対話する音楽…。自由と助け合いによる民主主義の音楽

「トリオ・ディ・アミーチ」とはイタリア語で「ともだち」という意味で、3人の友情がいっぱい溢れた弦楽三重奏団

 9月2日、箕面市立メイプルホール小ホールで開かれた「秋のトリオ・ディ・アミーチ コンサート」に行きました。
 このユニットは、ヴァイオリンの横山亜美さん、ヴィオラの河原結衣さん、チェロの山岸亜友美さんの3人による弦楽三重奏団で、2017年に結成されました。
 以前ヴァイオリンの横山亜美さんの演奏を聴かせていただいた縁で、わたしが約20年暮らした箕面で開かれた今回のコンサートに参加させていただきました。
 横山亜美さんの演奏を始めて聴いたのは2021年9月、豊中市岡町の「桜の庄兵衛」ギャラリーでした。この時はヴィヴァルディの「四季」の全曲を横山亜美さんのヴァイオリンと武田直子さんのピアノによる演奏でしたが、驚いたのは横山亜美さんの音楽への底知れない愛でした。
 演奏する楽曲のことや作曲家のこと、楽曲がつくられた時代背景などを彼女の音楽人生ともども語ってくれるその熱量もさることながら、その語りがややもすれば「語りに落ちる」ことにならないように配慮されていてまったく嫌みがないのです。
 けれども、わたしがそれ以上にびっくりしたのは音の語り、音楽がつくりだす音空間の彼方へと、世紀を越えるクラシックの途方もなく長い歴史をたどり、わたしたちを連れて行ってくれることでした。その時はそれを裏付ける演奏の力と音楽への情熱がそうさせるのだと思うだけにとどまっていました。
 それがどうでしょう。今回の弦楽三重奏を聴き、彼女の音楽に対する矜持はそんなものではなく、もっと広く深いところに立ち、音を語り、音楽を語っていたのだと知りました。
 現在では弦楽三重奏は四重奏にくらべて珍しく、また三重奏のための楽曲も少ないということでしたが、ヴァイオリンとヴィオラとチェロだけの演奏はシンプルと言うよりはそぎ落とされたというか、3人のヒリヒリした息づかいがそのまま胸に響き、あっという間に虜になりました。やり直しがきかず取り返しのつかないところに身を置きながら、それでいて切羽詰まったものではなく、「ああ音楽ってこんな風に始まり、時も場所も越えて引き継がれてきたんだな」と、今この場所に届いた音たちとの出会いに感謝したくなるのでした。
 実際、3人のハーモニーは溶け合うのではなく、研ぎ澄まされたそれぞれの音たちが立ち昇り支え合い、あいまいさを許さず、最初のクラシックの楽曲においてはヴィオラとチェロがヨーロッパのどこかの忘れられた風景、壊され再生され、また壊され再生をくりかえす、幾時代ものがれきの積み重なった記憶の街にわたしもまた迷い込み、悲しくも懐かしく、切ない想いがよみがえるのでした。

音楽もまた色褪せることのない記憶のジャーナリズム

 弦楽三重奏の魅力は何よりもひとりひとりがソリストと同じ熱量で演奏する、手ざわり感と息づかいが直接伝わってくることにあると思うのですが、もうひとつ付け加えれば、それぞれのプレイヤーが対等であること、対等でなければ実現できない音楽で、そのことは演奏を聴くわたしたちの心を安易に癒してくれるのではなく、個人としても時代としても困難な時を共に歩く伴走者としての音楽を届けてくれるところにあるのだと思いました。
 彼女たちの弦楽三重奏の虜になりながら、わたしは似たような経験をしたあるライブのことを思い出しました。それは20年前の2003年3月、京都のライブハウス「RAG」でのコジカナツル(ピアノ・小島良喜、ベース・金沢英明、ドラムス・鶴谷智生)のライブでした。
 ジャンルはもちろん、ジャズ&ブルーズで、今回の演奏とはほんとうに真逆の激しい演奏でしたが、その時、わたしは音の洪水の彼方に広がる荒野に身をゆだね、音楽のうれしさ、楽しさを学んだのでした。音楽は時間のキャンバスに「自由」という絵筆で形を描き色を塗り、しあわせな風景を描いていました。そして聴くひとの数だけの孤独な心を通り過ぎていきました。
 わたしはとつぜん悲しくなり、涙があふれました。同じ夜にライブハウスにあふれる至福の音楽と、遠いイラクの地で死んでいく無数のいのちたちが最後に聴いたはずの爆音と地鳴りと悲鳴が共存しているのでした。それが現実なら、わたしたち人間はいつまでこんなことをくりかえすのだろうと思いました。その夜はイラクの首都バグダッドへの空爆が始まっている夜でした。

