音楽もまた傷つき、避難してきたのだ…。デュオ フェイギン 桜の庄兵衛コンサート

 6月23日、豊中市岡町駅の近くの「桜の庄兵衛」ギャラリーで開かれた演奏会に行きました。2015年、ドイツで活躍する友人のヴィオラ奏者・吉田馨さんが出演した演奏会に参加した縁で、定期的に開かれる演奏会にたびたび訪れるようになって7年の月日が流れました。
 クラシックの室内楽が中心の演奏会で、わたしはそれまで(実は今も)クラシックをほとんど聴かない暮らしでした。とは言っても今年で75歳になる年月を重ねればある程度のたしなみは持っていても当然ですが、わたしの場合は恥ずかしながらクラシックの演奏会に行ったことは数えるほどで、テレビなどで流れている聞き覚えのある曲のこともまったくわからない始末です。そんなわたしがこのごろたまにテレビのクラシック番組を見るようになったのも桜の庄兵衛さんのおかげと感謝しています。

音楽は今、立ち尽くすわたしたちの心に届けられた奇跡

 桜の庄兵衛さんから案内が来るたびに、今度はどんな人がどんな音楽を届けてくれるのかとわくわくしながら会場へと急ぐわたしですが、江戸時代に建てられたお屋敷の門をくぐると四季折々に姿をかえるお庭に迷い込む風がさわやかな前奏曲を奏で、ギャラリーへと招き入れてくれるのでした。
 今回のプログラムはドミトリー フェイギンさんのチェロ、新見フェイギン 浩子さんのピアノで、ご夫婦のお二人はソロはもちろん、デュオでも活躍されていて、今回の演奏会は桜の庄兵衛さんと縁の深い「堀江ファミリー」とのつながりで実現したのでしょう。
 ドミトリー フェイギンさんが静かに登場し、バッハの「無伴奏チェロ組曲6番ニ長調」を弾き始めました。沈黙を突き破る初めの一音でクラシック音楽を全く知らないわたしでも心がかきむしられるような激しい感情におそわれました。
 といって、演奏自体はあざとい感情移入もなく、天賦の才能と長い演奏経験がなければコントロールできないはずの音楽空間をチェロの奏でる一音一音でつくりだす現場の息づまる緊張感に包まれながら立ち会うことができたのでした。
 わたしたちは、いつ終結するのかわからない新型コロナ感染症と、4か月に及ぶウクライナ戦争、しかもこの日は沖縄追悼の日でもあったこともあり、どうすればこれからを生きる世界の子どもたちに平和で安心できる未来を用意することができるのか、どんな希望と願いと切ない夢がわたしたちを待っているのかと思いまどう毎日を過ごしています。
 演奏する人も演奏を聴く人も、忘れてはいけない悲惨な歴史と世界が直面する理不尽な現実を避けることができない状況の中で、それでも音楽は今、立ち尽くすわたしたちの心に奇跡的に届けられたのでした。

 ロシアとウクライナのどちらにもルーツを持つドミトリー フェイギンさんの心情がどれほどのものかと軽薄に推し量ることほど失礼なことはありませんし、彼もまたその状況におもねるような演奏やコメントを排し、凛として音楽への渇望に徹した素晴らしい音楽を届けてくれました。実際のところ、なんとなくチェロは低音で癒やしの楽器と思っていましたが、これほどまでに激しく優しく悲しく聴く者の琴線を奏でる楽器なのだと教えていただきました。そういえばチェロはちょうど人が抱きとめるような大きさで、演奏者が楽器を弾くというよりは楽器のたどってきた音楽の歴史を演奏者が聴き入るような、不思議な楽器なのだと気づきました。
 それがゆえにわたしは、フェイギンさんによってあふれ出るチェロの音のつぶたちが、はるか遠くの紛争の地から逃れてきただけにとどまらず、バッハがこの楽曲を紡いでから約300年、時と場所は世界各地に散らばっていても、無数のチェロと無数の人々がこの楽曲を演奏し、その演奏を聴きながら生き、そして去っていった、いわば人々の深い願いそのものように思えたのでした。

<世界>がすべて沈黙してしまう夜

 突然わたしは悲しくなり、涙があふれそうになりました。今この会場にあふれる至福の音楽と、彼方の地で死んでいく無数のいのちたちが最後に聴いたはずの爆音と地鳴りと悲鳴とが共存している。それが現実なら、わたしたち人間はいつまでこんなことをくりかえすのだろう。銃をかまえる兵士たち、爆弾を落とす兵士たち、長い夜のカーテンに身をかくす市民たち、彼女たち彼たちは今どんな音楽を聴き、どんな歌を歌っているのだろう。
 傷ついた人々を音楽が癒やしてくれるのではなく、音楽もまた傷つき、悲鳴を上げながら避難してきたのだと…。

 新見フェイギン 浩子さんのピアノが加わり、1部の後半と休憩をはさんだ2部の前半はブラームス、その後はファリャのスペイン民謡組曲、マルティネスの「ロッシーニのテーによる変奏曲」と、ドラマチックで情熱的なふくらみのある演奏を聴かせていただきました。
 ピアノとのデュオがチェロにとってベストマッチなのでしょうか、バッハの独奏とは全く違うチェロの楽器のたおやかで奥深いメロディーがピアノに溶けていく至高の音楽に感動しました。
 とくにブラームスは、たとえば純情な恋であるがゆえの激しさが、ちょうど荒れる前の波打ち際に押し寄せる波のようであるように、瑞々しいチェロとピアノのハーモニーに胸が高鳴りました。美しい楽曲と美しい演奏に、「それでもわたしたちはだいじょうぶ」と心豊かに希望の光を見つけたような、幸せな気持ちになりました。
 会場に来られたみなさんもおそらく同じような気持ちを持たれたようで、一曲終わるたびに声を上げそうになるのをこらえて精いっぱいの拍手で感動を伝えておられるようでした。ちなみにわたしが桜の庄兵衛さんで初めて聴いたのもブラームスでした。

 わたしは武満徹の言葉をかみしめながら、会場を出ました。
 「国家がその権力において個人の<生>を奪いつづけるかぎり、<音楽>が真に響くことはない。私たちは<世界>がすべて沈黙してしまう夜を、いかにしても避けなければならない。」(武満 徹)

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