島津亜矢「ダンシング・オールナイト」 もんたよしのりと沖雅也 ふりむくな鶴吉 

しばしば歌唱力のある歌手の場合、カバー曲はその歌手の歌唱力がオリジナル曲よりも発揮しやすいことと、意外な選曲でオリジナル曲がよみがえり、再度ヒットすることも多く、数多くの歌手がカバーアルバムを発表しています。
たとえばちあきなおみは「黄昏のビギン」をよみがえらすなど、カバー曲でも彼女の熱烈なファンをつくりました。彼女の場合はオリジナルの歌手とは違うアプローチでその曲の持つドラマ性を引き出し、カバー曲との向かい方にひとつの道を開きました。ポップスはもちろん、北島三郎の「なみだ船」や森進一の「命かれても」など、どの歌も圧倒的な歌唱力に裏付けられたドラマチックな歌に変身しています。
島津亜矢のカバーは少し事情が違っています。彼女の場合はまずオリジナルの楽曲と歌手に対するリスペクトから、オリジナル歌手を通してその歌の誕生の地にたどり着こうとします。
島津亜矢が歌う演歌から洋楽までのカバーを聴いて不思議なのは、オリジナルを聴きたくなることです。それは何もオリジナルとの聴き比べをしたいのではなく、ジャンルを問わず島津亜矢が歌うカバー曲を聴いていると、オリジナルの歌手とその楽曲とが出会った場所、それが荒野なのか海なのか、最終電車が行ってしまった後のプラットホームなのか、夜の名残りが朝の光に消えていく街のざわめきなのか…、ともあれ一つの歌が生まれ、一人の歌手がその歌と出会ったその場所とその時代へとわたしを誘ってくれるのです。

アルバム「SINGER3」の2曲目に収録された「ダンシング・オールナイト」は、1980年、ソロ歌手として行き詰ったもんたよしのりが再起をかけて結成したバンド・もんた&ブラザーズのデビュー曲です。
わたしがもんたよしのりを知ったのは歌手としてではなく、1970年代半ばの時代劇ドラマ「ふりむくな鶴吉」に出演した時でした。「ふりむくな鶴吉」は親の死でさすらいの旅から江戸に戻った鶴吉が父の生き方に反発しながらも一人前の岡っ引きに成長するまでを描いた痛快時代で、本格的に俳優へ転進しキャリアを積んでいた沖雅也がNHK時代劇の主役に抜擢され、大成するきっかけとなった作品です。沖雅也は15歳で俳優になるために上京、ゲイバーで日銭を稼いでいた時に大病院の資産家と出会い、その資産家が彼を養子とし、芸能事務所を設立して役者、歌手として育て上げました。将来を嘱望されながらも、極致の美意識や老いることへの恐怖や養父との同性愛報道などに翻弄され、心が壊れていった沖雅也は1983年に自殺します。
「人は病む。いつかは老いる。死を免れることはできない。
若さも、健康も生きていることもどんな意味があるというのか。
人間が生きていることは、結局何かを求めていることにほかならない。
老いと病と死とを超えた人間の苦悩のすべてを離れた境地を求めることが
正しいものを求めることと思うが、今の私は誤ったものの方を求めている者
おやじ、涅槃でまっている。」 という遺書を残して。

