島津亜矢「いいじゃないの幸せならば」と「新BS日本のうた」

少し前になりますが、2月21日のNHKBSプレミアム「新BSにほんの歌」のスペシャルステージに島津亜矢が登場し、森昌子と共演しました。
1998年からはじまったこの番組の前身、「BS日本のうた」に島津亜矢はたびたび登場し、一部のファンの間では「BSの女王」と異名をとったことでもよく知れています。今でもその頃の貴重な映像が残されていますが、BS放送がまだ普及していない頃に海外向けにも日本の歌謡曲を発信していたNHKが、地上波での出演にめぐまれない若い演歌歌手の中で抜きんでた歌唱力を持つ島津亜矢に着目し、番組のグレードを保とうとしたのではないかとわたしは思います。
番組後半のスペシャルステージはまとまった時間、最初の頃はひとりの歌手のワンマンショーだったのがやがて主に二人の歌手が競演するミニライブのようなコーナーで、BS放送が普及するにつれて出場回数は少なくなったものの、島津亜矢のスペシャルステージは数々の伝説をつくりました。
さて、今回のスペシャルステージは昨年の4月にリニューアルされて「新BS日本のうた」となってからははじめての出演となりました。
新しくなったこの番組はバラエティ色が強くなり、前の番組にあった緊張感が希薄になったように思います。とくに前身の番組のスペシャルステージはそれぞれの歌手が時には火花が散るような緊張感で共演し、その一瞬その空間にひとりひとりのコンサートでは達成できない音楽的な冒険の場になることがありました。わたしが島津亜矢のファンになったのもそんなステージを観たのがきっかけでした。
しかしながら、それはまた歌い手さんの負担になることもあるのでしょうか、とくに一人ならいざ知らず、誰かと共演するとなるとさまざまなストレスもまたあったのではないでしょうか。わたしはまだファン歴7年ですが、わたしが見始めた頃でも島津亜矢の場合は敬遠されることもあったのではないかと思います。そのわけを「声が大きい」ということにされていましたが、ほんとうのところはそれに加えて歌唱力が並外れていたからだと思います。島津亜矢以外に限らず、スペシャルステージへの視聴者の期待が出演者をえらぶようになっていったことは事実で、新しい番組ではもっと肩の力を抜き、若い歌手がそんなに緊張感を持たないで出演できる演出に変えたのだと思います。その分だけ、思わぬ発見やぞくぞくする音楽体験は少なくなりましたが、それもまた世の流れなのかなと思います。

