さらば豊能障害者労働センター5

 1988年から1997年の10年間で、カレンダーの販売数は2800部から32000部へと飛躍的に拡大しました。事業の拡大は「障害のあるひともないひとも共に働き、得たお金をみんなで分け合い、共にくらして行こう」というわたしたち切ない願いや社会への訴えにこたえてくださる方々との出会いを増やす一方で、さまざまなご批判も数多く寄せられました。
 わたしたちが、社会福祉法人のような社会的な認知を受けない任意の団体であることが、その一番の理由だったように思います。わたしたちの活動のルーツが、公的な施設や社会福祉法人の施設から出て自立生活をすすめ、障害者差別とたたかった先達の障害者につづくと言うところにあったことから、社会福祉法人などの福祉ジャンルの法人になることに拒否反応がありました。そして、日本の障害者にかかわる施策が障害者本人よりもその家族や施設の管理など、まわりの健全者に対する助成ばかりに向けられていると主張するわたしたちに、福祉関係者からの激しいバッシングもありました。

 不思議なことに、意外と一般企業で働いているひとの方が、「障害があるということで福祉作業所や授産施設(当時の制度上の施設)に通っても1万円もらえればいい方で、ほとんどの障害者が経済的に生活的にも親に依存しながら暮らしている」と言うと、「それは問題だ」と、わたしたちの訴えをわかってくれることがよくありました。
 それに対して、主に福祉ジャンルの仕事をしているひとや福祉制度を知っているひとからは、「障害者を盾に、反体制運動をしている」とか「障害者を食い物にしている」とか言われることもしばしばでした。
 実際、1981年に箕面市役所の福祉セクションの担当者に豊能障害者労働センター設立の趣旨を説明したところ、「それはすばらしいけれど、福祉の分野の活動ではない。障害者のために世話をしたり保護したりするのが福祉であって、たとえ一般企業で雇用されない障害者であっても、豊能障害者労働センターで働く障害者の給料をつくり出す活動への助成があるとすれば労働行政です」と言われたそうです。
 わたしたちは数多くの賛同に値する真摯な活動と、数多くの批判に耐えうるわたしたちなりの実績を少しずつ積み上げていくしか道はありませんでした。

 1995年の阪神淡路大震災は、わたしたちの活動を大きく転換することになりました。それまでは、全国各地の障害者団体のネットワークにはそれなりに参加していたものの、豊能障害者労働センターの「事業をして所得を獲得する活動」は世間の人々だけでなく、仲間と言える障害者団体からも理解してもらえないところがありました。
 実際のところ、その時代は障害者の生活を支える介護保障もままならぬ中、所得保障どころではなかったことも事実でした。障害当事者にとって最大の問題は24時間の介護保障がないことで、経済的には先輩の障害者のたたかいの成果として生活保護で所得保障が実現しやすい状況だったこともありました。
 地理的にも大阪府の北端の小さな町にある豊能障害者労働センターは、「障害当事者の運動をせず、健全者が金儲けに走っている」と思われていました。ほんとうはどこの団体もお店をしたりバザーをしたり商品をつくったり仕入れたりして商売をやっていたのですが、豊能障害者労働センターのカレンダー販売や各お店の売り上げは、一般の企業や商店からすればごく少ない額でも、障害者作業所からみれば大きな金額でしたので、そんな誤解をされてしまったのだと思います。わたしたちもまた「どうせわたしたちの活動は理解されないだろう」と、あまり大阪の当事者団体とはお付き合いをしてきませんでした。

 阪神淡路大震災による被害は、幸いわたしたちが暮らす箕面市では小さなものでしたが、ひっきりなしに余震がつづき、ひとりでいるのが怖くて事務所に集まったものの、とてもじゃないですが仕事どころではありませんでした。壊滅的な被害を受けたと知らされる阪神地区の障害者の安否も被害状況もわからないまま、わたしたちはこの現実を受け止め、何をするべきなのかを話し合いました。
 そこで得た結論は、わたしたちの運営費がかろうじて持ちこたえられる3月末まで、今まで斜めに見ていた障害者のネットワークに積極的に参加し、事務所部分は全員でそのネットワークの救援活動の一員として参加することでした。
 まずは年頭の機関紙の編集を取りやめ、震災特集号を発行し、読者の方々に基金の呼びかけと、春に行う救援バザーの品物の提供を呼びかけました。また救援活動全体のネットワークの物資ターミナルとなり、直後から救援物資を被災地に届けました。
 全国各地から救援物資とバザー用品が送られてきて、事務所も仮のプレハブの倉庫もいっぱいになりました。地域では今まで出会ってこなかった200人のボランティアの方々が連日バザー用品の引き取りや仕分けに来て下さいました。
 地震発生から3月の救援バザーまで嵐のような毎日でしたが、わたしたちは3ヶ月の間に大阪、神戸をはじめ全国の障害者団体と出会い、運営の在り方や活動の目的が違っても助け合える全国的なネットワークを築くことが出来ました。そして、いままでカレンダーの通信販売で築いてきた全国の読者の方々から寄せられた救援金とバザーの売り上げ金の合計が1000万円になり、救援活動ネットワークに届けることが出来ました。

