井上陽水「氷の世界」2014ツアー

10月20日、大阪フェスティバルホールに、井上陽水のライブを聴きに行きました。 彼のライブに行くのは3年ぶりの2回目でした。たまたま、今アルバイトをしている被災障害者支援「ゆめ風基金」で一緒に働いているスタッフから、「チケットを持ってるんだけど仕事で行けなくなったので、どうですか」と言われ、チケットを買い取ったのでした。 ライブがあることはわかっていて、サポートミュージシャンの小島良喜のファンでもあることから行こうか迷っているうちにチケットを買い損ねていたところ、思わぬ形で急遽行くことになりました。 井上陽水については、島津亜矢が「ジェラシー」や「心もよう」をカバーしていることもあり、いつかは島津亜矢のシリーズで記事にしたいと思っていました。また、「ゆめ風基金」の呼びかけ人代表でもある小室等と縁の深いひとでもあります。 井上陽水の稀有の才能は広く知られていますし、66才の今でも若い人たちの憧れを一身に受けています。今回のツアーは40年前の音楽シーンに衝撃を与え、日本レコード史上初のLP販売100万枚突破の金字塔を打ち立てたアルバム「氷の世界」の全曲を歌い、その後「リバーサイドホテル」や「ジェラシー」、「とまどうペリカン」、「アジアの純真」、「少年時代」や「夢の中で」など、はっきり覚えていないのですが、ヒットナンバーを歌いました。 2700席の会場は満席で、とくに今回は「氷の世界」の40年を記念するライブであったことから、昔からのコアなファンがかけつけたという感じの盛り上りでした。わたしはそれほど熱烈なファンであるわけではないのですが、それでも「氷の世界」やその後の数々のヒット曲をそれなりには聴いていて、ツアーで小島良喜がピアノとキーボードを担当するようになってからはテレビ放送や動画サイトでよく観ていました。

 何度も言い訳をしてしまいますが、わたしは音楽の専門的な知識はまったくないので、ずいぶん偏った聴き手の独断と偏見に満ちていると思いますが、井上陽水について書いてみようと思います。 一時期のフォークソングブームの渦中にいた同年代のひとたちの中で、井上陽水がつくる音楽には際立った独自性を感じます。シュールレアリスムの詩を想起させる意味不明といわれる歌詞と高音でまるでダリの時計のようにフニャフニャしてとらえどころがなく、しかも社会性を拒んでいるように思われる陽水の歌は、当時の新宿西口広場で数多くの若者が一緒に歌えるものではなかったでしょう。 それでいて、実は「傘がない」や、後年の「最後のニュース」のようにごくごく身近な出来事をパーソナルな言葉で表現しながら、時代と社会の全体をざっくりと切り取ってしまう井上陽水の歌は、同時代のひとびとに圧倒的に支持されました。 わたしはどうも井上陽水の独自性は、いわゆる洋楽やポップスとはちがう、どこか「日本的な旋律」にあると思っています。そこがフォークやニューミュージックから最近のJポップとも決定的に違っていて、意外と小椋佳が少し似かよっているかもしれません。 たしかNHKのBSで井上陽水の特集が放送された時、意識的に影響を受けたのはビートルズとボブ・ディランで、子どもの頃に慣れ親しんだのは美空ひばりなどラジオから聴こえてくる歌謡曲だったと言っていたのを記憶しています。歌詞の際立った特徴としてはまさしくボブ・ディランの影響が強く、たたみかけるその歌詞はシュールレアリスムの謳い文句だった「調理台の上でミシンとこーもり傘が出会う」さながらに、次々と生まれ飛び出してくる言葉を歌謡曲(ここでいうのは戦後から60年代までの、まだポップスと演歌が分かれてしまう前の歌謡曲ですが)に近い、どこか日本的な旋律に流し込むような音楽ではないかと思います。そして、若い時よりも今の方がよりセクシーでなまめかしいその歌唱は今回のライブでも健在で、脱力感でいっぱいのおしゃべりにも毒のあるアイロニーが仕組まれているあたりは、やはり一筋縄ではいかないひとだなとつくづく感じました。 そのトークの中で、「若い時はよくわからなかったり反発したりしていましたが、年を重ねることでわかってくることがたくさんあります」と言った後に、「たとえば、最近は歌謡曲もいいなと思うようになりまして…、たしか水前寺清子さんの『いっぽんどっこの歌』でしたかね、ぼろは着てても心の錦、どんな花よりきれいだぜ、若いときゃ二度ない、どんとやれ、男なら、ひとのやれないことをやれ」と歌詞を読みつつ、「若い時はそれがどうしたと思ったりしましたが、最近は心にしみます」というようなことを言い、お客さんを笑わせました。 彼のトークはどこまでが冗談なのかわからないところがあるのですが、わたしは案外ほんとうのことを言ってるように思いました。そして、井上陽水の口から出るとは思わなかったこの歌詞を聴き、やはり星野哲郎はすごい歌をつくったんだなと思いました。 そして、わたしは案外星野哲郎と井上陽水は、間に阿久悠と小椋佳が入るとそれほどかけはなれているように思えないのです。ポップスのジャンルといわれるひとたちの中で井上陽水、小椋佳、忌野清志郎、桑田佳祐、いきものがかりの音楽は、60年代までの歌謡曲にひそやかなシンパシーを感じます。思い起こせばビートルズもまた、わたしはずっと歌謡曲として聴いていました。 井上陽水の場合、韻をふんだ歌詞をなだらかな階段のような音階に載せて行ったり来たりする旋律は、どこか日本古来の音楽に似ているようにも思います。 前回のライブはロックに近い演奏だったように記憶しているのですが、今回は40年前のヒットナンバーがメインだからでしょう、ロック色はやや後退していましたが、かなり豊かな音を出していたように思います。 その中でわれらが小島良喜は心にしみるピアノを弾いてくれました。彼がピアノの鍵盤にタッチした瞬間、井上陽水特有の「水の音楽」の世界にわたしたちをいざなってくれました。とくに「とまどいのペリカン」や「長い坂の絵のフレーム」のようなバラードでは、小島良喜のピアノを抜きにしては考えられないと思いました。 いつものジャズやブルースのピアノとはちがう、井上陽水のサポートミュージシャンとしての小島良喜の才能と歌ごころにあふれる演奏は、井上陽水の音楽に欠かせないばかりか、小島良喜にとっても楽しい演奏なのだとわたしは思います。 これからも、2人の関係が続いてくれたらと願っています。