ヴィヴァルディの「四季」から「津軽海峡冬景色」まで、彼女たちの音楽はひとも場所も時も選ばない

 今回のコンサートではシューベルトの弦楽三重奏曲につづき、ドヴォルザークの「ユーモレスク」、ヴィヴァルディの「四季」より「秋」と、クラシックの楽曲は3つだけで、その後はすべてポピュラー音楽で、中には「秋桜」や「川の流れのように」と日本の楽曲も含まれていました。それらの楽曲の中の半分を越える7つの楽曲は、横山亜美さんの編曲でした。
 その編曲には両親ともヴァイオリニストという家庭で育った生い立ち、そしてお母さんから受け継いだ弦楽三重奏のことなど、今回話してくれたことで彼女の音楽に対する深い情熱と矜持がどこから生まれ、どのように培われてきたのかを垣間見たように感じました。
 彼女がヴァイオリンをやめようかと思いまどった時、お母さんから第2ヴァイオリンとして参加を依頼され演奏した時に、はじめて音楽の楽しさを実感したと言います。さまざまな経験を経たさまざまなプレイヤーと出会い、さまざまな楽器を奏で、共に一つの音楽をつくりあげるよろこびに目覚めた彼女は、おそらくその音楽を受け止める聴衆のわたしたちもまた、その音楽に参加できるのだと思ったのではないでしょうか。それが持ち前のサービス精神も手伝って、演奏するそれぞれの音楽が生まれた時と場所、作曲したひとの想いなど、音楽が生まれ、紡ぐ場をわたしたちと共有することを願い、あの語りが生まれたのだと思います。
 華やかなソリストが目立ってしまうより、それぞれのプレイヤーが集い、対話する音楽…。それはほぼジャズの領域かも知れませんが、大きな意味で自由と助け合いによる民主主義の音楽なのだと思います。
 彼女の編曲はまさにそのことを体現したもので、3人のプレイヤーが音楽でおしゃべりしているようで、とても生き生きした演奏になるのでした。それは音楽の地平をどこまで広げることができるのかという冒険で、だからこそ彼女の編曲の妙は自由度があるポピュラー音楽や歌謡曲、演歌までをもモチーフにしたときに最も力を発揮できるのでしょう。ほんとうは多くの人々に知られ、時代の鏡ともいえる大衆的な楽曲は原曲のイメージが染みついているために編曲が難しいはずなのですが、彼女の場合は原曲のイメージとの距離感を保ちながら、たくさんの人が知っているからこそ独自の演奏で再発見してもらうという意図がはっきりしている刺激的な編曲でした。
 それもまた、今回の場合はヴィオラの河原結花さん、チェロの山岸亜友美さんに対する全幅の信頼があってこそなのだろうと思いました。その意味で、わたし個人の好みだけで言えばどの楽曲の演奏もとても魅力的でしたが、「ニューシネマパラダイス」とアンコールの「津軽海峡冬景色」には編曲の妙がとくにきわだっていたのではないかと思います。
 「トリオ・ディ・アミーチ」とは、イタリア語で「ともだち」という意味で、まさにこの3人の友情がいっぱい溢れた素敵なコンサートでした。