島津亜矢「与作」・BS日本のうた

11月10日、NHKの「BS日本のうた」に島津亜矢が出演し、「与作」と「一本刀土俵入り」を歌いました。また、この番組ではいつもNHKのアナウンサーの司会を出演者の一人が手伝うのですが、わたしが島津亜矢のファンになって3年の間で、はじめてその役割も見事に果たしました。
放送番組に出演するたびに、彼女のステージでの立ち振る舞いや表情がどんどん柔らかくなっていくのを強く感じます。わたしの印象が間違っていたのかも知れませんが、以前の放送ではどこか表情が硬く、緊張感があって、それがまたわたしには新鮮な魅力に映ったものでした。
ところがここ1、2年はいつもたおやかなほほえみを宿し、高く透き通り、はっきりとした発声の中にもどこかやわらかな韻を残し、リズム感がただようトークが会場に溶けていくのがテレビ画面を通じても伝わってくるのです。
もちろん、彼女のコンサートではリラックスしたトークが毎回聴けるのですが、単独のコンサートよりも、かえって多くの共演者といっしょの時の方が彼女のちょっとした気配りや立ち姿、さらにはNHKの看板番組「歌謡コンサート」の時のように他の歌手の歌を熱心に聴いている姿から彼女の人間性を垣間見ることができるのが、わたしの最近の楽しみのひとつです。

さて、「与作」ですが、まずはどうしても「うまいな」という言葉が出てきてしまいます。
そして、新潟県立六日町高等学校吹奏楽部・音楽部のコーラスと一緒に聴くと、1978年に発表されて以来、いまや国民的歌謡曲ともいえるこの歌のすばらしさをあらためて発見したような気がしました。
そこで、少し調べてみたら、この歌はNHKの視聴者参加番組「あなたのメロディー」から生まれた歌だったことを知りました。この番組はわたしの大好きだった番組で、視聴者が作詞作曲した曲をプロの歌手が歌い、審査員にアンコール曲として選ばれた曲がレコーデングされることもある、今ふりかえっても画期的な企画でした。
この番組が始まった1963年はボブ・ディランやジョーン・バエズなどの歌が伝わり、ピート・シガーが来日した年でもあり、それ以後のシンガー・ソングライターが活躍する直前で、1969年には「ヤマハポピュラーソングコンテスト」が始まり、アマチュアの登竜門として中島みゆき、因幡晃、八神純子など、数多くのソングライターが誕生しました。
「あなたのメロディー」の場合はプロになろうとする人だけではなく、いままで歌の聞き手、受け手でしかなかった視聴者が自分の体験や生活の中で感じるものを歌にしてこの番組に応募し、専門的なこともふくめて審査員が感想や意見や、時には歌の作り手にとどまらず審査員同志の議論を通して、歌が生まれる瞬間と歌が育っていくプロセスに視聴者も参加できることから圧倒的な支持を得たのだと思います。
わたしは寺山修司や高木東六が審査員として出演していた初期の頃の放送をいつも心待ちにしていたと記憶しています。高木東六は「私は演歌が嫌いだ」と、演歌調の歌にきびしい意見を言いながらもユニークな発言で人気を博しました。一方で寺山修司は、家出をすすめる著作や発言で若者を扇動する反社会的な人間とされていましたが、数多くの若者たちからは熱烈な支持を受け、彼をたよって家出してくる若者たちの生活を支えるためもあって「天井桟敷」という劇団をつくったほどでした。そんな彼を審査員に迎えたこの番組の制作関係者は冒険的で、いい意味の野心を持っていた人たちだと思います。
寺山修司は歌の音楽性よりも地方の若者たちの応募曲によく出てくる「故郷を大切に守り、故郷で暮らしていきたい」という純朴な歌詞に対して、「そんな自分の可能性を狭いところに押し込めないで、若いのだから都会で暮らしてみるのもいい」とよく言っていました。
寺山修司の主張するところは多くの大人たちにはひんしゅくものでしたが、わたしたち当時の若者にはストレートに届くものでした。それは社会に自分をあわせるのではなく、自分たちが社会をつくり、時代をつくろうというメッセージで、1960年代の世界のひとびとが求めた「自由」と「抑圧からの解放」という時代の風を伝えるメッセージでもありました。
しかしながら、彼の主張は実は日本の高度経済成長の時代でこそ有効な主張だったと今は思っています。激しく風が吹き荒れた時代からすでに多くの年月が流れ、わたしも社会も年老いてくる時代を迎え、これまでとちがった「自由と解放」が求められているというのが、今のわたしの感じる所です。最近、古市憲寿という1985年・東京生まれの若者に関心があるのですが、彼の書いた本や発言から想像してみると、今の若者にとって東京は1960年代の若者のようなぎらぎらした憧れの地ではないのでしょう。といって、東京の若者が地方に住みたいと思っているはずもなく、いまだに地方の若者は東京をめざしていると思います。冒険と見果てぬ夢と膨張し続ける欲望があふれる街としてではなく、すでに完成してしまい、手垢のついたファッションと埃だらけの希望とすでに現実に追い越されてしまった夢が行き場をなくしてしまった「クールな街」としての東京に…。いまだにつづく都市集中の社会構造のもとで、地方での働き口がみつからないという、より切実な理由で東京をはじめとする都会をめざす若者は跡を絶たず、わたしの住む能勢町ももちろんのこと、地方の人口は減る一方です。
1978年に北島三郎や千昌夫、弦哲也(番組ではこの人が歌ったそうです)らによってレコーディングされた「与作」は、この番組の意図の通りに、まったく独自の道をたどって世に出ました。作者の七澤公典さんの思いは知らないのですが、やはりこの歌はその誕生の在り方にすでにひとつの大きなメッセージを持っていて、だからこそニューミュージック全盛期、都会的でスタイリッシュな恋の歌がもてはやされた時代に、この歌は静かにひとびとの心から心へと広がって行きました。単調なリズムとメロディーを繰り返すことで山の霊との交流のようなシャーマニズムを連想させるこの歌に、数多くのひとびとが心のよりどころをみつけたのだと思うのです。北島三郎の一文字シリーズにも強い影響を与えたと思われるこの歌は時代の海を何度も越え、これからも日本のワールドクラスのフォークソングとして歌われ続けることでしょう。
今回の島津亜矢の歌唱は、その透明ではりのある高音に加え、声量を抑えながら聴く者の心のひだに涙のように落ちていく丸みのある高音、そしてますます肉感的な息づかいに震える官能的な低音をコントロールし、とても難度が高いと思われる新しい歌唱によって、あらためてこの歌の持つ広さと深さを届けてくれました。
願わくば、もう少し高校生たちとのコラボが多くあればなおよかったと思いました。
「与作」の思い出としては、豊能障害者労働センターの障害者スタッフで、箕面市における共に学ぶ教育運動の先駆者であるKさんの十八番だったこと、しかしながらいつのまにか松田聖子、モーニング娘。をへていまは「AKB」らしいことや、島津亜矢のコンサートに初めて行った2011年の冬、一緒に行ったわたしの音楽の先生のひとりでもあるIさん、忌野清志郎やエルビス・プレスリー、ボガンボスなど内外を問わずロックとブルースを私に教えてくれたIさんが島津亜矢の「与作」に感動し、泣いてしまったらしいことなど、書きたかったエピソードがいっぱいあったのですが、力及ばず、又の機会にさせていただきます。
ますますセリフに色艶が増し、もちろんその歌唱がますます進化しつづける「一本刀土俵入り」については、以前に書いた記事をもう一度ご案内させていただきます。