井上陽水「 心もよう」(2014.5.22 NHKホール

井上陽水「ジェラシー」

井上陽水「氷の世界」2014ツアー” に対して2件のコメントがあります。

  1. 歳三 より:

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    tunehiko様 おはようございます。

    すみません、陽水の話ではありません。

    (1)三上寛「夢は夜ひらく」を
    聴かせていただきました。

    モロ「怨歌」だと思いますが、
    私には濃すぎます(笑)
    もっとコモって欲しいです。

    私の理解が浅くて、もっと聴き込めば
    良さが分かるのかも知れませんが・・・
    もっと他の歌も聴いてみます。
    [三上寛・命]の人の気持が理解できるかも?

    ♪生まれ故郷の小泊じゃ
     今日もシケだと言っている
     現金書留来たと言い
     走る妹よ  

    浅田次郎さんの小説
    「壬生義士伝」を思い出しました。

    小泊と言う所は「流れて津軽」にも
    登場していましたネ。

    ♪顔も知らない両親さまが
     眠る小泊雪の下

    "顔も知らない両親さま"
    と言うのがスゴい歌詞だと思いますし、
    この一行に私の好きな"情念" と"憂愁" が
    凝縮されて詰まっていると思います。

    小泊
    どんな所か行ってみたい気がします。
    但し、春にネ(笑)

    ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

    (2)寺山修司読みました。

    結論から言いますと、
    「もっと早くに読んでいれば」

    若い時に読んでいれば、 大袈裟に言えば
    私の人生は変わっていたかも知れない。

    1ページ半読んだ所で、その軽妙な
    語り口に一気に引き込まれました。

    寺山修司に傾倒した方々の
    気持ちが良く分かります。

    当時、私の知ってる寺山修司は
    競馬ファンの寺山修司で、同じ競馬ファン
    として「話の分かる兄さん」と言う程度の
    認識でした。今回読んだのは私でも知ってる
    「書を捨てよ、町へ出よう」

    細かい感想は省きますが、
    一口に言えば表現は違いますが
    一番根っこの所では五木寛之と同じ事を
    言ってるのだと思いました。

    しかし、宝石を散りばめた様な
    多彩な言葉の数々、ことばの魔術師 です。

    60年代、70年代のオピニオンリーダー
    であった事が良く分かります。
    現代のヤング層にも読んで頂きたいです。
    (私が言うのもおこがましいですが)

    60年代から100年前の1860年代の
    オピニオンリーダーであった
    吉田松陰 をふと思い出しました。
    (もっとも、松陰は超過激でしたが)

    もっと沢山の「寺山修司」を
    読んでみようと思います。

    tunehikoさんのお陰で又一つ賢く成れた様に
    思います。ありがとうございました。

    p.s
    「さらば豊能障害者労働センター」
    読ませていただきました。
    又、後日に

  2. tunehiko より:

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    歳三様

    お便りありがとうございます。三上寛や寺山修司など、わたしの記事からふれてくださったこと、ほんとうにうれしく思います。
    この2人に関してはあまりにもたくさんのことがあり、一度には言い切れないのですが、わたしのブログにかかわらず、いくつかの文章に必ず出てきてしまう人たちなのです。
    寺山修司も三上寛も、誤解や好き嫌いがでてしまうひとなのですが、70年代にわたしのように政治的や社会的な運動などと程遠かった人間には、「わたしはわたしでいい」と励ましてくれた人なのです。
    三上寛はフォーク全盛期に、いわゆるAマイナーの「演歌のような」もので、青森をはじめとする地方出身者の東京でのたたかいを歌いました。それはちょうど寺山修司が絶賛していた星野哲郎と畠山みどりの「出世街道」の70年版のようでもあったのかなと思います。
    寺山修司に関しては高校生からのファンで、彼の本は今でも家にいっぱいあります。
    先日、年に一度の「天神さんの古本まつり」に行き、そこで毎年寺山修司か唐十郎の本を買ってきます。今回は妻だった九条映子(今年の春に亡くなりました。)の「ムッシュー寺山修司」を見つけも今読んでいるところです。
    わたとしは若いころは寺山修司の言っていることが充分わからなかったのですが、のちに障害者運動をするようになって、よくわかるようになりました。

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