 それ以後の豊能障害者労働センターは、この年に設立された被災障害者支援「ゆめ風基金」を通して全国の障害者団体とつながり、近くは東日本大震災の被災障害者の支援活動を続けています。6300人を越える人々のいのちを奪った阪神淡路大震災でしたが、わたしたちはその救援活動を通じて共にこの時代を生きていくために、さまざまな違いを認め合いながら助け合う勇気を学んだのでした。
 そして、カレンダー事業やお店の運営や、この年をきっかけに毎年開いている春の大バザーなど、設立以来今日明日のごはんを食べるために必死に活動してきたことが、自然災害で被災した障害者の救援活動に生かされ、また救援活動を通じて数多くの団体やひとびとと出会ったことで豊能障害者労働センターの存在と活動がより広く知られることにもなりました。
 事実、1995年は数多くの方々が救援金や寄付金を出した年で、一部ではカレンダーは痛手を受けるのではないかという意見もありましたが、反対にわたしたちが障害者救援活動をひたむきにしてきたことを見守ってくれた機関紙「積木」の読者をはじめたくさんの方々の圧倒的な応援で、この年はいつもの年よりもさらに販売数を伸ばすことができました。
 ここで紙面がつきましたが、次回以降いよいよ1997年のピークを経験し、わたしたちはカレンダーだけでなく、もうひとつの大きな柱となったTシャツ事業に乗り出すことになります。そして、2000年以降はわたしたちの経済活動は資本主義経済の中でどんな場所にいて、どんな意味を持っているのかを考えることになりました。

積木屋・豊能障害者労働センターのホームページ

さらば豊能障害者労働センター5” に対して4件のコメントがあります。

  1. 歳三 より:

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    tunehiko様 こんばんは

    突然ですがブログ始めちゃいました。

    「K-TAKの独り言」と題しました。

    http://tark23.blog.fc2.com/

    まだよく分からないのですが、色々触っていたら、
    訪問履歴の中に「恋する経済 tunehiko様」を発見しました。
    訪問して戴いてありがとうございました。

    驚いたのは2日前に開設したのに2日間で 170 ものアクセスが
    あった事です。
    孫の事、亜矢さんの事、スペインの事を書いたのですが、
    孫やスペインの事でこんなアクセスがある筈もなく、
    色々調べたら 「AYAHIME Land」と言うサイトのMORIさん?
    がサイト内で紹介して下さってました。

    亜矢姫の人気恐るべし
    亜矢姫ファンの POWER 恐るべし

    これからも宜しくお願い致します。

    さらば豊能障害者労働センター5はこれから読ませていただきます。

  2. tunehiko より:

    SECRET: 0
    PASS: 04e60c26645b9de1ec72db091b68ec29
    歳三様

    ブログ開設おめでとうございます。
    わたしもMORI様のお世話になっていまして、その関係で時々紹介されている記事を読ませてもらっています。
    そうすると、「おや」という記事があり、うれしく思っていたところ、歳三様のブログだったのですね。これからもよろしく。
    ブログにもコメントをいれました。

  3. TARK(歳三) より:

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    tunehiko様

    読まして頂いて、まるで映画を観てる様な
    気分になりました。
    「ローマは1日にしてならず」と言いますが
    書かれている数々の成果の裏にある、成果の数十倍のご苦労が伺われます。

    世間と言う得体の知れない魔物から信任を受ける事が如何に困難が伴うのかがよく分かります。これを読まして頂いて私の頭に浮かんだキーワードは「連帯」です。

    「連帯」の大切さを改めて
    学ばせていただきました。

    この項から話は逸れるかも知れませんが、
    このシリーズの初期の話と関連すると思うのですが、例えば、これから世の中に出ようとする(会社に勤めると言う意味では無く)者が最初に直面する壁が資金難ということです。

    日本の社会では「信用」と言う名の元に
    殆どは門前払いされます。
    その為、有能な人材がステージから去って行かざるを得ない現実があります。

    日本では、これを救済してくれるシステム
    が殆ど有りません。時々有ると聞きますが、
    微々たる物です。
    アメリカ等では〇〇財団と言う様な団体が有って、そのシステムが日本より発達しているそうです。将棋のプロ昇段試験のように、ある一定期間は無条件でお金を貸して貰えて、その代わり期限が来て成果が得られなければ、退場させられる様なシステムが少しづつでも出来ていったら良いのにと思っています。

    しかし、お金が絡むだけに
    世間はそんなに甘くはないですかネェ?

  4. tunehiko より:

    SECRET: 0
    PASS: 04e60c26645b9de1ec72db091b68ec29
    歳三様
    島津亜矢さん関連の記事以外で、なおかつわたしのブログのほんとうの分野の記事に感想やご意見をいただき、感謝します。
    たしかに、ここまでは何でも乗り越えられるとうぬぼれていたところもありましたが、時代はいつまでもわたしたちの見方をしてはくれませんでした。
    次回からはわたしが豊能障害者労働センターをやめた200年暮れまでの間の「下り坂」について書く予定をしています。
    おっしゃるとおり、日本ではまたまだ「起業」への支援がまずしいと思います。市民活動にたいする助成制度はこの頃から少しずつつくられてきましたが、それでも障害者にかかわる市民活動では、障害者を対象にサービスを提供する事業が多く、障害者を直接雇用する事業はやはり労働分野とみなされ、わたしたちのように障害者の雇用の場をつくりだすために障害者自身が経営者の一員となって「起業する」プログラムにたいする理解はまだまだです。

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