島津亜矢・アルバム「BS日本のうた6」
島津亜矢の「与作」はこのアルバムに収録されています。短いですが視聴できます。もうひとつ、「島津亜矢リサイタル2010 挑戦」に収録されています。

北島三郎「与作」

島津亜矢「一本刀土俵入り」

島津亜矢「与作」・BS日本のうた” に対して2件のコメントがあります。

  1. フィレオ― より:

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    ジョーン・バエズ 懐かしい。
    私がギターを始めたのは、彼女のドンナ ドンナからでした。
    私にとっては良き時代でした。 
    ただ、フォークギターではなく、柔らかい音がするクラシック
    ギターでした。 お説が、難しい処もありますが、細かく理解
    されておられます。私も、2年前からのファンで島津亜矢さんの事、
    詳しくは知りません。 
    10回ほどしか、コンサート行って居りません。
    でも、解ったことは、行くたんびに上手くなっているのです。
    これだけの、歌唱する人、今、島津亜矢さんだけでしょう。
    「与作」のファルセット、素晴らしいですね。
    「一本刀土俵入り」歌もセリフも素晴らしい!
    一回コンサート行ったら、虜になります。
    仰有る通り、表情が柔らかくなり、何時も笑顔がこぼれます。
    むぞらしかの写真も、とっても素敵な人の心に溶け込むような
    優しい力みのない笑顔です。 また、書いてくださいね。

  2. tunehiko より:

    SECRET: 0
    PASS: 04e60c26645b9de1ec72db091b68ec29
    フィレオ―様
    こんばんは。いつもありがとうございます。
    フィレオ―様のコメントは、音楽の演奏ができる人のコメントで、いつも学ばせていただいています.
    わたしの場合はもっぱら聞くばかりです。実は若いときにギターを練習したり、ハモンドオルガンを習ってみたこともありましたが挫折しました。
    わたしにとって歌や音楽は人生のともだちのようなもので、歌が人から人へと手渡され、わたしに届くまでにどれだけのひとの心を通ってきたのかなどを想像することが楽しみなんです。
    島津亜矢さんの歌に出会ってからは、そんな楽しみがますます増えています。

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