前置きが長くなりましたが、そんな状況を感じながら今回のステージを楽しむことができました。キャンデーズの「春一番」からはじまったステージは、「ブルーシャトー」、「ソーラン渡り鳥」、「夢の中へ」などふたりで歌う歌が多いように思いました。バラエティ化の顕著な演出で毎回別の出演者が登場する場面では島津亜矢は福田こうへいと大江裕と「まつり」を、森昌子はこの二人に吉幾三、大泉逸郎をしたがえて「恋の季節」を歌いました。
わたしの少ないファン歴でも、島津亜矢の変貌は加速度的で、歌のうまさとか声量とかは若いころに極みに到達していましたが、たとえば今回のステージのように誰かと共演した時、ボーカリストとして決してメインをとらず、共演者をメインとする歌唱技術をここ2、3年で身につけたように思います。わたしはそれを「ベース」のようだと思っているのですが、ブレス(息継ぎ)が入らなくなったことも相まって、あたかもベースのように音程もリズムもテンポもしっかりと引き受けてくれるので、共演者はメインボーカルとして安心して熱唱することができ、とても楽になると思います。そのことに気づいているベテランの歌手は結構いて、森昌子もそれを見ぬいていたと思います。とくに若い歌手にとってはこれから島津亜矢がいい引き立て役を演じると期待しています。
森昌子は歌唱力抜群の歌手でしたが1986年に結婚を機に引退し、離婚を機に2006年に復活した当時は正直言って悲惨な状態でした。けれどもさすがに持って生まれた才能と猛特訓でボイストレーニングをされたのでしょう、往年の歌唱力をとりもどしました。
若い時は演歌路線といっても山口百恵と桜田淳子のようなポップスも歌いこなす人でしたから、「なごり雪」などはとても自然で柔らかい歌唱でした。
さて島津亜矢ですが、わたしの望み通り「いいじゃないの幸せならば」を見事に歌いました。この歌は岩谷時子作詞・いずみたく作曲で、佐良直美が歌った1969年の日本レコード大賞を受賞したヒット曲で、問題作でもありました。
70年安保闘争で世の中が騒然としていた頃、「社会変革」を叫ぶ若い男の中にも女性差別が確固としてあったことはしばしば証言されていますが、一方でいままで当たり前と押し付けられていたさまざま社会の縛りに異議申し立てをする動きの中で、女性の自立をめざす運動は鮮明な形で後に現れることなります。
岩谷時子はとても物静かなひとだったようですが、社会の移り変わりと彼女自身の願いを秘めた数多くの問題作を世に送り出しました。この歌はその中でもっともラジカル(根源的)な問題を数分間の歌で投げかけた最高傑作の一つと言っていいでしょう。この歌があまりにもセンセーショナルであったために、佐良直美は当時の男社会の女性への差別を一身に受ける形になり、約10年後に真偽もはっきりしないスキャンダルに巻き込まれることになったのもまた事実でしょう。
阿久悠が世の中の動きをキャッチし、そこから世の中を変える歌をめざしたように、岩谷時子の場合も女性の多様な生き方を歌にして、社会の軋轢にもがきながらも自分らしく生きる女性の背中を後押しする歌を数多くつくりました。
この歌が世に出てすでに半世紀が経とうとしている今、たしかに女性の自立を取り巻く状況は隔世の感があるとも言えるかも知れません。しかしながら、女性の非正規雇用率が6割でしかもその半数が貧困であることや、シングルマザーが増え、ひとり親の家庭の子どもの貧困率が半数をこえるという数字を目の当たりにすれば、半世紀前の「男が働いて女が家庭を守る」という高度経済成長下の女性差別の時代と何も変わっていないどころか、高齢社会での家族介護の担い手とされてしまうこともふくめて、より厳しい差別的状況に追い込まれているといえるのではないでしょうか。
そう考えると、この歌に岩谷時子が込めた切ない願いは世代をこえ時代をこえて、まだ遠い夢なのではないかと思わざるを得ません。そのことがこの歌を歌う歌手に単に「退廃的」という言葉だけでは済まされない、いくつもの時代をくぐりぬけてきた女性たちの複雑で繊細で、投げやりのように見えて想いまどう、このブログのような散文では伝えることができない心の蹉跌を韻にする叙事詩として歌い残すことを要求し、半世紀前の過去の歌ではなく、現在すら通り抜けて10年先の未来に向かって歌うことすら要求するのです。
島津亜矢には過去の歌を今の時代に、今の歌の中に過去の記憶を呼び起こす持って生まれた才能と、どんな歌にもある誕生の瞬間に立会うための不断の努力を兼ね備えていて、わたしはこの番組の楽曲リストのなかにこの歌があることを知り、島津亜矢が歌ってくれたらと思っていたのでした。そして彼女はわたしの期待をはるかに越えた説得力でこの歌を歌ってくれました。この歌はぜひ、「BS日本のうた」シリースのアルバムに収録してほしい楽曲です。
あとは、島津亜矢にかぎれば「惚れちゃったんだよ」、2人で歌った「ソーラン渡り鳥」、「夢の中で」など、新しい番組のバラエティ化を損なわずに歌を届けてくれました。
森昌子のツッコミとボケで島津亜矢を引き立て会場を沸かし、先輩歌手として島津亜矢をそれとなくフォローしながら歌を聴かせ、さすがと思いました。島津亜矢ファンとして、森昌子さんに感謝です。

佐良直美 「いいじゃないの幸せならば」 1969年紅白

島津亜矢「海鳴りの詩」

島津亜矢「いいじゃないの幸せならば」と「新BS日本のうた」” に対して2件のコメントがあります。

  1. S.N より:

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    tunehiko 様
    『いいじゃないの幸せならば』よかったですね。
    2005年のリサイタルで歌われた“愛は限りなく”のように
    亜矢さんの表現力の素晴らしさと高音の美しさにしびれました。
    私も「BS日本のうた Ⅸ」のアルバムに収録してほしいと思います。
    森昌子さんとのスペシャルステージいい雰囲気でとてもよかったです。

  2. tunehiko より:

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    S.N 様、おはようございます。ごぶさたしていますが、お元気ですか?
    わたしは昨年の8月に仕事をやめてから、地元の活動などでいそがしくしています。その方がいいのかもしれませんが。
    亜矢さん情報がにわかに広がり、うれしいかぎりですが、なかなか追いつかないところもあります。
    まあ、わたしはわたしなりに、どなたに命じられているわけでもないですから、地道にやっていこうと思っています。

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