「必殺仕掛け人」や「太陽にほえろ」など、16歳から31歳までに100本以上の映画やドラマ、芝居に出演した沖雅也は今もまだ数多くの人の記憶に生きています。わたしもそのひとりで、「ふりむくな鶴吉」で沖雅也を知り、このドラマを楽しみにしていました。
いま調べてみると、もんたよしのりはレギュラーではなく、挿入歌「少年 鶴吉のバラード」を歌った関係で一話だけの出演だったようですが、どんな話だったのかは覚えていないのですが、ギラギラしながらもどこか悲しい若者を演じたもんたよしのりの姿と、そんな嵐の時代を通り過ぎた鶴吉を演じる沖雅也の姿が樋口康雄の音楽とともに印象的に残っています。もんたよしのりは歌手としてはどん底の時期で、歌手をあきらめようとしていた時だと思われ、どこかしら彼自身の人生と重ね合わせた切なさが14インチのテレビ画面からあふれていたように思うのです。
そんな彼が1980年、「ダンシング・オールナイト」が大ヒットし、当時の人気番組「ザ・べストテン」で7週連続一位になった時はほんとうにうれしかったです。
「ダンシング・オールナイト」は再起を期してもんた&ブラザーズを結成し、もう後がない切羽詰まったところから絞りだすように熱唱するもんたよしのりの心情と、ハスキーを越えたひしゃげた声でシャウトするその叫びには、それまでのつらい日々とともに、「ふりむくな鶴吉」の挿入歌の叫びも重なっていたのではないでしょうか。
1980年代はアイドルや都会のしゃれたポップスが流行った印象がありますが、この歌は泥臭く、60年代のリズム&ブルースの匂いがします。個人的には、わたしは高校を卒業して最初は小さな建築事務所で半年働き、その後3年間ビルの清掃の仕事をしましたが、その間世間は70年安保闘争と大学紛争で騒然としていました。わたしは同年代の若者がデモや集会など政治闘争に奔走していた頃、わたしはといえばそのころ「ゴーゴー喫茶」と呼ばれたいかがわしい酒場に入り浸っていました。
そこにもわたしと同年代の若者がたむろしていて、ビートルズやボブ・ディラン、ローリングストーンズ、日本のグループサウンズなどが大音響でかかり、フロアーで踊る若者たちでにぎわっていました。あるとき「警察が来た」とボーイが言うとまたたくまにその場から姿を消した若者たち…。わたしは時々、あの若者たちはどこへ行ったのだろうと思い出します。
あの時代、地上の若者たちがあるべき日本社会を目指したように、時代の地下室のような薄暗いそのフロアで踊っていた若者たちもまた、自分の居場所を探していたのだと思います。それは日本社会が監視社会となり、自由や平和を望むことがいけないことかもしれないと若者が思い始めている今、路上で異議申し立てをする若者たちとは違う地下道をくぐり抜けて、たとえば「世界の終わり」のライブ会場に「避難する」若者たちへと受け継がれているように感じます。
ともあれ「ダンシング・オールナイト」はわたしに、10年前の「青春の蹉跌」を思い返すのにじゅうぶんな歌でした。

島津亜矢が歌う「ダンシング・オールナイト」は、もんたよしのりとまったくちがう、ガラスのように透明なやや硬質な声質で、倦怠感とともに未練を引きずるような歌唱で、この歌の刹那的な物語を歌っています。島津亜矢らしく、オリジナルをより強調するような歌でも、またまったく違う歌の世界を広げるのでもない、あくまでもオリジナルのすぐ後ろを伴奏するような控えめな中に、彼女らしい情感を込めています。
しいて言えばわたしは、島津亜矢はロックにこそ出自の演歌のたましいを注入したらと思っていて、この歌もけだるさと刹那さだけではなく、もう少し彼女が得意とする「歌をよむ力」を発揮すればメリハリのついた歌になるのではないかと、ないものねだりしてしまいます。もんたよしのりの歌には叫びの中に実はか細く切ない魂の震えがあり、その領域、すなわち歌の生まれる場所に到達するには島津亜矢の「演歌」の魂しかないと思うのです。
それでもなお、この歌を選曲してくれたことと、たった一節でわたしの1980年の風景に連れて行ってくれたことに感謝の言葉がありません。1960年代の青い夢からさめ、現実の暮らしに明け暮れていたわたしの心を新しい夢へと駆り立て、箕面の豊能障害者労働センターの活動に参加できたこと、それからまた36年という年月をへて人生の残り時間が少なくなった今、島津亜矢という時代を背負う歌姫が歌う「ダンシング・オールナイト」は、もう一度わたしの心に最後の灯をともしてくれたように思います。

もんたよしのり「ダンシング・オールナイト」

樋口康雄 - ふりむくな鶴吉 1.メイン・テーマ  2. 少年~鶴吉のバラード 歌:もんたよしのり (1974)

ドラマ「ふりむくな鶴吉」

島津亜矢「ダンシング・オールナイト」 もんたよしのりと沖雅也 ふりむくな鶴吉 ” に対して2件のコメントがあります。

  1. 蒼士 より:

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    こんにちは、蒼士です。
    ダンシング・オールナイトはもんたよしのりの声が自分は好きですね。
    ダンシング・オールナイトを聞くと昔にタイムスリップしたような感覚になります。
    いい曲はいつ聞いてもいいですね。
    それでは応援して帰ります。

  2. tunehiko より:

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    蒼士様、メッセージありがとうございます。
    「SINGER3」はいいアルバムですね。亜矢さんの可能性を広げてくれる意欲的なシリーズで、ぼつぼつ「SINGER4」が企画されているのではないでしょうか。楽しみです。

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