間に、こんなに長い一強政治を結局は支え、政治を人々の暮らしから遠ざけてしまった野党各党の罪もまた重いのではないでしょうか。
ともあれ、山本太郎はそんな政界の予定調和などぶっとばし、政治を国会中継や識者といわれるコメンテイターのご隠居談義を垂れ流すテレビ画面からひきずりおろし、茶の間や路上や働く場や切ない夢や根拠のない希望や妬みや欲望が渦巻く日々の暮らしの真っただ中に政治を取り戻したのでした。
まずは選挙資金を呼びかけるところからつくりあげる市民参加の政党(?)は、もっとも生きづらく、困難な暮らしを強いられる人たちを候補者として擁立しました。難病患者、重度身体障害者、性的少数者、派遣労働者、コンビニ加盟店ユニオンの労働運動家、公明党の方針に異を唱える創価学会員など、社会的弱者といわれる人びとを中心に集結した候補者は「当事者」でなければわからない問題を解決していくプロでもあります。
この国の政治に痛めつけられてきたからこそ、「たったひとつの涙を無駄にしない政治」を民衆のもとに取り戻そうとする彼女彼らの心意気は各地の街頭活動に集まる人びとを勇気づけ、日に日に参加する人々が増えていきました。わたしも7月11日の大阪での街頭活動の現場に行きましたが、たつみコータローと山本太郎の演説は聴く者の心を震えさせ、わたしも思わず泣いてしまいました。
それからも毎日全国各地で続けられた街頭活動はそれ自体が草の根民主主義の発露の場になり、最終日までの全国各地の演説会に参加人数は爆発的に増えていきました。
おそらく選挙戦の途中から、街頭活動の主人公は山本太郎から仲間の候補者、そして参加するひとびとへと変わっていったのだと思います。その中には「政治は街の村の路上のど真ん中で日々うごめくもので、その政治を動かすのはあなたしかいない」という、れいわ新選組の鋭いメッセージに心を打たれ、何かしなければと心を震わせる人びとがたくさんいたのだと思います。わたしもまた、そのうちの一人でした。
消費税の廃止、奨学金徳政令、最低賃金全国一律1500円、公務員の増員など、財源を考えないポピュリズム、無責任な人気取りだと非難されますが、一部の人にだけ恩恵がつぎ込まれ、それを政治経済の常識とする牢獄からの解放が空想ではなく、わたしたちの選択にかかっていることを教えてくれました。
アベノミクスで経済を立て直したと豪語しても、毎年自殺するひとが2万人を越えるこの社会が「豊かである」はずはなく、「死なないでくれ、生きてくれ」と叫ぶ山本太郎と、どちらが正しくて真の政治家なのか、はっきりしています。
選挙結果は、あれだけ投票率が低かったにも関わらず、「れいわ新選組」は比例区で約228万票(4・55%)を集め、筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の舩後靖彦氏と重度障害のある木村英子氏の2議席を獲得し、公職選挙法などに基づく政党要件も得ました。
今後山本太郎は非議員の立場で代表を続け、次の衆院選で100人規模の擁立をめざすと宣言しました。
山本太郎と仲間たちのたたかいはいま始まったばかり、そしてわたしたちのたたかいもまたはじまったばかり、著しく傷つけられた「多数決」という名の数の暴力ではなく、この社会の誰一人取り残さない、たった一粒の涙も無駄にしない政治、民主主義をとりもどすために、いま立ち上がったところなのだと思います。
わたしのまったく個人的な考えですが、野党の結集軸を本気でもとめるのならば、まずはれいわ新選組と共産党を中心にすすめたらいいのではないかと思います。
というか、もっとほんとうの願いを言えば、かつて竹中労が夢想した「窮民革命」のように、既存の政党による「政治」と別に、志を同じくする議員たちが参集し、党派を越えた窮民救済ネットワークが各政党の縛りから解放されて政策立案し、実行する「新しい政治」が生まれないものかと思います。
現実はそんなに甘くないとか、論理性のない理想主義だとか、そんな批判はもううんざりです。そのひとたちがいう「現実」や「常識」こそがこの国に住む人々を苦しめ、かつては戦争まで起こしたのですから…。

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