大雪の日に、吉野弘「雪の日」に心洗われる

今日は一日中雪が降り続いています。わたしの住む能勢は大阪の北の端で、峠を越えれば京都府亀岡に通じる山里で、天気予報も大阪か京都南部か見るのに迷う地域です。
寒さもひとしおですが、なぜか雪はそれほど降らず、年に一度、たいがいは一月に大雪がふる程度ですが、今日の雪は格別な雪で能勢に来て6年目で初めての大雪となりました。
さて、わたしは雪が降るといつも思い出す詩があります。吉野弘の「雪の日に」です。
この詩は吉野弘作詞・高田三郎作曲の有名な合唱組曲「心の四季」の中の詩で、わたしは息子が参加していた同志社大学混声合唱団「こまくさ」の定期演奏会と、豊中混声合唱団の定期演奏会で聴きました。
わたしには娘と息子二人の子どもがいますが、父親として子どものために何もしてやらなかった、というよりはできなかった人間で、子どもたちが幼稚園に行くようになった時、母親に連れられて幼稚園の見学に行ったものの20分も泣きわめき、結局幼稚園に行けなかったわたしをのりこえてくれたと思ったものでした。
実は、娘の方はごく軽い「てんかん」で、幼稚園でも多少問題になったようですし、息子の方は一度専門家に相談したらと幼稚園から言われたりしていたのですが、わたしにくらべたらはるかにしっかりと「社会進出」を果たしているのですから、それ以上望むものはなかったのです。
息子は小学校から中学校はテレビゲーム、高校の時はハードロックにはまり、大学で合唱サークルに入りました。それまで一人遊びが上手だった彼が、はじめて仲間とひとつのことをする喜びと苦しみを学んだのが合唱サークルだったようです。
やがて合唱サークルの定期演奏会に足を運ぶようになり、いままで歌謡曲かほんの少しロックを聴くぐらいしかなかったわたしは、合唱の素晴らしさを知ることになりました。
彼はその後に豊中混声合唱団に参加していたこともあり、その定期演奏会も何度か行きましたが、わたしはきっとそんなにレベルが高いわけではない大学時代の合唱サークルの演奏のほうをよく思い出すのです。
というのも、大学を卒業すれば別れ別れになる若者たちが人生の中でほんのひととき、今を共に学び生きる仲間と言葉と声と音楽を響き合わせ、心を細い糸でつむぎ合わせる歌声は時にはたよりなく時には力強く会場を共振させ、いつのまにか意志を持ったひとつの声になり、聴く者の心に広がっていくのを感じ、合唱は歌いながら聴きながら、天使が降りてきて至福の声を聴く一瞬のためにあるのだと思ったのでした。それを神の声と呼んでもいいのかも知れません。
そんな一瞬を共有するために、膨大な時間をボイストレーニングと自分のパートの練習に費やし、それから多い時には100人の若者が歌っている姿を見ていると、とてもいとおしく思ったものでした。合唱の魅力に憑りつかれたわたしは、息子の出演する演奏会には必ず行くようになりました。

合唱を聴いてもうひとつ大きな発見をしたことは、若い頃に親しんだ現代詩が合唱曲になっていたり、合唱曲のために詩人が書き下ろした詩を楽しめることでした。
谷川俊太郎の「地球へのバラード」の中の「鳥」や「地球へのピクニック」など、わたしは彼の詩集で読んだ記憶があります。

鳥は空を名づけない
鳥は空を飛ぶだけだ
(谷川俊太郎「鳥」)

また、長谷川きよしが歌った中山千夏作詞の「黒い牡牛」を合唱曲で聴けたのも大学の合唱サークルの演奏会でした。

吉野弘と高田三郎による「雪の日に」は素晴らしい合唱組曲で、若い頃あまり親しみがなかった吉野弘の詩の世界にも触れることができました。
合唱団や合唱サークルの中でも定番の合唱曲ですが、高田三郎の繊細で抒情的な曲にしみ込む吉野弘の詩は日本の春夏秋冬をなぞる心の風景画とも言えます。
その中でも「雪の日に」はドラマチックな曲で、神々しく荘厳な雪の風景が浮かんできます。「心の四季」というタイトル通り、人生の春夏秋冬を通り過ぎてきて、雪の白さ、雪の重さ、純白の雪の嘘と、その嘘を隠す純白の雪…、自分の人生を振り返りながら降り続ける雪のようにただひたすら今の自分をかみしめる悲しさ、切なさに胸が締め付けられる思いです。

どこに 純白な心など あろう
どこに 汚れぬ雪など あろう
雪がはげしく ふりつづける
うわべの白さで 輝きながら
うわべの白さを こらえながら
(吉野弘「雪の日に」)

これからどれだけの時間が私に与えられているのかわかるはずもありませんが、降り続ける雪と真っ白な景色を窓から眺め、「雪の日に」を聴きながら、自分の人生を圧倒的に情熱的に肯定しよう、そして自分らしく、そして少しだけ勇気を出して生きていこうと思いました。

「心の四季」より「4.山が」「5.愛そして風」「6.雪の日に」「7.真昼の星」
豊中混声合唱団第53回定期演奏会 2013年7月6日 ザ・シンフォニーホール
わたしもこの演奏会に行きました。この映像で私の息子も見つけられました。
この演奏会は感慨深いものがあります。というのもこの時、珍しく私の娘と、2015年に亡くなったM.Kさんと一緒でした。M.Kさんとは長い付き合いで、何回かクラシックのコンサートに連れて行ってくれた人で、箕面の障害者の活動でとても大切な役割を果たしてくれた方でした。とくに私の娘はこの人といっょに仕事をすることで多くのことを学んだと思います。
とてもすてきな人でした。

大雪の日に、吉野弘「雪の日」に心洗われる” に対して1件のコメントがあります。

  1. 性的魅力の存在論 end

    身体外見における性的魅力の感受性に男女の性差異はない、そして男性的身体に比べて女性的身体は(女性の感受性によっても男性と同程度に)はるかに美しく感じられる、という拙稿の理論を裏付けています。■

    (54 性的魅力の存在論 end)

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