伊藤君子の「My Favorite Things」

わたしがはじめて聴いたジャズはおそらく高校生の時で、大阪の地下街、阪神百貨店のそばにある「萬字屋古書店」のラジオから流れてきたルイ・アームスロングの「聖者が街にやってくる」だったと思います。もともと親友だったKさんに教えられてこの古本屋さんによく通っていました。
薄暗く時をたべた紙の匂いが充満する空間に、「ヒュー、ヒュー」という雑音とともに風のように流れる、どこか悲しさを秘めた陽気な歌声を、いまでもはっきり覚えています。
ルイ・アームストロングはジャズ発祥の地といわれるニューオリンズの、黒人が多く住む貧しい地域で生まれました。子供の頃にピストルを発砲して入所した少年院のブラスバンドでコルネットを演奏することになったといいます。その才能は一気に開花し、少年院を出てすぐにもう、プロミュージシャンの仲間入りを果たすのでした。
彼がピストルを捨てて楽器を持ち、ニューオリンズの袋小路から演奏をはじめたジャズは、時と国境を越え、海を渡り、山と積まれたエロチックな雑誌にどきどきしながら本をただ読みしていた、孤独でかたくなな少年の心のとびらを叩いたのでした。
東京オリンピックとケネディ大統領の暗殺という二つの出来事を両極にして、激動の時代は否応なく高校生のわたしの日常にも迫ってきていましたし、すでに同年代の若者はビートルズ旋風のただ中にいたというのに、わたしはいまだに畠山みどりの「出世街道」を愛唱歌としていました。
ジャズは戦後すぐに開花し、多くのすぐれたミュージシャンを輩出していましたし、巷には歌謡曲と同じように流れていたはずなんですが、わたしにはなぜかまったく無縁な音楽でした。そんなわたしに届いたルイ・アームストロングの歌は、子どものころから三橋美智也や春日八郎や美空ひばりの歌謡曲しか知らなかったわたしにも、遅ればせながらジャズやロックへと少しずつ心を開くきっかけになったのでした。

それから数年後には、わたしは高校時代に出会った友だちと6人で大阪空港の近くの文化住宅を借り、奇妙な集団生活をしていました。この時代には大学進学率も大幅に上がっていましたが、6人とも経済的な理由で大学には行かず、高校卒業後一度は正規の職業に就いたもののすぐにやめてしまい、今で言うフリーターやわたしのように無職のまま、それまでに蓄えたわずかな貯金をくずし、食べる物を分け合ってくらしていました。
それはわたしにとって、社会から身を守る隠れ家でした。子どものころから対人恐怖症だったわたしは、高校時代の数少ない友人とだけの人間関係で生きていきたいと真剣に思っていたのでした。そのためには3年間ビルの清掃をしながら蓄えたわずかなお金を使い果たしてもいいと思っていました。実際のところ家賃も食費も6人で割ると、信じられないほど生活費は少なくてすみました。
今から思えばそんな暮らしが長くつづくはずはなく、いずれはわたしも独りで社会と向き合わなければいけないことはわかっていましたが、どこまで持ちこたえられるかわからないけれどこの隠れ家に身をかくしていたいという切実な思いでいました。
世の中は騒然としていました。大学紛争、ベトナム戦争、安保闘争、アメリカ公民権運動など、世界も日本も激動の時代でした。
わたしたちの隠れ家には、誰かの知り合いということで、それこそ身を隠すためもあったのか、当時の学生運動の闘士らしき若者が泊りに来ることがよくありました。わたしは同年代の彼らと夜遅くまでよく話をしました。彼らの政治運動にシンパシーを持ちながらも、わたしは彼らの闘争に参加することはできませんでした。ひとつには 彼らが異口同音に発する「帝国主義打倒」、「人民解放」、「革命勝利」といった言葉がどうしてもなじめなかったことと、彼らのようにある意味純情な情熱を持って社会とコミットすることが怖かったのでした。
そんなことができるのなら、わたしはこの隠れ家に身をひそめて暮らしはしませんでしたし、社会性がなく対人恐怖症でどもりで私生児で覇気がなく、それでいて生意気に彼らに議論を吹っ掛けるだけのわたしは、ただ世の中や大人たちや会社や警察が怖いだけの、ほんとうにどうしようもない奴でした。
そんなわたしに、「君もいつか、行動する時がやって来るよ」と言ってくれたIさんは、京大の「ノンセクトラジカル」という銀ヘル集団(?)の一員だったと後から聞きました。彼は泊りに来た明くる日、いつも大阪のジャズ喫茶に連れて行ってくれました。そして、決まってジョン・コルトレーンの「至上の愛」のB面をリクエストし、聴かせてくれました。それがわたしにとって2度目のジャズとの出会いでした。
伊藤君子が津軽弁でも歌っている「My Favorite Things」は、ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」のうちの一曲ですが、ジョン・コルトレーンがこの曲をカバーしていて、わたしはほとんど彼の演奏しか聴いていません。
伊藤君子の「My Favorite Things」は、ふたたびこの曲にボーカルが入っていたことを思い出させてくれたのですが、結局オリジナルはほとんど聴かないまま、今度は伊藤君子のボーカル、それも津軽弁のジャズの名曲としてわたしのからだに入り込んでしまいました。
先日の伊藤君子のライブを聴いていて、歌や音楽が作者の手を離れた瞬間からすべてのひとのためにあることや、その共通のたからものをだれでも演奏できる自由で対等な関係から生まれるジャズのすばらしさを実感しました。ミュージカルの曲として誕生し、ジョン・コルトレーンのモダーンジャズとなり、伊藤君子によっていとおしい津軽弁のジャズボーカル曲となった「My Favorite Things」という歌は、とても幸せな旅をして来たのだと思います。
先日のライブではレオン・ラッセルの「A Song For You」も歌いましたが、レイ・チャールズもカバーしていたこの名曲を、伊藤君子は可憐な花束を胸に抱き、愛を必要とするたったひとりの孤独な心の扉を静かに叩くように歌ってくれました。
ジャズの自由さ、奔放さと、繊細な心の衣擦れのように少しせつなくてとてもかわいい津軽弁、遠い昔アメリカ大陸に伝わり、綿畑の土に沁み込んで生まれたブルーズとジャズがわたしにまで届いた音楽の果てしない旅、その時その場所の風景を想像させてくれる伊藤君子のジャズは、わたしの何度目かのジャズとの出会いになりました。

私(わ)の好ぎなもの(マイ・フェイヴァリット・シングス)伊藤君子

「My Favorite Things」ジョン・コルトレーン、マッコイタイナー、ジミー・ギャリソン、エルビン・ジョーンズ

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  1. まとめtyaiました【伊藤君子の「My Favorite Things」】

     わたしがはじめて聴いたジャズはおそらく高校生の時で、大阪の地下街、阪神百貨店のそばにある「萬字屋古書店」のラジオから流れてきたルイ・アームスロングの「聖者が街にやって...

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